倫理的な調達

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年08月03日 05時00分]
スターバックス(Starbucks)は、2007年より11年連続で「世界で最も倫理的な企業」(World's Most Ethical Companies)であると、エシスフィア・インスティテュート(Ethisphere Institute)によって選出されている。倫理の普及を嘯く非道な団体の発表は信ずるに値しないが、「倫理的な調達」(Ethical Sourcing)を掲げる企業は正真に‘倫理的’なのだろうか? エシカルコーヒークイズのスタバ傘下ブランド特別編で解いてみよう。 
 倫理的な調達 (1)
 
[問1] 2012年にスタバはパスカル・リゴのパン屋を1億ドルで買収して傘下に収めました。2015年にはブルーボトルコーヒーが別のパン屋を買収して僅か8ヵ月弱で契約を解消しましたが、その同じ2015年にスタバが閉鎖したパン屋の名前は?
イ:タカキベーカリー
ロ:ラ・ブーランジェ(La Boulange)
ハ:タルティーン(Tartine)
 倫理的な調達 (2)
 米スターバックスがベーカリー「ラ・ブーランジェ」を全店閉鎖
 《アメリカのコーヒーショップ大手「スターバックス」は、サンフランシスコ
  周辺で展開するベーカリーカフェ「ラ・ブーランジェ」の全23店舗を9
  月末までに閉鎖すると発表しました。 フード部門の強化を目的とし
  て「ラ・ブーランジェ」を買収し、それを契機としてスターバックスの店
  舗におけるフードの充実やラ・ブーランジェの商品展開など多くのメ
  リットをもたらしたものの、長期的な成長を目的とするグループ戦略
  を鑑み、ラ・ブーランジェ単独での店舗展開は困難と判断し今回の
  決定に至ったようです。》 (Web『不景気.com』 2015年6月22日)
 
[問2] コーヒーの木からコーヒーチェリーが収穫できるようになるには3~5年くらいかかりますが、スタバが買収したパン屋やジュース屋や茶屋を見放して潰すまではどれくらいかかるでしょう?
イ:コーヒーの花の寿命と同じ1~3日くらい
ロ:コーヒーチェリー収穫までと同じ3~5年くらい
ハ:コーヒーの木の経済寿命と同じ20~30年くらい
 倫理的な調達 (3)
 スタバのジュース専門店「エボリューション・フレッシュ」、全店閉鎖へ
 《スターバックスがまた一つ、中核事業であるコーヒー以外のビジネス
  に終止符を打つことになった。同社が5年前に買収したジュース
  バー、「エボリューション・フレッシュ」だ。 ケビン・ジョンソン社長兼
  最高執行責任者(COO)に近くその座を譲るハワード・シュルツ最
  高経営責任者(CEO)は2011年、スターバックスのブランドロゴ
  から社名を外した。これについてシュルツは当時、「将来に手掛け
  る事業が、必ずしもコーヒーに関連したものである必要がなくなる」
  と説明していた。》 (Web『Forbes Japan』 2017年3月1日)
 
[問3] 次々にブランドを買収しては潰しているスタバは2017年だけでも2つのブランドを全店閉鎖と発表しましたが、さらにこの先でスタバが見放したり手放したりして潰してしまうブランドは?
イ:茶のTazo(タゾ)
ロ:コーヒーのSeattle's Best(シアトルズベスト)
ハ:水のEthos(エトス)
 倫理的な調達 (4)
 スタバのお茶専門店「ティバーナ」、米で全店閉鎖へ
 《米国の小売・外食産業に大きな影響を及ぼしている現在の困難な状
  況は、コーヒーチェーン大手スターバックスにもわずかながら痛みを
  もたらしているようだ。 時価総額およそ860億ドル(約9兆5500億
  円)の同社は7月27日に行った今年第3四半期(4~6月)の決算
  発表に合わせ、傘下のティバーナ(Teavana)が運営するお茶専
  門チェーンを閉鎖する方針を発表した。戦略的な見直しを行った結
  果、業績不振が続いていた同チェーンの現状は、今後も「続く可能
  性が高い」と判断したという。 同社の発表文によれば、米国内にあ
  るティバーナの379店舗は全て閉鎖することになる。主にショッピン
  グモール内に出店しているこれら店舗の大半は、2018年春までに
  営業を終了する。》 (Web『Forbes Japan』 2017年7月28日)
 
