珈琲に酊う

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年01月01日 00時00分]
「丁」は火の陰干にして陽気の充溢を表し、「酉」は金の陰支にして成熟の辺際を示す。人為の丁火によりて酉金の香味を醸すこと、コーヒーもまた瑞露の飲料にして、干支の丁と酉を合わせてこれに酊(よ)うべきか?
 
 
【360年(6元)前 丁酉1657年のコーヒー 英国】
 
 《コーヒー最初の新聞広告は、1657年5月、ロンドンの週刊新聞「パブリッ
  ク・アドバイザー」紙に掲載されました。広告文は以下のような内容でし
  た。「旧取引所裏バーソロミュー通り。コーヒーと呼ばれる飲み物(きわめ
  て身体によき天然の飲料、すぐれたる効能多し)。胃の孔を塞ぎ、体内
  の熱を強め、消化を助け、精神の働きを促し、気持ちを快活にする。た
  だれ目、咳、風邪、粘膜の炎症、肺病、頭痛、水腫、風疹、痛風、懐血病
  など多くに効く。午前中および午後3時に売る」》
  (コーヒーの歴史/コーヒー百科 UCC上島珈琲Webサイト)
 珈琲に酊う (1)
 《この新聞の発行者はマーチャモント・ニーダムという男で、コモンウェル
  スの時代、クロムウェルからただひとり新聞出版の許可を得ていた。日
  和見主義者という悪評を王党派からも議会派からも浴びせかけられた
  男で、『メルクリウス・ポリチクス』や『パブリック・インテリジェンサー』な
  どの週刊新聞を出した経験をもっていた。このニーダムが一六五七年
  五月に発刊したものが『パブリック・アドヴァタイザー』で、一六ページす
  べてが広告で埋められ、値段は一ペニーであった。》
  (小林章夫 『コーヒー・ハウス 都市の生活史─18世紀ロンドン』 駸々
   堂出版:刊 1984年)
 
ロンドンのコーヒーハウスの隆盛にはジャーナリズムが深く関与している。だが、オリバー・クロムウェルによる護国卿時代(プロテクトレート)、マーチャモント・ニーダムやヘンリー・マディマンら初期のジャーナリストには悪評がついてまわった。彼らは臨機応変にして因循姑息なタイムサーバー、つまり‘風見鶏’だったのである。
 
 
【240年(4元)前 丁酉1777年のコーヒー 普国】
 
 《大のコーヒー好きだったプロシア(現ドイツ)のフレデリック大王が、突然
  コーヒー禁止令を布告しました。当時、植民地を持っていなかったドイツ
  にとって、コーヒー消費量の増加は、一方的な通貨の海外流出となり、
  国際収支のバランスが悪化するばかり。しかもドイツビールの生産量
  が減り、打撃を受け始めていたのです。そこで大王は自分の好みを押
  さえてビールを飲むように奨励し、コーヒーに重税をかけました。それで
  もコーヒー愛好者が減らなかったため、1781年には、王室以外での
  コーヒーの焙煎を禁止、貴族・司祭・将官といった上流階級のみがコー
  ヒーを独占することとなり、王室は莫大な利益を得ました。》
  (コーヒーの歴史/コーヒー百科 UCC上島珈琲Webサイト)
 珈琲に酊う (2)
 《ドイツは四方八方、いや厳密に言えばそれ以上、実に九つの国と国境
  を接している国なのである。したがって取り締まり対策の要めは、コー
  ヒーを焙煎すると発するコーヒー特有の芳しいアロマ、焙煎の香りを頼
  りに取り締まりを強化することである。町にはこの匂いをくんくん嗅ぎ廻
  る密偵に溢れていた。》
  (臼井隆一郎 『アウシュヴィッツのコーヒー コーヒーが映す総力戦の世
   界』 石風社:刊 2016年)
 
大王フリードリヒ2世は、ホーエンツォレルン家ブランデンブルク選帝侯にしてプロイセンの王であり、1657年に生誕したフリードリヒ1世の孫である。コーヒーにシャンパンを入れて沸かしてマスタードを加えて飲んだ大王、その頭は固くて柔らかい‘石鶏冠’だったのか? 大王は1777年9月13日にコーヒー禁止の声明を発し、その4日前にフライベルクの鉱業を伸長させるべくフリードリヒ・アントン・フォン・ハイニッツを大臣に任命した。フライベルク名産の鉱石は‘鶏冠石’である。
 
 
【60年(1元)前 丁酉1957年のコーヒー 墨国】
 
 《パラナ州の新植農園がいっせいに収穫期を迎えた頃から、世界的に過
  剰生産が問題となり始め、中南米のみならずアフリカ諸国でも、経済的
  政治的に重大な事態が避けられない見とおしとなり、全世界のコーヒー
  生産国としては、価格安定方策を早急に政府間で協議する必要に迫ら
  れた。戦後米国を中心とする米州コーヒー協定は失効していたからだ。
  一九五四年以来非公式に接触を重ねたすえに、一九五七年七月メキ
  シコシティーに中南米七ヵ国が集まり、輸出割当協定に調印した。メキ
  シコクラブと呼ばれたこの結束で、しばらくは相場下支えの効果があっ
  たが、一九五八年の中頃には再び相場が軟化し始めたため、さらに多
  くの生産国に呼びかけて一五ヵ国によるラテン・アメリカ・コーヒー協定
  の調印に漕ぎつけた。》
  (山田早苗 『珈琲入門』 日本食糧新聞社:刊 2005年)
 
ブラジル・コロンビア・コスタリカ・エルサルバドル・グァテマラ・メキシコ・ニカラグアによる‘メキシコクラブ’の企図から成立までは、ヨシフ・スターリンの死去からスプートニク・ショックまでの東西冷戦の雪融け期間に一致する。この1957年の協定はアメリカ合衆国にとって‘鶏肋’でしかなく、反共主義の再燃によって無効化されて、ラテンアメリカ・コーヒー協定へと乗っ取られた。1957年、後に世界遺産「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」が登録されるマエストラ山脈で、フィデル・カストロとチェ・ゲバラらはゲリラ活動をしていた。メキシコからキューバへ渡り、‘鶏が鳴く’東の地で巨悪なるアメリカ合衆国を倒す革命が始まっていた。
 珈琲に酊う (3) 珈琲に酊う (4)
 
 
丁酉2017年の鶏旦、苦い歴史の香味を改めて想いながらコーヒーに酊う。酊うて、コーヒーの意、一丁字を識らぬも酉陽雑俎より怪しく語り、コーヒーの趣、鶏の空音の如く薫香を翔ばして八丁を荒さん。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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