なぜよりのか

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2015 [2015年10月10日 01時00分]
『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(山田真哉:著/光文社:刊)が2005年に刊行されてバカ売れして以来、「〇〇は、なぜ〇〇のか?」という書名の本が氾濫した。この「なぜ・のか」本は、さらに「〇〇はなぜ〇〇より〇〇のか?」や「なぜ〇〇は〇〇より〇〇のか?」という書名の「なぜ・より・のか」本を派生させた。例えば、『なぜペットボトルの水は牛乳より高いのか』とか『なぜ被害者より加害者を助けるのか』とか『コハダは大トロより、なぜ儲かるのか?』とか『なぜ男は女より多く産まれるのか』とか『なぜ男は妻よりも美しくない女性と浮気をするのか?』とか『サルの小指はなぜヒトより長いのか』(改題)とか『なぜ男は女より早く死ぬのか』とか『ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか?』とか…そして、『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』という「なぜ・より・のか」のコーヒー本が登場した。
 なぜよりのか
 
『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』(川島良彰:著/ポプラ社:刊/2015年10月)は、『コーヒーハンター 幻のブルボン・ポワントゥ復活』(平凡社:刊 2008年)、『私はコーヒーで世界を変えることにした。 夢をかたちにする仕事道』(ポプラ社:刊 2013年)、『Coffee Hunting Note 100カップログ』(世界文化社:刊 2015年3月)に続く、川島良彰氏(ホセ)による4冊目のコーヒー本である。《本書では、これまでの私の経験を元に、日本のコーヒーの現状とこれからどのようにコーヒーが変わっていくのかを述べていきたいと思います》(「はじめに」pp.9-10)という、或いは《本書が、コーヒー好きの人も、コーヒーが苦手な人も、コーヒーについての正しい知識を得る機会になり、本当においしいコーヒーを飲んでみたいと思うきっかけになれば嬉しい限りです》(「おわりに」p.200)という、ホセの熱意は酌める。だが、書名である『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』という問いに真っ向から答えている、とまで私は言えない。
 
 《しかし、コーヒーに関しては、コーヒーの品質に関係なく、提供される飲食店の格
  に合わせて価格が設定されています。極端な例ですが、同じ品質の原料を使っ
  ていたとしても、コンビニでは100円、街のカフェや喫茶店では300~500円、
  高級ホテルや一流レストランでは1000円前後というようにです。 場所代だと割
  り切っている、雰囲気を愉しんでいるからコーヒーの味はどうでもいいという人な
  らまだしも、純粋にコーヒーを味わいたい人、おいしいコーヒーを飲みたい人に
  とっては残念な話です。》
  (「第1章 コンビニと高級ホテル、コーヒー価格の差はなぜ生まれるのか」 p.24)
 
 《コンビニのコーヒーを“ものさし”として身に付けた消費者が、専門店で5倍の価
  値を見出せるかということです。こうした状況で、何に価値を与えられるかが問
  われているような気がします。》
  (石脇智広 「対談 コーヒー市場が成熟するには」 p.188)
 
『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』は、その問いを自ら解こうとする過程で、その前提に大きな過ちを二重に含んでいる。一つには、「価格の差は品質の差に相関する(べきである)」という見識の誤りである。概して言えば、高級ホテルでコーヒーを飲む人は、《場所代だと割り切っている、雰囲気を愉しんでいるからコーヒーの味はどうでもいいという人》なのであって、それが《残念な話》ではあっても、《まだしも》などと切り捨てることはできない。《…「ホテルのコーヒーはなぜ高いのか」という問いの回答には、高めの価格設定による排除効果をつうじてのコーヒーを飲む場における雰囲気の確保がある》(井上孝夫 「ホテルのコーヒーはなぜ高いのか」 第1部 分析視点/『千葉大学教育学部研究紀要』 第61巻 2013年)という核心を捉えて考えれば、「高級ホテルのコーヒーは、コンビニコーヒーより品質が高くあるべき」という観念は全く意味をなさないのである。さらに重ねての二つ目は、「コーヒーが供される業態の違いを無視している」という誤りである。言うまでもなく、コンビニコーヒーは小売店業態が扱うコーヒーであり、高級ホテルのコーヒーは施設サービス業態が扱うコーヒーであって、いずれも喫茶店やカフェなどの飲食店業態が扱うコーヒーとは異なる。小売店業態である《コンビニのコーヒーを“ものさし”として身に付けた消費者》を前提に、コーヒー屋である《専門店で5倍の価値を見出せるか》という問いかけをすること自体が、産業の構造や業態の目的を顧みない粗暴かつ幼稚な発信であろう。
 
ホセが‘コーヒーハンター’として(同時に、石脇さんが‘コーヒー博士’として)、その確固たる立ち位置から「美味いコーヒー」を追究して、それを怠るコーヒー市場を叱咤する熱意は酌める。しかし、異なる業態が供するコーヒーを一括りにして論ずることは、ホセや石脇さんを崇めて《雰囲気を愉しんでいるから》述べられた論の精度は《どうでもいいという人ならまだしも》、《純粋にコーヒーを味わいたい人、おいしいコーヒーを飲みたい人にとっては残念な話》である。そこには、素材(生豆の品質や特性)の重視という熱意が滑って、コーヒーを供する最前列に位置する者を軽んずるかのような表現による‘戦術’の不味さ、と同じ臭いを感じる。『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』は、なぜ前著より誤解を招きやすいのか、というなぜ「なぜ・より・のか」のコーヒー本になってしまったのか?…このコーヒー本自体が、当に《こうした状況で、何に価値を与えられるかが問われている》と、私には思えるのである。
 