問1と問2の正答は共に‘ロ’だが、問3の解答は‘イ’も‘ロ’も‘ハ’も全てだと予想される。コーヒーのさび病に対する耐性品種を開発しても、買収したブランドの耐性を開発しないスタバ。コーヒーでC.A.F.E.(Coffee And Farmer Equity)プラクティスを標榜しても、買収したブランドの公平性に目を向けないスタバ。コーヒー豆かすリサイクルループを推進しても、買収したブランドの尊厳と持続性を再生しないスタバ。スターバックスには傘下に他のブランドを「倫理的な調達」する能がなく、それ自体がコーヒー業界や飲食業界の‘病害’であり‘かす’である。地球上から消え去ることが、スターバックスにとってもっとも倫理的であろう。
 
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もり・かけ・ぼっとり

ジャンル:グルメ / テーマ:うどん・そば / カテゴリ:食の記 [2017年07月30日 01時30分]
森友学園問題と加計学園問題で揺れる政局を蕎麦に譬喩して「もり・かけ」…上手いけれども手繰る蕎麦が不味くなる迷惑な話だ。蕎麦の「もり・かけ」は、形態では「もり」が先んじて「かけ」が後を追ったが、名称では「ぶっかけ」のレトロニムとして「もり」が生じた。学園の「森友・加計」は、学校法人化では「かけ」が先んじて「もり」が後を追ったが、創立と政局では「もり」が先で「かけ」が後だった。
 もり・かけ・ぼっとり (1) もり・かけ・ぼっとり (2)
 
 《もともとそば切りは、汁につけて食べるものだったが、元禄(一六八八~
  一七〇四)のころからか、汁につけずにそばに汁をかけて食べる「ぶっ
  かけ」がはやるにつれて、それまでの汁につけて食べるそばと区別す
  る必要が出てきた。そこで生まれた呼び名が「もり」である。安永二年
  (一七七三)版『俳流器の水』初編に「お二かいハぶっかけ二ツもり一
  ツ」の句が見えるので、すでにこの時代には一般に使われていたよう
  だ。》 《ぶっかけがかけとなったのは寛政(一七八九~一八〇一)にな
  ってからである。》 (新島繁 『蕎麦の事典』/柴田書店:刊 1999年)
 
 もり・かけ・ぼっとり (3) もり・かけ・ぼっとり (4)
句では「お二階は…」と言われているが、二階俊博(自由民主党幹事長)は、作り話「一杯のかけそば」に泣いた金丸信を師と仰いでも、翁長雄志(沖縄県知事)と食べたのは沖縄そばだった(2016年10月6日)。「もり・かけ」問題の当事者である安倍晋三(内閣総理大臣)は、森友学園で昭恵夫人が講演した3日後、加計学園の加計晃太郎理事長と会食する9日前、岩手県北上市の蕎麦屋で地元住民らと食べたのは天ぷら蕎麦だった(2014年12月9日)。ズル玉のようで手繰る蕎麦が不味くなる迷惑な話だ。手繰らない蕎麦、私が未だ見たことも食べたこともない蕎麦へ話を移そう。「蕎麦ぼっとり」とは何か?
 
 《ソバボツトリ 蕎麦粉にて製せる団子にて、蕎麦餅とも言ひ、山の神祀
  りのゴク(供物)の一つなり。山の神祀りには、其他とろゝ汁、御幣餅、
  小豆飯等を総て味無しに作りて備ふるなり。祠の脇に粗末な小屋設
  けあり。年番のもの其処にて仕度をなし、夕方より宵の内迄籠るなり。
  村々にて幾分の異同あり。また春秋にて相違あるらし。而して直会は
  別に頭屋にて行はるるなり。》 (早川孝太郎 「参遠山村手記」/『民
  族』3巻1号 1927年/収載 『日本民俗誌大系』第11巻 未完資料
  2 角川書店:刊 1976年) 
 
 《そばぼっとり【蕎麦ぼっとり】 山の神祭りの供物の一つで、「そばもち」
  ともいう。供物はほかに小豆飯、味噌をつけない御幣餅など、いずれ
  も味をつけないで作る。北設楽郡ではそば団子のこと。(愛知県) 
  静岡県磐田郡水窪町大野区大沢(現・浜松市)では、そば焼き餅をい
  う。》 (新島繁 『蕎麦の事典』/柴田書店:刊 1999年)
 
