ヒコク・カコク

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2016 [2016年09月07日 01時00分]
日本コーヒー文化学会(JCS)の焙煎抽出委員会による次回(2016年9月11日予定)の催事のテーマは、「コーヒーとコク」。山内秀文委員長曰く、《当然、あまり正体が解らないので、幽霊探しの意見交換から…》と。初秋にコーヒーで‘幽霊探し’とは、哀艶の趣きに‘一コク千秋’。
 ヒコク・カコク (1)
 
「コクがあるのに、キレがある。」…アサヒビールが当時の主力商品を全面で改して1986年2月から発売した新「アサヒ生ビール」の宣伝文句である。このキャッチコピーで注目すべき点は、「コクがあって、キレがある。」とは言わなかったことだ。「AであるのにBである」という表現は、そもそもAとBとは両立しないという想定が覆った意外性を示している。つまり、アサヒビールは意想外を強調する前提に、自らも消費者も「コクとキレとが共存するなんてありえない」と捉えていた、と考えられる。コクとキレとは共存し難いものなのか? そもそも、コクとは何であるのか?
 
 《(AISSY 鈴木隆一) 鈴木氏によると、コクとは「味の総和」のこと。食品中に
  基本五味(甘味、塩味、酸味、苦味、旨味)がバランスよく含まれていると、
  コクが感じられるという。ひとつひとつの味は濃くなくても、これらがうまく合
  わされば、結果的には濃い味になり、コクがあることになるという。逆に、
  味が濃くても何かひとつの味だけが強く、その他の味がしないような場合
  は、コクがあるとはいえない。一方、キレは「後味がどれだけ早く消えてい
  るかで測る味」のことを指すという。もともとは、日本酒の醸造技術者が使
  っていた表現で、後味がスッと消えればキレがあり、長く残るようであれば
  キレが悪いということになる。》 (「説明できる?ビールの「コク」と「キレ」」/
  大沢裕司:文/Webサイト『@DIME』 2014年3月21日)
 
 《特定の味の刺激が突出せず多くの味覚が複雑に絡み合い、個別の味覚
  としては認識できないほどの多くの刺激がある場合に、コクのような総合
  的な感覚に至るように思われます。「たくさんの味が混じっている」という
  感覚がコクの一つであると思います。》 《コクはあるが舌の上でさらりと
  消えてしまうという大変好ましい酒もあります。両者は一見矛盾するよう
  に感じられますが、舌の上ですっきり消えてしまう感覚とコクとは両立しま
  す。消える感覚とは舌を覆っている唾液と一体化して存在を感じなくなる
  ことと解釈できます。》 (伏木亨 『コクと旨味の秘密』 新潮社:刊 2005年)
 
 《「コクがある」は味ことばでもトップクラスの「おいしそう」なイメージを持ちま
  すが、説明が難しい言葉の一つです。いくつかの定義が提唱されていま
  すが「濃度感と持続性、広がり、深みを兼ね備えたおいしさ」がその根本
  にあると言えるでしょう。(略)コアーのコクを感じるには、「おいしい味物
  質の量の豊富さ」が生み出す濃度感と持続性、「味物質全体の種類の豊
  富さ」が生み出す味の複雑さ(拡がりや深み)が重要です。(略)ところで
  コクの概念は日本に独特のものだと言われています。(略)ただし英語で
  は「Body(胴体)」という言葉が味全体のベースの部分を指し、「rich
  body(ボディが豊か)」という表現は、その濃度感が持続するという、「コ
  クがある」と近い意味合いを含みます。》 (旦部幸博 『コーヒーの科学
  「おいしさ」はどこで生まれるのか』 講談社:刊 2016年)
 
コクとは、「味の総和」(鈴木隆一)であり、「たくさんの味が混じっている」という感覚(伏木亨)であり、「濃度感と持続性、広がり、深みを兼ね備えたおいしさ」がその根本(旦部幸博)にあるものらしい。これをコーヒーのコクとして捉えると、言葉の横並びでは解るようで解らないし、体感の想起では解らないようで解る。伏木亨氏は飲食物で感じられるコクを3層構造(コアーのコク/連想のコク/比喩・抽象のコク)で示し、これを旦部幸博氏も引例しているが、コーヒーの場合は直接にコアーのコクの正体として含有する香味成分を挙げることが難しい。コーヒーのコクは実体が薄く、連想や面影によって感じられる…当に‘幽霊探し’である。
 
 《そんな雰囲気の中で、コレージュ・ド・フランスのラテン誌学教授を務めた
  謹厳なアカデミシャンであるドリール師は、「コーヒー」という詩をこの流行
  の飲み物に捧げている。
    …… 我が思いは悲しく、ひからび、もぬけの殻だった。
    いま彼女(我が思い)は笑い、豪奢に装いお出かけになる、
    そして私は、天与の才気が目覚めるのを感じ、
    一滴一滴に太陽の光を飲む心地がするのだ。 (略)
  ドリール師はコーヒーを褒め称えて、「太陽の光を飲む」と表現した。》
  (小山俊輔 「「光を飲み」「思い出を食べる」こと」/『味ことばの世界』 瀬
  戸賢一・他:著 海鳴社:刊 2005年) 
 ヒコク・カコク (2)
 
伏木亨氏の著作(前掲書)には「非コク民」が登場していたが、コーヒーにコクを求めない場合も「非コク民」とされるのだろうか? しかし、コーヒーにコクを求めすぎる場合は、これまた「過コク」と言われかねない。コーヒーのコクも、及ばざれば「ヒコク」、過ぎたるは「カコク」。だが、初秋にコーヒーで‘幽霊探し’とはいえ、暗闇にさまようばかりでは面白くない。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」…コーヒーのコクを探しに行く時には、Jacques Delille(ジャック・ドリル:1738-1813)のように《一滴一滴に太陽の光を飲む心地》をコーヒーに求めたい。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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