永のいた珈琲店

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2016 [2016年07月24日 01時00分]
2016年7月7日、永六輔が死んだ。『大坊珈琲店』(大坊勝次:著/私家本 2013年12月/後に改訂、誠文堂新光社:刊 2014年7月)に寄稿した35人のうちの一人である。永六輔の稿には、謎が残されている。
 
 《初めて「大坊」のドアをあけた時。 カウンターの客席に腰かけたら 珈琲をい
  れていた主人と目が逢った。 ドキンとした視線に気がつくと主人が言った。
  「その席 中村八大さんがお好きだった」 亡くなって数年が過ぎ 偶然とはい
  え なんという御縁か。 以後 八大さんと遭いたい気分の時は「大坊」へ。》
  (「縁」 永六輔/『大坊珈琲店』)
 永のいた珈琲店 (1)
 《大坊勝次さんが口をきいてくれるようになるまでは、ずいぶん通ってからだっ
  た。(略)でも、永六輔ほどの有名人ではないから、ある時彼を連れて行った。
  店主は知らん顔。これも良かった。(略)「いつもの」「2番ですね」となるのに
  時間がかかったように思うが、それは多分私の間違いだったようだ。永さん
  の前にはカフェ・オレが運ばれる。わかっていても知らんふりをする微妙さも
  楽しかった。》 (「2番25g」 矢崎泰久/『大坊珈琲店』)
 
永六輔が《初めて「大坊」のドアをあけた時》は、矢崎泰久が《ある時彼を連れて行った》時よりも前だったのだろうか? だが、両者の文脈を突き合わせると、永六輔が大坊珈琲店を初めて訪れた同じ‘時’を示しているように捉えられる。しかし、それでは《主人》(大坊勝次)の反応が食い違い過ぎる。この永六輔のいた珈琲店はもう無くなってしまったが、謎が残されている…それで好い。
 
永六輔の著書では、『僕のいる絵葉書』(中央公論社:刊 1975年)が私は好きだ。旅先の写真(大石芳野:撮影)と文を絵葉書風に紹介していた『週刊文春』での連載企画を単行本にしたもの。コーヒーや喫茶店が多く登場するわけではない、いや、ほとんど登場しない。強いてあげれば…
 
 《これからご紹介する散歩のコースは……ポケットに千円札があればお釣りが
  出ることを受けあいます。 市電に乗って京大北門前の「進々堂」(☎〇七五
  -七〇一-四一二一)で焼きたてのクロワッサンとコーヒー、これが朝食で
  二百五円。 この店の机と椅子の素朴さが逸品。》
  (「前略千円札一枚で京都を歩きました。」/『僕のいる絵葉書』)
 永のいた珈琲店 (2)
…と、この程度。それでも、私は『僕のいる絵葉書』を「永六輔のコーヒー本」としたい。本のジャケットが、「café EL GRECO」(カフェ エル・グレコ)の写真と、《いつものように エル・グレコで働いて アイビー・スクエアで 小谷さんと逢ったりしています。 倉敷で 六輔》という文とで構成されているから。佐々木浦江(「カフェ エル・グレコ」店主:当時)に惚れたり、小谷眞三(「倉敷ガラス」代表:当時)と遊んだりしていただけで、コーヒーがどうこうではなかったのだろうが、「カフェ エル・グレコ」もまた(いや、こそが?)、永六輔のいた珈琲店である…それで好い。
 
 永のいた珈琲店 (3)
永六輔が死んだ。備前焼の器でミルクコーヒーを味わいながら『僕のいる絵葉書』を読んで、「永のいた珈琲店」を想ってみよう。
 
コメント (0) /  トラックバック (0)

コメント

この記事にコメントする

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://kisanjin.blog73.fc2.com/tb.php/936-58bcacee
編集

kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

04 ≪│2017/05│≫ 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
Powered by / © Copyright 帰山人の珈琲漫考 all rights reserved. / Template by IkemenHaizin