「蕎麦ぼっとり」は、静岡県北西部の北遠地区(≒天竜区)と愛知県北東部の奥三河地区(≒北設楽郡)に分布する蕎麦食である。秋葉街道(国道152号線)とJR飯田線と天竜川が南北に貫く山間地域で食される「蕎麦ぼっとり」は、早川孝太郎や新島繁の言説によれば山の神への供物である。だが、「蕎麦ぼっとり」は直会(なおらい)をする‘ハレ’の食に限られるとも言いきれないようだ。
 
 《水窪町草木の場合、一日の食事はアサジャ(チャノコ)・アサメシ・ヒル
  メシ・サンバンジャ・ユーメシ・ユーナゴとなっていた。このうち基本的
  な食事はアサメシ・ヒルメシ・ユーメシの三度で、その前後に三度のコ
  バミ(小食み)がある。通常朝と昼の主食はムギ飯で、晩はムギ飯と
  ともにソバキリ・ソバボットリなどを添えて食生活に変化と潤いを与え
  ていた。》 (『静岡県史』資料編25 民俗三 「作物と食体系」 p.411/
  静岡県:刊 1991年)
 
 《こういった山々に囲まれた山里水窪での、大変なご馳走が蕎麦。蕎麦
  の料理は数々あれど、最高は、何といっても「蕎麦ぼっとり」。蕎麦粉
  を、ただ単にお湯で溶いて団子を作り、七輪の炭火で軽く焼いて、表
  面の水分を飛ばせば出来上がり。そのまま食べても美味いが、ちょっ
  と醤油をつけて食べると不思議な美味さ。蕎麦粉一〇〇%はいうまで
  もないが、蕎麦粉とお湯の分量は、作って下さったおばあちゃんの勘
  だけ。お湯の温度も。簡単にみえる料理ほど実は難しいとはよくいわ
  れることだが、この勘は絶妙だ。蕎麦搔きに似ているが、表面を焼く
  ところに違いがある。表面の水分を飛ばすと香ばしさが加わって美味
  さをさらに引きだしている。「ぼっとり」の名前は、形状がぼっとりして
  いるところからか。》 (安田文吉 尾張飲食夜話18「そばぼっとりと秋
  葉さん」/『あじくりげ』647号 2011年10月/収載 『なごや飲食夜
  話 二幕目』 中日新聞社:刊 2014年)
 
『静岡県史』の「作物と食体系」や『あじくりげ』の安田文吉の言説によれば、「蕎麦ぼっとり」が日常食として‘ケ’の食へと変ってきたようにも捉えられる。古くからの狩猟採集を併せて山間の傾斜地を耕作して徐徐に定住化していった時代、焼畑の輪作はソバから始まった。この時代に祭祀儀礼に沿った‘ハレ’の食であった「蕎麦ぼっとり」は、近世・近代と時が下って焼畑が減少するとともに食体系の変化の中で日常‘ケ’の食へと近づいていったのだろうか? いずれにしても、「蕎麦ぼっとり」には「もり・かけ」に代表される「蕎麦切り」の歴史とは異なる背景と由来が観取できて実に興味深い。「蕎麦ぼっとり」とは何か? 今後も追ってみよう。「もり・かけ・ぼっとり」と並べてみれば、蕎麦が美味くなる面白い話だ。
 
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子ども珈琲電話相談2

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年07月26日 05時00分]
夏休み子ども珈琲電話相談」は、小中学生のみなさんの珈琲に対する疑問や興味にこたえる番組です。りっぱな(?)質問でなくてもかまいません。ふと、頭に浮かんだ謎、素朴な質問でも大丈夫です。ぜひ、夏休み中のお子さんとご一緒にお楽しみください。
 夏休み子ども珈琲電話相談2
 