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コメント

スルメとイカ
珈琲我一部 URL [2015年10月10日 17時39分]

コーヒーがヴィバレッジと表現されるような多様性の時代。嗜好品のおいしさを論ずることは、木を見て森を観ず、に等しい様に感じます。焙煎豆を少し混ぜたインスタントもコーヒー、カラメル色素と香料で調整した液体もコーヒー、マシーンで抽出したのもレギュラーコーヒー、手縫いネルで抽出温度までこだわって数分かけてドリップしてもレギュラーコーヒー。嗜好品は自分の価値観との最大公約数で、セクハラみたいな感覚?(好意と反感のボーダーラインは感情のとらえ方)決まるのではないでしょうか?素材は一緒でも、TPOによっては味わいも提供方法も変化する。○○らしさ、モドキさえ遜色なければ、対価良しとする。イカソーメンに七味とマヨネーズは合わない!!因みにCVSコーヒーの素材はコマーシャルコーヒーの生豆よりグレード高いし、焙煎方法もカスタマイズしてますので、製造する側にとっては効率が悪い。

to:珈琲我一部さん
帰山人 URL [2015年10月10日 22時01分]

イカ糸造りには合わないと私も思いますが、スルメまでいかなくても一夜干しやゲソ焼きのマヨ七味を合わせる連中は数多いますね。全体(≒普遍)と個別(≒特殊)との境は曖昧ですが、嗜好品に関しては好悪だけではなくて、そもそもは善悪や正邪ですら普遍性を持たない、ということだと承知しています。(今回の本のように)他人に解き明かすための方便として、論の粗暴に胡坐をかいた話は、私にとっては気持ちの悪いものです。

No title
retrouve URL [2015年10月10日 23時55分]

最近近所に1匹焼のたい焼き屋が増えています。相承血脈や材料にもこだわっていると思いますが、お客様に対する職人の志のようなもの、伝統に対する感謝のようなもの、働く人の手が作り出す熱意のようなもの、それを大切にしつつ、でも大げさには構えず、たい焼きはたい焼きらしく振舞っています。昔の喫茶店のマスターのような面影があります。マスターの顔を見にちょっと遠回りしてみよう、と思います。たい焼きに向かう姿を見て、信頼し安心してご馳走になります。1匹150円くらい、1日何匹焼くのでしょう。コンビニのコーヒーは飲まなくてもコンビニは困らないだろうけれど、たい焼きは行ってあげないとたい焼き屋のマスター困るだろうな。

to:retrouveさん
帰山人 URL [2015年10月11日 12時21分]

天然物(一丁焼き)の鯛焼き屋が《増えて》いるとは、知りませんでした。コーヒー屋にも、精選して階級や点数を付して値付けの差で格付けすること、それを「多様性への招待」とか「市場の成熟」とか呼ぶような巷間の動向には、嫌悪感が募ります。そこには「排除」の姿勢が見え隠れしている。何かを「排除」するようでは、鯛焼き屋もコーヒー屋も生業は続かないだろうに。行き帰りに《遠回りしてみよう》が増えること、それを「多様性」と呼ぶのが本来じゃないか!

コモリ URL [2015年10月11日 23時18分] [編集]

帰山人さんコンバンワ。

<コーヒーの「美味い」と「高品質」と「高価格」は、どこまで連動一致するべきで、実際はどうなのか?…>

他人事ではないので、よく考えてみます。

ところで井上孝夫氏は、赤プリと山頂における飲料高価格の理由が「別の性格を持っている」と仰っていますけど、これ、ちょっと認識が甘いと思います。雰囲気って、実は一番「お金がかかる」と思うんです。場合によっては山の何合目までに飲料を運ぶコストより、はるかにかかると思います。
コーヒーカップ1個割ってしまうと、1日の売り上げがふっとぶようなお店もあるみたいですよ。笑

to:コモリさん
帰山人 URL [2015年10月12日 00時58分]

《ちょっと認識が甘い》という評は、ちょっと認識が甘い。強いて言えば、その前提に大きな過ちを二重に含んでいる。
一つには、井上氏は《「雰囲気」という効用を支える要因に「高い価格」がある》と考えている。つまり、高価格のために雰囲気に(店側の)《お金がかかる》話ではなくて、(利用者側に)お金がかかる「高い価格」で「雰囲気」を作っている話なのです。山のジュース問題には、これが当てはまらない。
さらに重ねての二つ目は、実質的な経費の仕分けを間違えている。仮に(赤プリなどの)店側が《お金がかかる》調度備品や什器食器で「雰囲気」を作っていても、それはFLRコスト外の経費である。対して、山のジュースは調達費用を含んだ売上原価としてFコストとして捉えるべきものだから、原価が高ければ「高い価格」に直接反映されるのは当然である。
コーヒーカップを割らなくても店自体がふっとぶことにならないように、もっとよく考えてほしい。

コモリ URL [2015年10月12日 06時01分]

ありがとうございます。(LとRに胡座をかかず)Fの複雑さについてとくと考えてみます。

to2:コモリさん
帰山人 URL [2015年10月12日 10時49分]

三省吾身

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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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