アポロギア

ジャンル:ライフ / テーマ:ひとりごと / カテゴリ:あ・論廻 [2015年12月05日 01時30分]
自己とは何か?…村上春樹氏は「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」において、《今度自分自身について書けと言われたら、ためしに牡蠣フライについて書いてみてください》と、お気楽な「牡蠣フライ理論」を提唱する(大庭健『私という迷宮』解説/後に改訂版を『村上春樹 雑文集』に収載)。誰かが自身について書いた‘自伝’は、美味しいけれど寂しい。寂しいけれど美味しい。好奇と倦怠の関係のように永遠に循環する。他人が語った言葉を一つ一つ掬うという孤独な作業は、‘一人牡蠣フライ’に似ている。一人で牡蠣フライを揚げていると考えると、私は頭が重くなる。
 
 アポロギア (1)
『わたしが生きてきた世の中 ─身辺からみつめた戦後韓国、激動の歴史』
(羅英均 나영균:著/堀千穂子:訳/言叢社:刊 2015年10月)
 
羅英均(ナ・ヨンギュン)氏の自伝『わたしが生きてきた世の中』は、『日帝時代、わが家は』(小川昌代:訳/みすず書房:刊 2003年)の続編である。『日帝時代、わが家は』は、《友人の四方田犬彦氏に、「何でもいいから一度本を書いてみないか」と勧められて、父、羅景錫の青年時代の抗日運動と叔母羅蕙錫の芸術活動と離婚に至る事情を含めて、解放直後までの家族の話を書いたものだ》(『わたしが生きてきた世の中』p.210)。その四方田犬彦氏は、今般の『わたしが生きてきた世の中』を、「天賦の才能に恵まれた文学者の知的遍歴の物語」と評した。
 
 アポロギア (2)
 《だが、本書は天賦の才能に恵まれた文学者の回想録であるだけではない。書
  物全体を貫いているのは、朝鮮戦争からクーデター、そして民主化へと目まぐ
  るしく変貌していった韓国社会を、大統領官邸からわずか2キロほどしか離れ
  ていない住宅地、新橋洞から、ある距離のもとに眺めている批評的な眼差し
  である。(略)父親である羅景錫とその妹で女性画家の羅蕙錫(ナ・ヘイソク)の、
  それぞれ最晩年の挿話にはじまって、四人の子供たちの渡米体験とその後ま
  で、著者を基軸として、合計して四世代の物語が綴られている。その物語の拡
  がりはさながらバックの『大地』三部作のごとしである。(略)わたしは個人的に
  は本書を、イタリアのナタリア・ギンズブルグが著した家族年代記、『ある家族
  の肖像』と比べてみたい誘惑に駆られているところである。》 (「天賦の才能に
  恵まれた文学者の知的遍歴の物語」/『週刊読書人』2015年11月27日号)。
 
羅英均氏は、《天賦の才能に恵まれた文学者》であるのだろうか? パール・S・バックの『大地の家』(The House of Earth)やナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』(Lessico famigliare)、或いはヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』(Mrs. Dalloway)に比するべきなのか?…私にはわからない。そもそも、大戦や内戦を織り込んだヒューマンドラマが好きではないから、そうした物語に接すると、私は頭が重くなるのだ。『わたしが生きてきた世の中』を読み進めている時も、天賦の才能ではなくて門地や政治的・経済的・社会的関係の栄耀に恵まれた物語を感じて、好奇と倦怠、そして猜疑に呑まれた。美味しいけれど寂しいし、寂しいけれど美味しいのである。
 
 《歴史や文化の異なる相手を血の通った人間とみるには、何が大切でしょうか。
  「まずは相手の言葉を知ること、次に相手の国を訪ねることでしょう。(略)文
  化のそんな違いをお互いに素直に楽しむことができれば、それはすばらしいこ
  とです。」 (インタビュー 「知日派の日韓論 韓国の英文学者・羅英均さん」/
  「朝日新聞」 2015年7月22日)
 
 《…島亨(言叢社代表)たちと共に韓国文化財見学の旅が続いた。鶴岡真弓さ
  ん(多摩美術大学芸術人類学研究所所長)、田口護・文子夫妻(カフェバッハ・
  オーナー)、市澤秀耕さん(福島県飯舘村の珈琲屋・椏久里店主)、五十嵐芳
  子さん(言叢社)が参加された。私たちは新羅・百済・高句麗の古墳を中心に
  南半島をみてまわった。おかげで自分の国でありながら知らなかった歴史的
  事実をあまた学び、また自然の美しさを心ゆくまで鑑賞することができた。三
  回目の旅行の時、言叢社の五十嵐さんが、私に話しかけた。「『日帝時代 わ
  が家は』の続編を書いたらどうですか?」とてもありがたくうれしい提案であっ
  た。書きはじめようとしたとき、私は自分の生涯が大部分、無風地帯で送られ
  たためあまり話題になるような事柄に欠けていることを悟った。》
  (『わたしが生きてきた世の中』後記 pp.251-252)
 
 アポロギア (3)
五十嵐芳子氏らが《相手の国を訪ねること》《素直に楽しむこと》の中で、自伝『わたしが生きてきた世の中』が生み出されたのであるならば、《それはすばらしいこと》である。私も何処かを訪ねてみたい…例えば、(日本国内ではあるが)ムクデン満鉄ホテルとか…。だが、《自分の生涯が大部分、無風地帯で送られた》とする羅英均氏が著した『わたしが生きてきた世の中』の根幹を、アポロギア(apologia)、つまり弁明書として私は感得する。いや、こうした自伝という物語は、その全てがアポロギアであるのかもしれない。だから、美味しいけれど寂しいし、寂しいけれど美味しいのである。…自己とは何か?
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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