【難敵】
「お名前と学年を教えてください」 「里辺(りべ)利香(りか)です。小学5年生です」 「利香さんの質問はどういうことですか」 「えっと、地球の温暖化が進んでコーヒーが飲めなくなるかもしれないというのは本当ですか?」 「はい。利香さんはコーヒー好きですか」 「好きです」 「では、井利先生に訊きますね」 「井利です。利香さんは地球の温暖化が進むとどうしてコーヒーが飲めなくなると思いますか」 「コーヒーが採れなくなるからだと思います。栽培に合う環境が高いところに移って農地が不足するとか、気候が不安定になって干ばつや土砂崩れがたびたび起きるとか、サビ病が拡がってしまうとか…」 「よく勉強されていますね。結論から言えば、既にそういうことが起こり始めていますし、利香さんが大人になった時にはコーヒーを好きなだけ飲むことはできなくなってしまうかもしれません。一つの考えとして、採れなくなって減ったら減った分だけ我慢して最後はコーヒーを飲むのをやめてしまう、という方法もありますが、利香さんはどう思いますか」 「ちょっといやです」 「そうですね。私もコーヒー好きですから、それはいやです。でもね、この話は我慢するのかどうかでは終わらないと思います」 「えっ」 「あのね、本当にコーヒーが飲めなくなるくらい地球が酷いことになってしまう頃には、コーヒー以外の、例えば、コメとかムギとかトウモロコシとか大豆とかが採れなくなったり、お魚が獲れなくなったり、あるいは飲むお水ですら全然足りなくなってしまうかもしれない、そういう心配もあります」 「そうなんですか」 「だから、コーヒーだけ何とかしようと思うよりも、地球の温暖化が進むと利香さんの生きていく世界はどうなるのか、何を我慢して何を変えなければいけないのか、コーヒーを飲みながらコーヒー以外にも目を向けて利香さんたちにも考えてほしいんです。わかりますか」 「えっと、はい…」 「じゃ、さよなら~」 「さよなら…」
 
【瞬殺】
「お名前と学年を教えてください」 「粕柄(かすから)貴志流(きしる)です。小学3年生です」 「訊きたいことはどういうことかな」 「えっと、銀ブラというのは銀座をぶらぶら歩くことではなくて銀座でブラジルコーヒーを飲むことだというのは本当ですか?」 「はい。貴志流くんは銀座でブラジルのコーヒーを飲んだのかな」 「飲みません」 「えっ?」 「えっと、銀座で飲むんだったらブラジルなんかじゃなくて、ビルの最上階にあるカフェでグァテマラの特級畑のコーヒーを飲みます」 「は、はい。では、星名先生に訊きますね」 「星名です。貴志流くんは銀座でブラジルコーヒーを飲むことが銀ブラの語源だと思いますか」 「わかりません」 「ウソ、許せないウソです。わかりましたか」 「えっと、はい…」 「じゃ、さよなら~」 「さよなら…」
 
【拒絶】
「お名前と学年を教えてください」 「牧(まき)根太(ねた)です。中学2年生です」 「質問はどういうことかな」 「えっと、コーヒーは健康にいいのですか?」 「はい。根太くんはどうしてこの疑問を思いついたのですか」 「コーヒーの科学の本を読んでいたら、『コーヒーはヒトの健康にどう影響するのか』という話がありました。でも、個人レベルで考えると飲んでも飲まなくても大きな違いはなさそうで、よくわからなくなってしまいました」 「なかなか難しそうな問題ですね。では、平瀬先生に訊きますね」 「えっ? 井利先生か星名先生で…」 「根太くんの質問は、自称コーヒー博士の平瀬先生がお答えします」 「我が輩がコーヒー博士の平瀬じゃ。健康にいいコーヒーは水素の…」 「さよなら…」 「あっ、根太くん、根太く~ん」 (ツーッ、ツーッ…) 「え~と、切れましたね。さぁ、今日もたくさんの質問ありがとうございました」
 
お楽しみいただけましたか? 《ふと気がつくと、いつしかもう、あまり「なぜ」という言葉を口にしなくなっている。そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、ひとりの子どもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ。「なぜ」と元気にかんがえるかわりに、「そうなっているんだ」という退屈なこたえで、どんな疑問もあっさり打ち消してしまうようになったとき》(「あのときかもしれない」 『深呼吸の必要』 晶文社:刊)と長田弘氏は記し遺しました。でも、珈琲に「なぜ」を問うたり珈琲を「そうなっているんだ」と識る、そこに子どもか大人かは関係ありませんし、元気に考えれば退屈はありません。夏休みも珈琲に生きるだけです。
 
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徐徐に奇妙な暴言

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年07月23日 05時30分]
昨2016年9月10日、東京で展覧会を覘きに行ったものの入場待ちの長蛇の列を見て、背を向けてしまった。だが、《見たい! 刺激される…好奇心がツンツン刺激される…どうしても 見てやりたくなるじゃあないか!》(岸辺露伴) …ドオォオォオオォ…東京・大阪・福岡と巡って名古屋へ来た…観よう!
 徐徐に奇妙な暴言 (1)
 
