ノアノア気分

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年01月20日 01時00分]
ゴッホとゴーギャン展」(Van Gogh and Gauguin: Reality and Imagination)を観てから、‘ノアノア’気分が抜けない。私の気分は‘ノアノア’だが、ポール・ゴーギャンやフィンセント・ファン・ゴッホが飲んだコーヒーは、‘ノアノア’(芳香)が匂ったのだろうか? ファン・ゴッホのコーヒーを追ってみよう。
 
 
【ファン・ゴッホ ニューネン時代のコーヒー】
 コーヒーノアノア VG (1) コーヒーノアノア VG (2) コーヒーノアノア VG (3)
オランダのニューネンでファン・ゴッホが描いたコーヒー関連の画には、「コーヒー挽き、パイプ入れと水差しのある静物」(1884)や「銅のコーヒーポットと2つの茶碗のある静物」(1885)がある。前者は恋仲になった隣家の女が服毒自殺を図って破局した直後に描かれ、後者は不仲だった実父が急死した翌月に描かれている。弟テオドルスへの手紙では《打ちのめされた》とか《いつものような仕事はできなかった》などと言っているが、ファン・ゴッホは画を描き続けたし、そしてコーヒーも飲み続けたのだろう。同時期の代表作「ジャガイモを食べる人々」(1885)にもコーヒーが登場している。
 
 《実は、貧しい一家にコーヒーはぜいたく品なので、この人々は実はコーヒー
  ではなく、チコリを飲んでいるのだ、という説があるのです。しかし、と私
  は考えます。そこまで、この一家を貧しさの象徴にするのは、可哀そうで
  はないでしょうか。コーヒーくらい、本物を飲ませてあげてもいいじゃない
  ですか。》 (ゴッホ「じゃがいもを食べる人々」 その②/Webサイト『(株)
  アートコーヒーのブログ』 コーヒーと絵画 2015年12月18日)
 
19世紀後半のオランダの貧農は、ジャガイモと(全量もしくは一部を)チコリで代用したコーヒーを、パンとワインの代わりに摂っていた。この蓋然性は充分に高く、アートコーヒーによる感傷の妄想には付き合えない。ファン・ゴッホが「ジャガイモを食べる人々」を描いた後、画のモデルとなった娘スティーン・デ・フロートの妊娠騒ぎが起きた。この騒動によってファン・ゴッホはニューネンを追われたが、《可哀そう》なのはファン・ゴッホの親族やニューネン村の人たちの方だろう。この時空のコーヒーに、‘ノアノア’はない。
 
 
【ファン・ゴッホ パリ時代のコーヒー】
 コーヒーノアノア VG (4) コーヒーノアノア VG (5) コーヒーノアノア VG (6)
ファン・ゴッホは画家になる以前にも、パリにいたことがある。オペラ座(ガルニエ宮)が完成する頃、1874年11月から1876年3月までの間に2度、美術商のグーピル商会の店員としてパリ本店に配属されていたのである。但し、オペラ座で落成式が催された1875年1月5日の3日前にファン・ゴッホは一度ロンドン店へ異動、同年5月にパリ本店へ戻されて翌年に解雇された。それから約10年後の1886年、画家を自称するファン・ゴッホがパリに現れる。この間に、パリのカフェの賑わいは、オペラ座の隣に「カフェ・ド・ラ・ペ」(1862年開業)が位置するグラン・ブルヴァール周辺からモンマルトルの丘(ビュット)界隈へ移っていた。
 
 《結局、「ラ・ペ」はグラン・ブルヴァールの最後のモニュメンタルなカフェに
  なった。一八七〇年、普仏戦争の敗北によって第三共和政に入ると、
  ブルジョワジーの足はイタリア通りから遠のきがちになり、「カフェ=レ
  ストラン」は徐々に衰退していく。 代わって世紀末からパリのカフェ文
  化の中心になったのは、モンマルトルの丘で、ルノワール、セザンヌ、
  ピカソ、ヴェルレーヌなど周辺に住む画家、文学者がたむろした。「ラ
  パン・アジール」「カフェ・ゲルボア」「ヌーヴェル=アテネ」「シャ・ノワー
  ル」。カフェというより、キャバレだが……。》 (山内秀文 「「カフェ・ド・
  ラ・ペ」から覗いたフランスのカフェ史」/『vesta』 第103号 2016夏
  特集:カフェという別世界 公益財団法人味の素食の文化センター:刊)
 
