珈琲糖仕切

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2016 [2016年06月01日 01時00分]
船はコーヒーの謎を載せて海を行ったり来たりする。2016年5月、岡山では幕末期に海外漂流でコーヒーを見聞した史料の発見が報じられたが、福井では明治期に沿岸海運でコーヒーを売買した史料の発見が報じられた。樽廻船の栄力丸が漂流した事件から約40年後、北前船の永宝丸がコーヒーに関する新たな謎を仕切って運んでいた。
 珈琲糖仕切 (1) 珈琲糖仕切 (2)
 
 「北前船コーヒー運ぶ 文明開化 地方に“浸透”
  南越前町住民 右近家帳簿で裏付け」
 《鎖国が解かれ、さまざまな西洋文化が国内に入ってきた一八八九(明治二十
  二)年に、北前船がコーヒーを運んでいたことを示す帳簿が見つかっていた
  ことが南越前町の河野地区住民への取材でわかった。帳簿には洋酒の記
  載もあり、文明開化が叫ばれた時代に、北前船が地方に西洋を伝える役割
  を果たしたことを示す史料になりそうだ。 発見したのは、河野北前船研究会
  長の右近恵さん(61)。昨年十月に河野の北前船主の館右近家西洋館で、
  当時の船員たちが荒波を乗り越えて豆を運び、飲んだことをイメージした
  「北前珈琲」を期間限定で提供されることになり、イメージではなく、史実で裏
  付けようと調査。河野図書館で保管される右近家文書二万一千点の文書の
  中から、帳簿を見つけた。 帳簿は右近家所有の船の一つ永宝丸の仕入れ
  記録「買仕切」と売った記録「売仕切」。大阪にあったと見られる問屋から
  「コーヒ糖」を計二十四箱(買仕切の表記は拾弐箱入弐箱)を仕入れ、船員
  が計十七箱(売仕切の表記は拾七函)を割引で購入し、船頭が残り七箱(同
  七函)を買い取ったことになっている。 右近さんは「コーヒ糖はどんなものか
  分からないが、船頭は北海道の得意先へのお土産として買い取ったのでは
  ないか」と考える。当時は北海道の問屋から注文を受けてブランデーやビー
  ルも運んでおり、同地の富裕層に西洋文化が根付き始めていたという。
  コーヒ糖について、UCCコーヒー博物館(神戸市)の山岡昭雄館長(61)は、
  明治時代にあったコーヒーの粉末を入れた角砂糖「コーヒー糖」だと推測。
  当時を知る大学教授らが著書で「お湯を入れてかきまぜると一杯のコーヒー
  になる」「知らない人を、コーヒーに近づける一つの段階」と、日本のコーヒー
  草創期の加工品と紹介しているという。また、当時のコーヒー輸入量はわず
  かで高価。喫茶店もでき始めたころだが、富裕層の社交場的存在で都市部
  に限られ、広く愛飲されるようになるのは帳簿の時代から約二十年後になる
  そうだ。 コーヒー糖ではないが、帳簿発見のきっかけになった「北前珈琲」
  は、北前船主の館離れにある観光案内所のカフェで一日限定十杯(一杯七
  百五十円)で復刻販売されており、担当の竹森政人さん(35)は「河野の歴
  史が染み込んだコーヒーを味わいに来てほしい」と話した。》 (山内道朗)
  (「日刊県民福井」 2016年5月4日)
 
 珈琲糖仕切 (3) 珈琲糖仕切 (4)
「コーヒ糖」の史料を発見した河野北前船研究会長の右近恵氏は金相寺の15代目住職であり、その金相寺が1680年に4代目住職の弟を分家させて、越前河野の右近権左衛門家は始まった。近江商人の荷所船主として従事した右近家は、やがて自家売買の買積商として所有の船数を増やし、幕末から明治期まで家勢を伸張して北陸五大船主の一つに数えられた。だが、最多の所有船が21隻を数えて隆盛した右近家にも近代の波が寄せてくる。維新後に日本海航路へ進出していた三菱系と三井系の国策合併によって日本郵船が発足すると、これに対抗して右近家ら北前船主たちは1887年に「北陸親議会」を結成した。また、右近家は翌1888年に西洋型帆船岩田丸を導入し、陸路では道路(春日野新道や春日野道など)や鉄道(北陸線など)の整備にも関わり、旧来の北前船に代わる新たな事業の展開を図った。北前船主である右近権左衛門の家業自体が近代化への転換点にあった1889年、そこに「コーヒ糖」が登場したのである。
 
 珈琲糖仕切 (5)
ところで、前掲の報道記事は私には何とも解せない。《コーヒ糖について、UCCコーヒー博物館(神戸市)の山岡昭雄館長(61)は、明治時代にあったコーヒーの粉末を入れた角砂糖「コーヒー糖」だと推測。当時を知る大学教授らが著書で「お湯を入れてかきまぜると一杯のコーヒーになる」「知らない人を、コーヒーに近づける一つの段階」と、日本のコーヒー草創期の加工品と紹介しているという》言である。これは、木村毅氏(1894-1979)の『明治アメリカ物語』(東京書籍:刊 1978年)と植田敏郎氏(1908-1992)の『珈琲天国』(朝日新聞社:刊 1961年)にあるコーヒー糖の紹介を引いたもので、おそらくは『日本コーヒー史』(全日本コーヒー商工組合連合会:編 1980年)の「珈琲糖の創製」(第1章 第5節/上巻pp.142-144)に拠った見解であろう。だが、「珈琲糖の創製」にはもっと着目すべき記述がある。
 