ルーヴル美術館特別展「ルーヴルNo.9 漫画、9番目の芸術」 (松坂屋美術館)
 
「ルーヴル美術館BDプロジェクト」の展覧会は、2009年にルーヴル美術館で企画展‘Le Louvre invite la bande dessinée’(小さなデッサン展 漫画の世界でルーヴル)が開かれた。2010年には京都と横浜で「マンガ・ミーツ・ルーヴル 美術館に迷い込んだ5人の作家たち」が催された。その本質は、漫画出版社フュチュロポリスとファブリス・ドゥアール(ルーヴル美術館文化制作局出版部副部長)との共謀で生み出されたショウビジネスである。だが、旧展から約6年を経た今般の展覧会「ルーヴルNo.9」では、そうしたBDプロジェクトの商業面はひた隠しにされていた。徐徐に奇妙だ。
 徐徐に奇妙な暴言 (2) 徐徐に奇妙な暴言 (7)
 
 《まだまだ芸術として浸透していない漫画文化を、芸術に興味のあるお客
  さんに見てもらい、逆に漫画は好きだけど古典芸術に興味のない若者
  たちが、ルーヴルに足を運ぶきっかけにもなれば》 《漫画はパラパラと
  めくってしまい、あまり絵をじっくり見る機会は少ないと思います。この
  展覧会をきっかけに芸術作品として漫画を鑑賞してほしいと思います》
  (ファブリス・ドゥアール:談/「芸術の最高峰ルーヴルが手掛けた漫画
  の展覧会!」/Webサイト『J-WAVE NEWS』 2016年8月9日)
 
ファブリス・ドゥアールは何が何でもBD(バンドデシネ≒漫画)を《芸術作品として》捉えて、その認識を他者に呑ませたいらしい。だが断る。この鳥目散帰山人が最も好きな事のひとつは自分が正しいと思ってるやつに「NO」(ノー)と断わってやる事だ。哲学芸人アラン・フィンケルクロートがBDをマイナー芸術と酷評したこと、これをファブリス・ドゥアールは展覧会図録で酷評していたが、こうした思い上がりと驕傲に溺れているドゥアールの姿勢こそ酷評されるべきだ。「ルーヴルNo.9」(ナンバーナイン)ではなくて、「ルーヴルNO足りん」(脳タリン)だ。そもそも、フランスには「アングレーム国際漫画祭」があり、サンフランシスコやブリュッセルやニューヨークやロンドンなどにも漫画の博物館や催事拠点が先んじてあり、ルーヴルなんぞに威を借りるほど漫画の世界は落ちていない。徐徐に奇妙だ。
 
 徐徐に奇妙な暴言 (3) 徐徐に奇妙な暴言 (4)
「ルーヴルNo.9」の展示は小綺麗だった。《でも漫画の原画って小さいうえに枚数が多いから、美術館での展示には向いていないんだよね。だからここでは一部しか見せておらず、ストーリーを追っていくと不満が残る》(村田真 artscapeレビュー 2016年9月18日/Webマガジン『artscape』)作品が多かったし、伊藤遊の「9つの違い 日本マンガ/バンド・デシネの特徴」も切れ味鋭いとはいえない。《好奇心がツンツン刺激される》展示は、エンキ・ビラルの「ルーヴルの亡霊たち」だけだった。畢竟するに、「ルーヴルNo.9」は何を展観させたかったのだろう? ルーヴル美術館? BDプロジェクト? 漫画? どれでもあるようでどれにも収斂しない散漫…いわば、演技や造作は頑張っているが、脚本や構造が拙劣な「9番目の芸術」展だ。徐徐に奇妙だ。
 
 徐徐に奇妙な暴言 (5) 徐徐に奇妙な暴言 (6)
松坂屋美術館で観終えて、大須まで散策。松屋コーヒー本店のカフェ・ルパンで「フローズンクリーム珈琲ぜんざい」を味わいながら、『世界まんがる記』を読み返す。曰く、《小雨に煙る、観て歩いたパリからはしかし、目新しい感激は得られなかった。以前に何度か訪れて、ふたたび観て歩いているような、そんな気持ちがした》。「ルーヴルNo.9 漫画、9番目の芸術」を観た私も、《目新しい感激は得られなかった》。著者の石森章太郎が世界旅行に出かけた頃(1963年)、フランスではBD(バンドデシネ≒漫画)を娯楽から芸術へと「正当」化する論が始まった。正当化という「不当」に気付かないまま今日に至った「9番目の芸術」がBD(バンドデシネ≒漫画)である。だが、岸辺露伴のような漫画家は「正当」に背を向けるだろう。私はそう捉える…ドオォオォオオォ…徐徐に奇妙な暴言だ。
 
