東京冬来 後篇

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2016 [2016年12月12日 05時00分]
1898年12月10日に調印されたパリ条約で、スペイン帝国の植民地であったキューバに独立が承認された。しかし、その実は米西戦争後の宗主権がアメリカ合衆国へ移っただけであり、キューバにとっては偽の独立でしかなかった。条約調印から丸118年後であり、真の独立を成すがためにフィデル・カストロらがグランマ号でキューバへ上陸してから60年と8日後であり、フィデル・カストロが死んで15日後である2016年12月10日の朝に思う…前日に飲んだキューバコーヒーは不味かったが、さて、コーヒーの世界に、そして、日本コーヒー文化学会には、冬が来たのだろうか?
 
【JCS年次集会当日】 2016年12月10日
 
 東京冬来 (8)
宿「ほていや」の部屋でマンデリンを淹れて喫する。宿を出て、隣の「café Bach」(カフェ・バッハ)へ。朝の陽光に輝く修繕された外壁と看板、その下のシャッターがガラガラと開く、「おはよ~」。新聞を読んでいると、ママ(田口文子氏)が出てきて差し向かいに座って談議。私がホット・モカ・ジャバを飲みながら前日の臼井隆一郎氏との会談の楽しさを言えば、ママは臼井さんが企画した国際シンポジウムで提供したバッハのコーヒーがドイツ・ロマン主義的(?)にタバコと共に喫してもらえた昔日の感動を述べる。トレセンに寄って中川文彦氏と談議。ママや中川さんの話は、ホット・モカ・ジャバのように甘くて熱い。
 
 東京冬来 (9)
小学館の本社新ビルで開業して1ヵ月余の「Mi Cafeto Café & Brasserie HITOTSUBASHI」(ミカフェート 一ツ橋店)を初訪。予想通り、私と同様に集会前に覘き寄った多数の顔見知りが店内で談話していた。スリランカ風チキンカレーと小学館ブレンドを昼食に摂る。う~ん、機械式で淹れるならばパナマ(コトワ農園)以外の豆も使った方がイイのではないか、と思う。コーヒーソフトクリームにも魅かれたが、今はかなり寒いので次の機会に(笑)。白山通りを挟んで斜め向かいの学士会館へ。
 
「日本コーヒー文化学会 第23回年次集会」 (学士会館)
 
塩澤敏明氏(JCS理事)と森光宗男氏(JCS顧問)を偲んで全員で黙祷。先の総会では《来年は誰に黙祷するのだろう?》と思っていたが、年が明ける前に人数が増えてしまった。来年は何人に黙祷するのだろう? それから、講演2題を聴く。
 
セラード珈琲の山口カルロス彰男氏による講演「栽培品種のルーツと新たな品種改良」。山口さんの登壇は2010年の第17回年次集会以来だが、聞き手(圓尾修三:故人)の独擅解説が邪魔だった6年前よりも遥かに好い。撮影禁止の内容とはいえ、概ねはHerculano Penna Medina Filho(ヘルクラーノ・ペンナ・メディナ・フィリオ)らIAC(カンピーナス農事試験所)が発表したものを大きく逸れない。だが、「カップテストの点数は高いが樹形や樹勢が良くない試験圃場の改良育種」とか、「ユーゲニオイデスを掛け合わせたらゲイシャっぽいレモングラス香の酸味の系ができた」とか、「干ばつ中に水をかけても採れなかった温暖化の影響」などの話題は面白い。
 東京冬来 (10)
HARIOの倉永純一氏による講演「HARIOの珈琲器具革命 『V60』からオートプアオーバー『Smart7』」。ほぼHARIOの社史・沿革をなぞっただけだが、2005年の第12回年次集会の焙煎・抽出委員会で「売れるでしょうか」と顔色をうかがうようにV60を披露した企業とは思えぬ意気軒昂の調子。Smart7を大きく取り上げなかったのは、やはり不良品を自主回収中だからか? 「V60のドリッパー底穴のリブ形状のバラツキによる機能差」と「ブルーボトル新ドリッパーを推すフリーマンのV60否定」を質疑したが、スッキリした回答は得られなかった。
 
焙煎・抽出委員会の分科会は、「コーヒーのコクについて」…つまりは、山内秀文委員長による前回の分科会催事の振り返り。今後の催事の内容について、私も含めて甲論乙駁。中には趣旨を捉え違えて商売の訓育を目的にするような痴れ言もあったが、紛糾は歓迎。決着は後日にして、散会。日暮れて冷たい冬の風に吹かれつつ山内さんと談話して神田駅まで歩き、帰路は新幹線を使って自宅へ戻った。
 
 《「日本コーヒー文化学会」というものが出来ました。学会としての性格は
  フツーの学会とはかなり違ったものになるに違いありません。しかしそ
  れが学会として、ある事柄を学問的な対象としようとするのであれば、
  その根底には、対象研究への批判的疑問と、なによりも危機意識のひ
  とつやふたつが不可欠です。そういう意味では、コーヒーにまつわる文
  化の中で明らかに進行していると思えるこの人間の「分裂機械化」の
  「空恐ろしさ」は、やはり「コーヒー文化学会」の人文社会分野の研究対
  象になりうるのではないかと考えています。しかもそれは人文社会的分
  野に収まらないある種の学際的アプローチを必要とします。》
  (臼井隆一郎 「私のコーヒー文化論」/『コーヒー文化研究』第1号
   p.10/日本コーヒー文化学会 1994年12月)
 
 東京冬来 (11) 東京冬来 (12)
友人らより贈られたコーヒーと菓子を嬉しく味わいながら考える。逝ったフィデル・カストロにとって、コーヒーとは何だったのか? 逝った森光宗男にとって、コーヒーとは何だったのか? 人間が「分裂機械化」した東京には、冬が来ていた。批判的疑問と危機意識が欠けた日本コーヒー文化学会には、冬が来ていた。「空恐ろしさ」という冬がコーヒーの世界に来たること、当然であるのかもしれない。東京でコーヒーを巡り遊んだ冬来の二日間を想い返す。
 
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コメント

じょにぃ URL [2016年12月13日 21時24分] [編集]

帰山人さん。
この記事で森光さんが亡くなられたのを知りました。
お会いする事も珈琲を戴く事も叶いませんでした。
標さんの珈琲もそうですが
『どんな珈琲だったのだろう』
と思いを巡らすお方が
またひとり増えてしまいました。

to:じょにぃさん
帰山人 URL [2016年12月14日 12時05分]

森光さん急逝の報で(私も含めて)ざわつく者がいますが、クリスマスイブに没後9年となる標さんの珈琲にどれだけ思いを巡らす人がいるのでしょう? 生前に飲んだ人だけが「こんな珈琲だ」と思い出になる、そんな彼らの珈琲や店は彼らの寿命の範疇を超えられないのですから、追憶の香味でしかありません。はっきり偲んで、しっかり忘れようと思います。

No title
嶋中労 URL [2016年12月15日 12時31分]

森光さんまで逝ってしまうとは……淋しいですね。彼の駱駝のように緩慢な所作と話しぶりが思い出されます。無常迅速。生の営みなんて影絵みたいなものです。心よりの合掌。

to:嶋中労さん
帰山人 URL [2016年12月15日 13時33分]

労師、私は動画「ねるっこムービー」の所作に爆笑の連続、こりゃパロディ動画を作ろうかなと思っていたら、本人が逝ってしまいまいた。時人不待。
https://www.youtube.com/watch?v=5iTGR-tTNp0

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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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