リテラシー求む

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2016 [2016年12月22日 05時00分]
《コーヒーのサードウェーブは米国のコーヒーの歴史における第三の波ではありません》(後掲書p.9)とか、《「コーヒー(の品質)ピラミッド」と呼ばれる図を見たことがあるでしょうか。(略)この図はコーヒーの区分、特にスペシャルティコーヒーをめぐる混沌とした状況あるいは混乱した状況を象徴しているようです》(p.196/p.198)とか、《権威ある誰かが認めなくても、誰でも自分のコーヒーを「スペシャルティ」と銘打つことができます。スペシャルティは「言ったもん勝ち」の状況にあります》(p.212)とか、《品評会はいいことずくめなのでしょうか。私は決してそんなことはないと考えています。私見ですが、懸念されるのは高品質なコーヒーの風味の画一化、あるいは多様性の喪失です》(p.232)とか、《日本でコーヒーがワインになぞらえるようになったのは、スペシャルティコーヒーが入りはじめた2000年前後からのことだと思います。それまでの焙煎・抽出偏重からの揺り戻しか振り子は原料品質重視へと向かいはじめました。しかしその振り子は上流側に振れすぎ、原料偏重の状態になっているような気がします。(略)むしろよい原料を得たからこそ加工の自由度が高まるというのが自然なのではないでしょうか》(p.243)とか述べられると、私も「そうだそうだ」と言いたくなる。こうした中にあって、コーヒー本を読む側はもちろん、書く側にもコーヒーに関するリテラシーが求められていると感じた。
 リテラシー求む
 
『常識が変わる スペシャルティコーヒー入門』 (伊藤亮太:著/青春出版社:刊)
 
伊藤亮太氏が本書で目指したところは、《コーヒーに関するリテラシーの向上に役立つこと》(p.268)らしい。コーヒー屋の‘通詞’として活躍してきた著者であるから、語用に口喧しくバズワードを斬ることに長けている。いわば「間違いだらけのコーヒー用語使い」といったところか? サスティナブルコーヒーについてもフェアトレードコーヒーについても有機(オーガニック)コーヒーについても、その論述は概ね間違っていないし、以前に聴講した時と同様、その趣旨に賛同できるところも多い。
 
だが、《コーヒー本で頻繁に使われるコーヒーベルトという言葉ですが、私は要注意ワードだと思っています》(前掲書p.108)とか、《話がややこしくなりましたが、要はコーヒーという飲み物がもたらす「おいしさ」や「満足」で「スペシャルティ」を定義することは好ましくないということです。(略)少数派の意見だとは重々承知していますが、コーヒーにおいてそうしたことが可能なのは、唯一、生豆のときに限られると思います》(pp.242-243)とか述べられると、私は「う~ん」と言いたくなる。賢しいのである。また、焙煎されたコーヒーの「冷凍保存の是非」に関して、《いずれも自分の経験に基づく考えです。科学的に確たることは言えないのですが、水分の作用よりも温度低下の作用の方が優越するのではないでしょうか》(p.179)と述べられると、私は「あれ?」と言いたくなる。曖昧なのである。
 
さらに、「焙煎という言葉」に関して、《でも、漢和辞典を引いてみると「焙」にはバイという音読みもちゃんと存在しています(『新明解現代漢和辞典』)。同じ漢和辞典によれば、むしろ「ホウ」の方が慣用音という位置づけです。ということで「焙煎」は自信をもって「バイセン」と読もうではありませんか》(p.168)と述べられると、私は「おいおい」と言いたくなる。確かに「焙」の音読みを呉音で「バイ」とする漢和辞典は多い。しかし、「焙」という形声文字は声符(音符)が慣用音でホウ(呉音でフ、漢音でフウ)であり、白川静氏は《この字は茶に関して用いられ、茶とともに輸入された字である》(『新訂 字統』 平凡社:刊)としている。白川説に拠ってみれば‘焙烙’や‘焙じ茶’のように《むしろ「ホウ」の方が慣用音という位置づけ》となるのは当然であり、古来の呉音の頭子音が濁音で《バイという音読みもちゃんと存在》していたのかが不確かなままに、後時において業界用語の音読みの由来とする証左にはならない。《でも、漢和辞典を引いてみると…》程度で《自信をもって「バイセン」と読もうではありませんか》とは、‘通詞’らしからぬ粗暴な論述である。稚拙なのである。
 
そもそも、《なお、本書に示す見解はあくまでも筆者個人のものであり、筆者の勤める会社のものではないことをあらかじめお断りしておきます》(p.13)という著者の予防線の張り方は、「堀口珈琲」の代表取締役社長として要注意ワードで好ましくない。コーヒーの遍在性を訴える者にしては、弁明の立脚が偏在している。コーヒー屋の代表権者として遠慮や躊躇があるのだとすれば、リテラシー(literacy)を云々する以前に自らのディーセンシー(decency)を問うべきではないのか? こうした中にあって、コーヒー本を読む側はもちろん、書く側にもコーヒーに関するリテラシーが求められていると感じた。『常識が変わる スペシャルティコーヒー入門』という書名に恥じぬように、爽快で面白味のあるリテラシーを伊藤亮太氏に求めたい。
 
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コメント

我田引水
珈琲我一部 URL [2016年12月25日 16時23分]

某〇グレーダーの日本試験時に幾度となく面識ある程度でありますが、知識は流石がです。内容はよく理解でき同感と共鳴するところ多少。観点は違いますが、農学栄えて農業廃る!と学生時代に教えを受けた先生を思い出しました。嗜好品は十人十色?最近は一人十色だったりして?迎合と和合の攻めぎ合いで、主考は我に存す。かなぁー。必要以上の情報を取捨選択する能力が衰えてきたのか?落としどころが類似してるのかも混沌としてします。情報発信はしんどいと感じました。ところで数年かけて育てたコーヒーノキのチェリー収穫が終わり(2~3杯分かな)ドライミルで精製後ホームローストが楽しみです。一個人の世界をあじわう!これぞ日本のコーヒーと我田引水? 言うのは恥だが満足な成る?

to:珈琲我一部さん
帰山人 URL [2016年12月25日 23時19分]

商人欲求の堅持を承認欲求の顕示と勘違いしているオヤジ共が多い中で、伊藤亮太氏は貴重だと思います。妬むことはできるが全き共感ができない、AIみたいな怜悧冷静、そういう人もイイんじゃないか、と。訊くは一時の恥、言うは破廉恥、そういうことだと存じます。

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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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