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夏と修羅

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年07月18日 05時30分]
「尾張名古屋は城でもつ」…それゆえかそれなのにか、1959年にSRC造で再建された名古屋城の天守は怪獣によって何度も破壊される。1967年に大映のギャオスが、1992年に東宝のバトラが壊し、2019年には市長の河村たかしが壊す。許せん。だが、再建天守を最初に破壊したのはゴジラで、1964年に堀で足を滑らせた不慮による。許す。この時(映画『モスラ対ゴジラ』)のゴジラは、名古屋城の南南東に位置する名古屋テレビ塔を先に壊してから、城の北西側に回り込んで近付いた。熱田台地の上にある城下町から台地の西側へ一度下りて台地の北西端を確かめに行ったゴジラは、「ブラタモリ」名古屋編でのタモリよりも丁寧な足跡を印した。褒める。そして、そのゴジラが53年ぶりに…名古屋、上陸。
 夏と修羅 (1) 夏と修羅 (2)
 
「ゴジラ展」 (名古屋市博物館:特別展)
 
 夏と修羅 (3) 夏と修羅 (4)
この「ゴジラ展」は北海道立近代美術館(当時)の中村聖司が生み出したもので、福岡と札幌を巡ってから名古屋へ上陸した。他にも、川北紘一が監修して東京・大阪・金沢を巡った「大ゴジラ特撮展」、これを使い回した「大ゴジラ特撮王国」も横浜・広島を巡って鹿児島へ上陸している。また、「特撮のDNA」展は福島を巡って佐賀へ上陸する。山根恭平が《あのゴジラが最後の一匹とは思えない》(映画『ゴジラ』)と言っていた通り、ゴジラは同時にいくらでも存在する。富山省吾が《人間が生み出したゴジラなのに、人間が制御できない》(「怪獣王に迫る」上/『中日新聞』 2017年7月13日)と言っていた通り、特にここ4年くらいはゴジラもドサ回りに忙しい。
 
 夏と修羅 (5)
第1形態「ゴジラの誕生」…誰も見たことのない水棲生物の新種。それ以上は現物を調査しないと何にも言えません。
 夏と修羅 (6)
第2形態「これがゴジラ映画の「ものづくり」だ 『東京SOS』の特撮美術・デザイン・造形」…そう、生物です。ですから人の力で駆除することができます。同じ自然災害と区分しても、地震や台風とは違います。
 夏と修羅 (7)
第3形態「昭和~平成~ミレニアムの特美・デザイン・造形」…そもそも出世に無縁な霞ヶ関のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児、そういった人間の集まりだ。気にせず好きにやってくれ。
 夏と修羅 (8)
第4形態「ゴジラ、スクリーンの外へ ヴィジョンの広がり」…これでゴジラがこの星で最も進化した生物という事実が確定しました。
 夏と修羅 (9)
 
筆踊るデザイン画や詳細な指示が書き込まれたセット図面には思わず見入ってしまうが、展示の構成と見せ方は能が無くて楽しくもなんともない。ふ~ん、あぁそう、で終わり。つまらん。会場を熱焔と内閣総辞職ビームで破壊したくなる。もっと、声出しOK!コスプレOK!サイリウム持ちこみOK!の絶叫発声可能応援展示とか、ブッとんだ面白さを工夫して「すごい、まるで進化だ」と言わせてほしかった。
 
 夏と修羅 (10)
心象の灰色鋼から 琥珀の欠片が注ぐ時 怒りの苦さまた青さ 唾し歯軋り行き来する 俺は独りの修羅なのだ 真の言葉は失われ 雲は千切れて空を飛ぶ 歯軋り燃えて行き来する 俺は独りの修羅なのだ 新しく空に息つけば ほの白く肺は縮まり 雲の火花は降り注ぐ…「ゴジラ展」に夏と修羅をスケッチする。私は好きに観た、君らも好きに観ろ。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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