大福と珈琲豆

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2016 [2016年10月01日 01時00分]
豆大福と珈琲』から説明しなくてはいけない。その本の帯紙にある説明は次のようだった。
《小説と珈琲。極上の時間を味わう。 朝日新聞連載の表題作をはじめ、あらゆる小説的企みと歓びにみちた「珈琲」をめぐる五つの物語》
確かに片岡義男の新刊とはそういうものであるけれど、実際に自分で読んだときの、あの五つ目の物語に対する何とも言えない感慨については、なにも説明されていない。《小説的企み》とは、どういうことなのか。本のいちばん最後に置かれた「桜の花びらひとつ」という小説は、短編集のぜんたいのまとめのような役割のメタフィクションだった。物語をほぼ一定の厚さの表皮へと引き伸ばし、それによって他の四つの短編のぜんたいを、どこにも切れ目のないように巧みに包んだ、ということだ。餅で餡を包みこんだ、ぜんたいが大福のような短編集だった。その《小説的企み》の舞台は、「大坊珈琲店」だ。店主の大坊勝次と事前に交わした約束を著者の片岡が果たした物語だった。
 大福と珈琲豆 (1)
 
 《片岡  やっぱり人生は深煎りですよ。僕はもう一度、大坊珈琲を舞台にし
  た小説を書きたいですね。小説の中の架空の店として。今度はもっと丁寧
  に。いいですか。
  大坊  ええ。もちろんです。楽しみにしています。》 (「コーヒー本格派対談
  片岡義男×大坊勝次」/『ダ・ヴィンチ』2015年10月号 KADOKAWA:刊)
 
 《「これから書くその短編について、ふたりは喫茶店で相談している。その場
  面が描かれる」 「ははあ、なるほど」 「その短編の主題は、この喫茶店
  の店主が僕と対談したとき、僕にくれたものだ」 「対談をなさってるのです
  か」 「一度だけ」 「そうでしたか」 「いろんな人々が、いろんな目的のた
  めに、いろんな気持ちで、この店へ来る。その、いろんな人たちに寄り添
  うのが、自分の淹れる一杯のコーヒーです、と店主は僕に語った。これは
  そのまま、この短編の主題になり得る」 「なりますね」 「だから僕は、こ
  の主題で短編を書く」》 (片岡義男 「桜の花びらひとつ」/『豆大福と珈琲』
  朝日新聞出版:刊 2016年9月)
 
 大福と珈琲豆 (2)
テーブルに差し向かいにすわって『豆大福と珈琲』を読んでいる蘭子を見ながら、自分よりもふたまわりは若く見える、と高瀬は思った。六十七歳の高瀬には、実際には五十代なかばであるはずの蘭子が十歳は若く見えた。読み終わった本から目を上げた蘭子が言った。
「この話のどこがおかしいの? お店の名前は出てこないけれど、大坊珈琲店でしょう」
「大坊珈琲店に違いないが、大坊珈琲店じゃない」
と高瀬は顔をしかめながら言い、蘭子から本を受けとって、「桜の花びらひとつ」の一部を読みあげた。
 
 《白い長袖のシャツにボウタイの店主が、彫像のように動くことなく、コーヒー
  をドリップで淹れていた。動いているのは彼が右手に持ったポットの長い
  注ぎ口から、細い線となってきれいにカップへと落ちていく、熱い湯だけだ
  った。》 (片岡義男 「桜の花びらひとつ」/前掲書)
 
「ポットの注ぎ口から湯がカップへ直接に落ちていったらドリップはできない。そして、ネルドリップの湯はさほど熱くない。さらに」
と高瀬は言い、三十グラムで百ccに自分で淹れたコーヒーをひと口飲んで、語気を強めた。
「大坊勝次はポットを持つ右手ではなくて、コーヒーの入ったネル布を持っている左手を動かすはずだ」
高瀬はラジオ局を定年で退職した後に、後輩でコーヒーに詳しい京島裕二の影響を受けて自宅でもネルドリップでコーヒーを淹れるようになった。若い頃には南アメリカのコーヒー農園を巡り、今は自家焙煎を始めた蘭子にも、高瀬の言ったことが理解できた。蘭子は高瀬から本を取り返してページをめくり、小説の一部をさし示した。
 
 《出来たコーヒーが彼の手もとに置かれた。熱いコーヒーを彼は飲んだ。》
  (片岡義男 「桜の花びらひとつ」/前掲書)
 
「確かに。片岡義男はネルドリップに興味が薄いのよ、きっと。大坊勝次と対談した時もアウトドア用のカップを持参したようだし。別の雑誌のインタビューでも、コーヒーに細かいこだわりがないことを強調して片岡は答えていたわ」
と、蘭子は何かをあきらめるような口調で応じた。
 
 《その日の気分で豆を買い、それを1回ずつ挽いて金属製の細かい目のド
  リッパーに入れて熱湯を一気に注ぐ。乱暴なんですよ(笑)。カップも実用
  志向で、チタニウムでできたアウトドア用を使っています。二重になってい
  て中身が熱くても持てますし…》 (片岡義男:談 「男のコーヒー道」/『日
  経おとなのOFF』 No.174 2015年11月号 日経BP社:刊)
 
「だから、その本の最後の短編の舞台は、大坊珈琲店であって大坊珈琲店じゃない」
と高瀬は再び言った。蘭子はコーヒーをひと口飲んでから、笑って答えた。
「この物語はメタフィクションなのよ。それに、この本はぜんたいが大福のような短編集よ。柔らかく捉えましょう。表題作では、西川律子は豆大福で、森野真彦が珈琲だった」
高瀬も笑った。笑いながら言った。
「それなら、きみが大福で、俺は珈琲豆だ。その大福と珈琲豆が小説になるんだ」
一杯のコーヒーを介して、彼女と自分との相違が見えてくる。そのひとつひとつを自分は愛する、と高瀬は自分に言った。 
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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