1888年2月19日にパリを去るまでの約2年間、ファン・ゴッホは主としてモンマルトルの界隈で過ごしていた。芸術家を気取ってモンマルトルに集まったクロシャール(浮浪者)やボヘミアン(放浪者)に類するファン・ゴッホは、「モンマルトルからのパリの眺め」(1886)、「モンマルトルのカフェのテラス(ギャンゲット)」(1886)、「アブサンのある静物」(1887)といった作品を描いている。正に、丘からパリの街を眺め、キャバレやガンゲットに出入りして、アブサンを飲んでいた。この時空のコーヒーにも、‘ノアノア’はない。
 
 
【ファン・ゴッホ アルル時代のコーヒー】
 コーヒーノアノア VG (7) コーヒーノアノア VG (8) コーヒーノアノア VG (9)
ファン・ゴッホは、ドガ、モネ、ルノアール、シスレー、ピサロをグラン・ブルヴァール(大通り)の画家と呼び、ベルナール、アンクタン、ロートレック、コーニング、ギヨマン、スーラ、ゴーギャンたちと自分をプチ・ブルヴァール(裏通り)の画家と称した。そして、両者による協同組合の設立をアルルへ移ってからも夢想した。ファン・ゴッホは、《カフェとは人が身を滅ぼし、狂人になり、罪を犯すような場所だ》などと弟テオドルスへの手紙に書いて、「夜のカフェテラス」(1888)を描いた。この後、自らが身を滅ぼして狂人になり罪を犯すのである。
 
 《手紙をありがとう、でも今度はずいぶんやきもきした、木曜日にすっから
  かんになって月曜までは滅法長かった。 その四日間を大体二十三杯の
  コーヒーとパンでつないだ、その分はこれから払わなければならない。》
  (『ゴッホの手紙』 テオドル宛 第五四六信/硲伊之助:訳 岩波文庫)
 
 《『タマネギの皿のある静物』には実に様々なものが力強いタッチで描かれ
  ています。愛用のパイプ、芽を伸ばす玉葱。火の灯ったろうそく、「健康
  年鑑」と記された自然療法の本、弟への手紙、満たされたコーヒーの
  ポット。オランダ人は、それはそれは1日に多くのコーヒーとタバコを嗜
  むと言われています。ゴッホもゴーギャンも当時は高級品であったはず
  のコーヒーを好み、食べ物がなくてもコーヒーを1日10杯くらい飲んだ、
  などと記録に残っているようです。よっぽど好きだったのでしょう。》
  (Webサイト「Soup Stock Tokyo MUSEUM」 音声ガイド6)
 
ゴーギャンとの共同生活を待ちわびながら描いた「青いエナメルコーヒーポット、陶器、および果物の静物」(1888)、その共同生活が破綻した翌月に描いた「タマネギの皿のある静物」(1889)。「耳切り事件」の前だろうが後だろうが、ファン・ゴッホは窮乏にあえぎ続け、弟に金銭や画材をせびり続け、カフェに金を使い続け、《それはそれは1日に多くのコーヒーとタバコを嗜む》生活を続けた。それらをして、《よっぽど好きだったのでしょう》とするスープストックトーキョーの暴論には付き合えない。この時空のコーヒーにもまた、‘ノアノア’はない。
 
 
 コーヒーノアノア VG (10) コーヒーノアノア VG (11)
ファン・ゴッホが飲んだコーヒーからは、‘ノアノア’が匂ってこない。確かにカフェやコーヒーに関連する作品や著述は多く見られるが、そこに芳香を放つ美味しいコーヒーは看取できない。無理に探せば、「コーヒーを挽く女性」(1881)や「シルクハットをかぶりコーヒーを飲む孤児の男」(1882)には、僅かに芳香が嗅ぎ取れる。しかし、19世紀の終盤を迎えてビスマルク体制下にあったヨーロッパに、‘ノアノア’などなかったのである。さて、コーヒーの‘ノアノア’はどこで漂っていたのだろうか?
 
♪ 月がおちるまで 太陽がのぼるまで ふたりノアノア気分 いつもノアノア気分 のんびり恋をする ♪ (「ノアノア気分」 歌:久我直子 詞:阿久悠 曲:三木たかし 編:萩田光雄 1978年)
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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