エル・ドラド

ジャンル:映画 / テーマ:映画感想 / カテゴリ:観の記:映面 [2016年01月30日 01時30分]
ワールド・トラベル・アワーズの「世界で最も美食が楽しめる旅先」(World's Leading Culinary Destination)部門において2012年から4年連続で優勝している国は、《ペルーを旅するとわかるだろう。あの国はもはや料理大国だ》(レネ・レゼピ)などとも言われている。このペルービアンに対する熱狂は、ガストン・アクリオ(Gastón Acurio Jaramillo)という存在に起因するらしい。
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『料理人ガストン・アクリオ 美食を超えたおいしい革命』(Buscando a Gastón) 観賞後記
 
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《料理は、星の数より笑顔の数だ。》が日本での惹句である『料理人ガストン・アクリオ』(2014年)。その原題通りに‘ガストンを探して’みれば、『クッキング・アップ・ドリームス』(De ollas y sueños/2009年)でも、『ミストゥーラ』(Mistura: The Power of Food/2011年)でも、『ペルー・サベ』(Perú Sabe: La cocina, arma social/2012年)でも、ガストン・アクリオを見つけることができる。これらのドキュメンタリー映画の全てが実質にはガストン・アクリオの策動によって作られたのであり、『ミストゥーラ』の監督パトリシア・ペレズ(Julia Patricia Pérez)が今般の『料理人ガストン・アクリオ』でも監督を務めたのだから、探さなくてもガストンが見つかるのは当然であろう…つまり、「料理人は、星の数より映画の数だ!」。
 
 《実はこの映画ではガストンが料理を作っている場面より、食べている場面
  の方がずっと多い。彼がペルー各地のレストランに出かけると、周辺のシェ
  フたちがいっせいに自慢の料理を持って押し寄せ、ガストンに味見をせが
  む。(略)このドキュメンタリーのなかで彼はつねに旅を繰り返し、行く先々
  でペルー料理の良さを各地の人たちに自覚させていく。(略)不満があると
  したら、監督パトリシア・ペレズの視点がガストンの厨房外活動に寄りすぎ、
  シェフとしての本業については比較的あっさり構成している点だろうか。》
  (金原由佳/「ぐるなび通信」エンタメレストラン 2015年11月20日)
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この評は、《シェフとしての本業》をわかっていない。立ち止まって考えろ。料理人は《料理が人生の全てだ》(ガストン・アクリオ)けれども、《フライパンで肉を焼くだけが料理ではない》(ガストン・アクリオ)。五感を使って時流を味わい、その背景にある時局に乗ってストーリーを伝える、その《厨房外活動》こそが《シェフとしての本業》である。例えば、フェラン・アドリアの正体はコンキスタドールであり、レネ・レゼピの素顔はヴァイキングである。連中に向こうを張りたいガストン・アクリオの実体は、パチャクテク(Pachakutiq/世界を震わせて造り変える者)であり、エル・ドラド(El Dorado/黄金の人)である。そして、私は『料理人ガストン・アクリオ』を観ながら、何故か『アギーレ・神の怒り』(Aguirre, der Zorn Gottes/1972年)を思い出した。
 
 《そのころ南アメリカのアンデス山脈中央部、いまのペルー、このあたりは
  インカ帝国が誕生し文明もひらけ、黄金がいっぱい、この国をさして人呼
  んで〈エル・ドラド〉。さあその地その富をねらってのこれはアマゾン探検映
  画。『アギーレ・神の怒り』とはその探検隊の船に乗りこんだ副官アギーレ
  の貪欲に燃えあがった物語。(略)ところで彼らは何を食っているのであろ
  うかとその食いっぷりを見て驚いた。よく食いまくるというのではない。その
  食いものとその食い方だ。泥川の大河とも見えるアマゾンから彼らはなま
  ずを釣った。そのなまずをまるごと煮て食うのだが、そのなまずの背をた
  てにナイフで切りひらきそこへ生のトマトをたてに三個ならべてぶちこんで、
  そのなまずを両手で持ってむしゃむしゃと食う。いかに思ってもこれには
  食欲はおこらなかった。》 (淀川長治 「懐石料理とアマゾンのなまず」/
  『グルメのためのシネガイド』 早川書房:刊 1984年)
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この評は、描写を憶え違えている。『アギーレ・神の怒り』でナマズの腹にぶちこまれたトマトは3個ではなくて4個であるし、そのナマズ自体を《両手で持ってむしゃむしゃと食う》のではなくて手でむしって食っている。ところで、ガストン・アクリオは何を食っているのであろうか? その食いっぷりを見て驚いた。パラカスの伝統漁法組合の漁師たち、バタヤ地区の女性だけのキヌア生産者グループ、パチャクテックの料理学校で学ぶ貧困層の子女たち…それらを食いものによく食いまくるし、その食い方にも。実在しないエル・ドラド(黄金郷)を追う映画として、『アギーレ・神の怒り』のナマズ料理も、『料理人ガストン・アクリオ』に登場するセビチェも、そして『ア・フィルム・アバウト・コーヒー』(A Film About Coffee/2014年)のコーヒーも、本質的には同類の食べ物である。もっとも、ドキュメンタリー映画としては、『ア・フィルム・アバウト・コーヒー』よりも『料理人ガストン・アクリオ』の方が遥かにマシではあるが…。だからこそ、映画の最後に示される「この映画を、私たちの心の中にいる全てのシェフに捧げる──」という言葉が生きてくる…その騙りに乗る乗らないは、《全てのシェフ》と映画の観客とにまかせられているという意味で。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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