愚劣な教科書

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2015 [2015年12月01日 01時00分]
かつて、《枻(えい)出版社のコーヒームックは常に自ら焼き直した陳腐な仕立て一本槍である》と私は断じていたが、その懲りない出版社は‘日本酒’でもパクリ本騒動を起こしていた。 
 愚劣な教科書 (1)
 
 《料理やスポーツの本などを出版している枻(えい)出版社(東京都)が、エッセイ
  スト葉石かおりさんの本の一部を、無断で再編集し、別のムック本に流用して
  いたことが分かった。26日からセブン-イレブンで約2万5千部を発売していた
  が、葉石さんからの抗議を受け、店頭から27日に回収した。 同社によると、
  同社から出版されている葉石さんの著書「うまい日本酒の選び方」(税抜き13
  00円)の文章の一部を、担当者が書き換えてムック本「日本酒入門」(同500
  円)に無断で掲載した。 (略)葉石さんによると、ムック本の半分近くを自著か
  ら流用されたという。(塩原賢)》 (「ムック本に著作権侵害、2.5万部を回収
  セブンで販売」/「朝日新聞」 2015年10月28日)
 
 愚劣な教科書 (2)
そして、パクリ本騒動から1ヵ月後の2015年11月28日に枻出版社が発刊したのは、‘コーヒー’ではなくて‘カフェ’のムック本であった。改心なのか? 変心なのか?…《客が絶えないカフェの秘密を教えます》という惹句が付されているが、他人に教える前に自らのパクリ癖を絶やす極意を学んだらどうなのか?
 
『カフェの教科書』(エイムック3253/枻出版社:刊)
 
 愚劣な教科書 (3)
「芳醇なる珈琲の香りに誘われて。」(pp.4-7)
《…不安感すら漂う暗闇の異空間》や《華やかな暗さのロマンチシズム》というカフェは、‘新・3大 気軽には飲めないコーヒー’として知られる「伴天連」のような店なのだろうか?…《日常から非日常へ隔絶された異世界カフェ》では理解不能だから、気軽には飲めない。
 
「人気カフェには理由がある。」(pp.8-51)
《ビル一棟をまるごと改装》、《最後に茶葉をおひたし》、《大豆七変化》、《つまるところフランスパンばかり》、《固定のレシピを持たない》、《デザートだけのコース》、《朝食にこの上ないこだわり》、《文化住宅の再生》、《贅沢なサンドイッチ》、《スパイス料理》、《わずか5坪のスタンド》…興味深い店もあるが、どこまでがカフェで、どれほどの人気で、何が理由なのか? まるでわからない。
 
「カフェ空間学。」(pp.52-85)
アパート、倉庫、廃校、文学館、銭湯、ギャラリー、美術館…《カフェにとって、食べ物や飲み物と並んで大切なのが、空間》という割には、《無限の可能性》とか《アーティスティック》とか《時代の温もり》とか《コンセプチュアル》とか《レトロスペクティブ》とか《クラシカル》とか薄っぺらなコトバを並べているだけ。カフェの空間を学ぶというよりも、カフェの空疎を学ばされている気分になる。
 
「カフェ、マニアックス。」(pp.86-112)
閑話にもならない駄弁の寄せ集めを‘カフェ、マニアックス’などと括るとは、山内秀文氏や小山伸二氏に非礼であろう。本家(?)「カフェ・マニアックス」である彼らの話を聴いている方が余程ましである。少なくとも、《カフェ作りを考える》のであれば、《既存の飲食業界の常識を打ち破るアイディア》を貧相なエイムック『カフェの教科書』に求めるよりも、《小規模で強い店をつくる》を謳う『カフェ開業の教科書』(田口護:著/旭屋出版:刊 2013年)を読むべきであろう。
 愚劣な教科書 (4)
 
 《ところでいま“カフェ”をめぐって考えてみると、それは、たとえばS・ブラッドショー
  の『カフェの文化史』(海野弘訳)で語られているようなカフェ──つまり、人々が
  集まり時を“過す”場所というのとはまったく異なったカフェのあり方になって来て
  いることがわかる。時を“過す”というのは、時間(情報)の“消費”とは異なって
  いるからだ。 (略)そしてその変化は、カフェが、時を過す生活空間から、情報
  の消費空間へと変化してしまったことと重なっていると言えよう。つまり、都市空
  間のあり方によってカフェの意味は変化しているのである。 (略)そうしたカフェ
  は、新しいか否か、他では得られないか否かということだけが問題であり、また、
  その情報をどれだけ速く獲得できるかどうかが問題になる。ということは、誰も
  が知ってしまった時、情報としての価値がなくなってしまうのである。 (略)かつ
  て、量産品の商品が都市に溢れ、空間が商品化されることによって、遊歩する
  人間は、消費者として組織しなおされて行ったように、わたしたちは、情報空間
  化されたカフェが全面化する中で、速度を価値とする情報の経済の中に生きる
  消費者として組織されつつあるのだ。》 (柏木博 「情報化したカフェの消費」/
  『ユリイカ』1987年4月号:特集*喫茶店 滅びゆくメディア装置/青土社:刊)
 
枻出版社の『カフェの教科書』は、《人々が集まり時を“過す”場所というのとはまったく異なったカフェのあり方》を示している。それは、《誰もが知ってしまった時、情報としての価値がなくなってしまう》ような《情報の消費空間》としてのカフェである。悪いことには、《カフェ作りを考える》ような読者自体を商品化して消費するビジネスに加担するムック本でもある。『カフェの教科書』は、《客が絶えないカフェの秘密を教えます》どころか「読むに堪えないカフェの空疎を教えます」という、回収されるべき貧相で愚劣な‘教科書’である。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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