 《加藤秀俊氏編の『明治・大正・昭和食生活世相史』の明治22年(1889)6月
  の項に、
    東京銀座の氷砂糖屋福田助次郎が、コーヒー入り角砂糖を発売した。
    これは湯または温かい牛乳に入れて飲むもので、「来客を餐するに
    唯一のものにして、清茶より手数を省き、茶と菓子とを兼ねたる便利
    なる経済品なり」と広告された。
  と記された。これは発売人の名前の分っている最も古いコーヒー糖の記録
  である。》 (「珈琲糖の創製」/『日本コーヒー史』 上巻p.143)
 
『日本コーヒー史』では巻末の「日本コーヒー史年表」においても、明治21(1888)年の《東京・下谷・黒門町の鄭永慶、カフエー「可否茶館」開店》に続いて、明治22(1889)年に《東京・銀座、氷砂糖屋福田助次郎が、コーヒー入り角砂糖を発売》とある(下巻p.364)。新たに右近家の史料で発見された「コーヒ糖」が、どこでどのように作られどこから仕入れたものなのか、どれほど特異な品だったのか、それはわからない。この史料の年記が《最も古いコーヒー糖の記録》と同年であることを語らない「UCCコーヒー博物館」が海に流されて沈むべき愚盲であること、それはわかった。‘日本最初の喫茶店’などとも称される「可否茶館」の開業翌年に、「コーヒー糖」は東京の銀座で発売され、また「コーヒー糖」は北前船で運ばれていた…ここを説いてこそ、《文明開化 地方に“浸透”》と題する価値があろう。
 
【余談】
以前の記事「珈琲咄之趣」で触れた栄力丸の漂流者17人の中で最年少であった彦蔵は、徳兵衛らと香港で別れた後に再びアメリカへ渡り、ミッション・スクールの教育とカトリックの洗礼を受けて、ジョセフ・ヒコと名乗った。彦蔵は市民権も取ってアメリカに帰化したが、望郷の念が強まり、領事館通訳として日本へ帰国し、その職を辞した後に1864年に英字新聞を日本語訳した「海外新聞」を発刊した。この日本で最初の新聞の発刊事業で、ジョセフ・ヒコに協力したのは岸田吟香(1833-1905)である。岸田吟香は、後に廻漕業も営んだ。そして、明治期のジャーナリスト兼実業家の岸田吟香の四男、洋画家の岸田劉生(1891-1929)は「コーヒー糖」について記し遺している。栄力丸と永宝丸、アメリカのコーヒーと彦蔵(ジョセフ・ヒコ)と岸田吟香・劉生父子と日本のコーヒー糖と…そこには、船とコーヒーを繋ぐ奇妙な時間と空間の連鎖が発見できるのである
 
 《カフェーの開祖ともいうべきは先ずカフェー・パウリスタであろう。それまでは、
  一品レストランでなくば、ミルクホールがその代用をしていた。私はこのパウ
  リスタの出来はじめの貧しいながらもおとくい様であった。お小遣いがあると、
  弟妹を引きつれて、そこへ陣どり、ドーナッツがいいとか、スネークがいいと
  か、この砂糖はいくら入れてもいいのだとかいいながら当時には珍しい本物
  のコーヒーをすすったものだ。当時には珍しいというのは、それまでコーヒー
  というのは角砂糖の中に入れてある豆のこげたもののことだったからである。
  多分今から十七年ほど昔になると思われる、これが出来るとじき、プランタ
  ンが出来た。》 (岸田劉生 『新古細句銀座通』(しんこざいくれんがのみちす
  じ) 銀ぶら道中記(五)/「東京日日新聞」 1927年6月)
 
 珈琲糖仕切 (6)
北前船の仕切帳で発見された「コーヒ糖」の記録は、日本のコーヒーの歴史を仕切り直したくなるほどに、実に興味深い。こうして、また船は海を渡り、コーヒーに関する新たな謎を仕切って運んでいたのである。
 
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コメント

違法性は無いが不適切な・・・?
珈琲我一部 URL [2016年06月11日 11時32分]

脈絡は無いですが、ふっとグラバー商会こと、トーマス・ブレーク・グラバーを思い出しました。スコットランド出身とかで、幕末時代の総合商社?武器やお茶やビールなど色々手がけて商売していたとか?。珈琲について妄想するに、坂本龍馬も長崎で珈琲を飲んでいたのではないかな~?。亀山社中時代に沖縄経由でインドモンスーンを上海輸送し商売しようとか?松前藩に横流しして儲けようとか。又はそれ以前に遠山金四郎の親父さんも太田蜀山人(南畝)と同世代だから、景元さんも江戸奉行時代に南蛮人のお茶とかなんとか言って知っていたんではないかな~?。間宮林蔵さんを加えると、スパイ映画のシナリオ級のストーリーに膨張してしまいます。確か、A・ワイルドさんなんかは著書のなかで禁断の果実はコーヒーの種だ!二足歩行はコーヒーの効果?とか・・・。記述していたが?・・・。落とし所がボヤケテきたので、この辺で、コーヒー党での私的発言に責任は存在しませんので悪しからずご容赦ください。

to:珈琲我一部さん
帰山人 URL [2016年06月12日 00時31分]

妄想するのは自由です。臆断するのも自由。われ臆測で思う、ゆえにわれあり、ですからね。それを他人に推しこむ不自由は、史実や真理とは別のものですから。観足下。私は珈琲ほどに他人を信用していませんから悪しからずご容赦ください。

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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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