赤いレトロな媒染記

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2016 [2016年11月29日 01時00分]
玉川裕子氏が著した『赤いレトロな焙煎機 遥かなる南米大陸をめざして』(春風社:刊)という歌文集は2016年の春に出版された。だが、詩歌の類が苦手な私は読んでいなかった。先般、映画『函館珈琲』を名古屋シネマテークへ観に行く途でチクショウ(ちくさ正文館書店)を覘くと、『大坊珈琲店』(誠文堂新光社:刊)の隣に『赤いレトロな焙煎機 遥かなる南米大陸をめざして』が平積みされていた。で、発売から約半年遅れで何となく買って、のんびりと読んでみた。岡井隆氏が跋文を寄せていた。
 赤いレトロな媒染記
 
 《(略)アイリッシュコーヒーの項は、「イギリスを旅したとき、北アイルランド
  とイングランド共和国の歴史をよく知らなかった」とか、「珈琲商社で働い
  ていたというのに、コーヒーへの想いが足りなかった」というような正直な、
  私歴にもかかわる告白がある。フィクションではなく私歴を入れるという
  のも、いいではないか。 (略)コーヒーものがたりの中に、今すこし、私性
  を、作者の私生活や家族の匂いを出してみるのもわるくないのではない
  かと思ったりもする。 (略)短歌と散文(詩)とを結びつけて、それをいく
  つもつなげて、歌文集をつくる。この試みは、まことに魅力的だが、やは
  りその話題の主が、コーヒーという嗜好品だったということがこの場合大
  きいのだろう。 (略)しかし、ここもふつうの旅行詠にはなっていない。旅
  人よりも、旅人を呼びよせているコーヒー、あるいはコーヒー豆の方が
  主役である。 (略)玉川裕子さんの歌文集は、あきらかに、反私性の方
  向を目指している。しかし、その底に、作者の孤独や、自己認識を読み
  とろうとすれば、それも可能なのだ。》 (岡井隆 「跋文」/『赤いレトロな
  焙煎機 遥かなる南米大陸をめざして』 pp.159-164)
 
この岡井隆氏の跋文は魅力的だが、どうも二重の違和感を覚える。《あきらかに、反私性の方向を目指している》という評は本の腰巻(帯)にも惹句として引かれているし、《詩人の岡井隆さんは跋文の中で、「私性を超越してしかも魅力に富んでいる」と評価》という解釈の書評(『ニッケイ新聞』Webサイト 2016年6月2日)も見られるが、そうなのか? 《私歴を入れるというのも、いいではないか》と言い、《今すこし、私性を、作者の私生活や家族の匂いを出してみるのもわるくないのではないか》と言い、2016年度の文化功労者に選ばれて《「人としていかに生きるか、その『私性』の探求こそ詩歌に最も大切なもの」》(「毎日新聞」 2016年10月28日)と言う岡井隆氏が、《反私性の方向を目指している》玉川裕子氏を好評しているとは思えない。褒めてねぇだろ、コレ。これが一つ目の違和感。だが、私は岡井隆氏と違って、玉川裕子氏の歌文集が《反私性の方向を目指している》などとは到底思えない。そもそも、「第一章 カフェの逸品ものがたり」を軸に説くから空想や虚構の‘騙り’に目を奪われてしまうのであって、「第二章 カフェの街から」・「第三章 その後」・「第四章 ブラジル again」に目を向ければ‘私性’がそこここに転がっている。《話題の主が、コーヒーという嗜好品》で《コーヒー豆の方が主役》と言う岡井隆氏には、‘反私性’の象徴としてコーヒーを過剰に遠い場所へ置いて捉える恣意がみえる。私には、‘反私性’どころか著者の自己顕示が皮相に浮かんでいる歌文集としか思えない。捉え違えてるだろ、コレ。これが二つ目の違和感。
 
 《一枚ガラスの小さな出窓に、オブジェのように置かれていた赤いレトロな
  焙煎機。道行く人を眺めているようで、わたしは思わず歩みを止めた。》
  (『赤いレトロな焙煎機 遥かなる南米大陸をめざして』 p.37)
 
 《途方もない構想を追ういつからか迂回してゆく赤い実の夢》
  (ひかりの海/前掲書 p.60)
 
 《肥沃なる赤い土壌に降るシューバ大地を湿らす冬の夕立》
  (コーヒー農園〈ファゼンダ〉/前掲書 p.94)
  
 《赤土の遥かなる道バスがゆくパンタナールの風わたるなか》
  (大湿原〈パンタナール〉/前掲書 p.148)
 
『赤いレトロな焙煎機 遥かなる南米大陸をめざして』から1文3首を抄出して並べた。そう、ブラジルは赤い。ブラジルの国号は、蘇芳と同属のブラジルボク(パウ・ブラジル)の‘赤い木’の意に由来するように。そして、間帯土壌であるブラジル高原のテラ・ローシャの‘赤い土’の意が象徴するように。だから、玉川裕子氏が赤い焙煎機を欲して、赤いコーヒーの実の夢を追ったことに不思議はない。けれども、ファゼンダが拡がる赤い土壌、テラ・ローシャは肥沃ではない。むしろ、元来は荒蕪な痩地である。また、パンタナールの縦断道路が通る台地部は赤土のテラ・ローシャだが、低湿地自体は氾濫原土壌であまり赤くない。玉川裕子氏は《コーヒーを表現したいと思い続けてきました。コーヒーから文学へ》と、ブラジル移民100周年・ブラジル民族文化研究センター創設30周年記念図書『愛するブラジル 愛する日本』(金壽堂出版:刊 2008年)への寄稿で記していた(同書p.107)。そういう点も含めて、『赤いレトロな焙煎機 遥かなる南米大陸をめざして』は、著者の体験と依怙による‘私性’を結実させた作品であろう。いや、この歌文集をブラジルで《赤い実の夢》を追って自身を蘇芳のように染めた回想、赤いレトロな媒染記と読みとろうとすれば、それも可能なのだ。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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