この日何の日 2

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2015 [2015年09月27日 01時00分]
この日何の日 コーヒーの日 事情も知れない日ですから 行方も知れない日になるでしょう
  この日何の日2 (1)
 
 《ICOは、昨年3月の理事会において、2015年から「10月1日をInternational
  Coffee Day」に制定し、ミラノ万博の10月1日にキックオフすることとしました。
  全日本コーヒー協会(全協)は1983年から「10月1日をコーヒーの日」と提唱
  しています。》
  (一般社団法人全日本コーヒー協会:Webサイト/「緊急ニュース 日本が国際
   コーヒー機関(ICO)に復帰!」 2015年5月18日)
 
あの頃の「コーヒーの日」
 
  この日何の日2 (2)
 一〇月一日「コーヒーの日」イベント 全国四箇所で、盛況に開催される
 《今年から一〇月一日を「コーヒーの日」と設定し、我が国でのコーヒー消費振興
  のより一層の推進を図ることになった。(社)全日本コーヒー協会では、これを
  記念して、一〇月一日に、東京、大阪、名古屋、福岡の全国四地域でイベント
  を開催した。各地域ともブラジル連邦政府コーヒー院より、一地域二〇〇〇~
  三〇〇〇名分(一人当たりコーヒー粉四〇グラム)のコーヒー豆が提供され、こ
  れが無料配布された。また、“コーヒーの日”クイズも併せて実施され、正解者
  にはコーヒーカップ、スプーン、コーヒーの苗木、協会刊行物「コーヒーボックス」
  などの商品プレゼントがあった。  その他、コーヒー“私のアイデア”募集、エッ
  セイ、フォト募集のチラシ配布、コーヒー啓蒙情報を提供するパネルの掲示、
  コーヒーにまつわる音楽を中心としたエレクトーンやバンド演奏など、盛り沢山
  の企画が展開され、これにコーヒーガールの面々が花をそえた。  東京地域
  のイベント実施場所は、銀座ソニービル・ソニースクェアで行なわれ、午前一一
  時開催を各媒体などで聞きつけたコーヒーファンの人々が、一一時前から集ま
  り始め、コーヒー豆の配布を得ようと、ソニービルを取り囲む長蛇の列を作った。
  また、銀ブラ中の人々も加わり、思わぬプレゼントに喜びの表情を見せていた。
  “コーヒーの日”クイズも盛況に執り行なわれ、大きなデコレーションのコーヒー
  カップが展示され、それにコーヒー豆を入れ、豆の数を当ててもらうなどの楽し
  い問題が出された。 それにしても、会場に集まったコーヒーファンは、正しく老
  若男女の取り合わせでコーヒー愛好者の層の厚さをまざまざと見ることができ
  た。  その他の会場は、名古屋が名鉄メルサ、大阪がなんばシティ、福岡が
  新天町商店街で行なわれ、各会場とも盛況裏に終った。》
  (「コーヒー・ルポ コーヒーは世界の友達」/『Coffee Break』vol.6 pp.37-38
   /全日本コーヒー協会機関誌 1983年10月25日発行)
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あの頃、1983年の日本における「コーヒーの日」は、《コーヒー消費振興のより一層の推進》を企図したものだった。では、何よりも《より一層》だったのか?
 
 《一九六二年に結ばれたコーヒーの国際協定では、過剰供給による国際相場の
  軟化を防止するために国別の輸出割当制度を導入し、加盟輸出国は枠内の
  数量しか輸出できないことになったが、一九六四年に加盟した日本は「新市場」
  として当分枠外のコーヒーを買ってもよい国に指定された。当然価格は枠内よ
  りも安く、輸出国にとっては余分な在庫負担を減らすことができるので、値段が
  安くても処分するほうがよかった。ブラジルはそのような枠外のコーヒーをストッ
  クしておくため香港に倉庫を建設し、注文に応じてただちに出荷できる体制を
  作り、日本向けに国際相場よりも割安なコーヒーの売込みを推進した。一九七
  六年に締結された第三次の国際コーヒー協定では、折からブラジルの大霜害
  で国際相場が暴騰していたため、輸出割当は停止されていたが、一九八〇年
  に再導入された割当制では、すでに日本が「新市場」のハンディを失ってはい
  たものの、消費促進のため輸出国からICOを通じて振興資金を受けとることと
  なった。 そのため日本のコーヒー業界では、資金受け入れのための基盤強
  化が必要となり、それまで任意団体だった組織を一九八〇年に社団法人に改
  組するとともに、自分たちもkg一円ずつ拠出して、全国的な消費振興事業を展
  開することになった。》
  (山田早苗 『珈琲入門』 pp.54-55/日本食糧新聞社:刊 2005年)
 
実は、1983年に「コーヒーの日」を制定する3年前、つまり社団法人へ改組した1980年より、全日本コーヒー協会は振興資金を消化する策の一つとして京阪神地区を中心に「コーヒーフェア」を毎年に催していた。その内容は、ポスター配布や新聞・ラジオで宣伝して、吹奏楽やダンスやコーヒー豆試供を催すものだった。だが、フェアに参加したロースターや喫茶店などからは「販促効果がない」と批難の声が相次いでいた。そもそも、このような振興活動は、1980年以前の日本が「新市場国」であった時代にも行われていたのであり、「コーヒーフェア」にも目新しさは既に失われていたのである。
 
 《全協創立五年の昭和四五年(一九七〇年)に、遂にコーヒー豆輸入一〇〇万
  袋が実現した。(略)コーヒー消費振興活動も、この頃が最盛期で、ICOが我が
  国の消費に刮目し、資金も倍額の五〇万ドルに達し、振興事業の内容も、ICO
  のトバ宣伝部長を招いて、国際親善ショー、ミスコーヒーコンテストなど、多彩な
  行事がなされた。》
  (富沢太蔵 「珈琲三〇〇万袋への胎動」/『Coffee Break』vol.6 p.20/
   全日本コーヒー協会機関誌 1983年10月25日発行)
 
つまり、1983年の全日本コーヒー協会には、任意団体であった約13年前の《コーヒー消費振興活動も、この頃が最盛期》を超える「何か」、社団法人となってから始めた「コーヒーフェア」の不評を超える「何か」が欲しかった。これが、《より一層》だったのである。そして、その「何か」が…「コーヒーの日」だった。しかし、その中身は前掲の通りに、使い古して独創にも新奇にも全く欠けたプログラムである。それでも、ICO(実際にはWCPC:世界コーヒー振興委員会)を通じて受けとる輸出国からの振興資金と供出品を捌く「何か」が必要であった。たとえそれが、(かつての大正時代と同じ構図で)ブラジルから貰い受けた処分品の無料配布でも。たとえそれが、大阪会場では「コーヒーの日」が「第3回京阪神コーヒーフェア」の一部に過ぎない扱いだとしても。…これが、《全日本コーヒー協会(全協)は1983年から「10月1日をコーヒーの日」と提唱》していた実態である。あの頃の「コーヒーの日」は、足掻きく苦しんで生み出された名目、消費振興の手段として掲げられた、それ以上でもそれ以下でもない「何か」だった。
 
この日何の日 コーヒーの日 事情も知れない日ですから 行方も知れない日になるでしょう
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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