雑誌に雑思2

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2015 [2015年09月08日 01時00分]
雑誌『dancyu』(ダンチュウ)2015年10月号(プレジデント社:刊)のコーヒー特集は、「コーヒー カフェラテ エスプレッソ」である。以前の『dancyu』2013年2月号のコーヒー特集は、「コーヒー カフェオレ エスプレッソ」だった…ん~♪ビミョーにちがうのよ。もっとも、2013年2月号での「オレ」部分と2015年10月号での「ラテ」部分は担当したライターが同じ山村光春氏で、今般の章題は「オレのラテ」(pp.58-65)…ん~ビミョーに駄洒落で引きずっている?
  雑誌に雑思2 (1)
 
駄洒落といえば、厚顔にも《知事の駄洒落も面白くないと思う。実は私は反駄洒落主義者と言っていいくらい駄洒落が嫌いで…》と記している木下古栗氏の「鳥取スタバ狂想曲、その後。」(pp.92-98)については、私もはっきり言ってやりたい…‘モモい出(思い出)’とか‘シュナバ(修羅場)’とか「駄洒落、まったく面白くないですよ」と。金は払わないけれど素手で殴らせてくれないか?
 
  雑誌に雑思2 (2)
「街と人と喫茶」(pp.26-37)…ふ~ん。あ、「トラム」載ったかぁ。 「ドリップ大実験」(pp.42-47)…《何かもうひと声、選ぶための目安があればいいのに》で、《迷ったら、見た目で選ぶのもアリ》とは酷い、つまらん。 「アイスコーヒーという領域」(pp.48-55)…《焦げた苦味のあるコーヒーが好きならば深煎りを飲んでみる》なんて、つまらん、というか話にならん。 「辺境からコーヒー」(pp.71-83)…《人も少なければ、公共の交通手段もない》って‘辺境’というよりも‘僻地’と言いたいのか?「マスカル珈琲」も?無理過ぎだろ。 「コーヒー味をめぐる冒険」(pp.102-105)…ん~ビミョーに田口護氏の「コーヒーをめぐる冒険」(2013年2月号 pp.16-19)を引きずっている?泉麻人氏のエッセイ、特集随一だな。
 
『dancyu』2015年10月号において最も興味深いコーヒー話は、特集「コーヒー カフェラテ エスプレッソ」(pp15-107)なんかじゃない。巻末近くに置かれた話、角田光代氏による「おいしくなくても、いいのだ。コーヒーであるならば」(連載「私的読食録」No.101)である。角田氏は、「コーヒーという平凡な異界」と文頭に掲げて、松浦寿輝氏の短編小説「並木」(『もののたはむれ』収載/新書館:刊)を取り上げている。
 
 《現実からするりと抜け落ちたような時間を、そこで味わう。味わっているのはその
  奇妙な時間であり感覚であり、コーヒーではない。そもそもこのお店のコーヒーは、
  とくべつおいしそうには描かれていない。(略)そもそも語り手は、「並木」に、コー
  ヒーを飲みにきているのではないのだ。私たち読み手を、ふと奇妙な場所へ連れ
  ていくのは、コーヒーの味ではなくて、語り手が見つけたちいさな看板と、ドアだ。
  この短編は、読み終えるとじわりとこわくなってくる。(略)『並木』がこわいのは、
  するりと抜け出た先が異界のようでも幻惑のようでもなくて、やけにどうどうとした
  日常っぽさだ。》(p.172)
 
思わず笑ってしまう…だって、この「コーヒーという平凡な異界」のこわいところは、角田光代氏の短編小説にも感じられるから。例えば、『ドラママチ』(文藝春秋:刊)とか…
 
 《中央線沿線の色々な「マチ」を舞台にした角田光代さんの傑作短篇集だ。テーマ
  はずばり「待つ女」。(略)『ドラママチ』の女性たちは子どもを授かることや、男性
  のプロポーズや、生活のはなばなしい変化や、姑の穏便な死などを待っていると
  思いこんでいるものの、いざ心の奥を覗いてみれば、そこには、ときにがらんどう
  の薄闇がうっすらと狂気を孕んで広がり、ときに自分も知らない人間が現れる。
  待つという行為に沈潜する女たちの心の蓋を、角田さんはじわりじわりと開けて
  みせる。温かみのなかでときおり背筋をひんやりとさせる角田文学の真骨頂だ。》
  (鴻巣友季子「解説」/角田光代:著 『ドラママチ』 文春文庫)
 
松浦寿輝氏が描いたコーヒー店「並木」は、根岸界隈でも山手線寄りにあるという設定の架空の存在であるが、角田光代氏の『ドラママチ』には実在するコーヒー店が登場する。「ヤルキマチ」には高円寺の「カフェ アパートメント」が、「ワタシマチ」には荻窪の「邪宗門」が、「ツウカマチ」には西荻窪の「物豆奇」が、「ゴールマチ」には国分寺の「でんえん」が、「ワカレマチ」には吉祥寺の「ボア」(2007年9月閉店)が、描かれている。私に言わせれば、どの店のコーヒーも《とくべつおいしそうには描かれていない》。『ドラママチ』だって、「コーヒーという平凡な異界」のこわい話なのである。類をもって集まる、ということだろう。
 
そういえば、以前のコーヒー特集号である『dancyu』2013年2月号では、角田光代氏による「さみしいからこそかっこいい」(連載「私的読食録」No.71)が載っていた。コーヒーは「孤独がいちばん似合う飲みもの」と掲げて、角田氏はレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』(村上春樹:訳/早川書房:刊)を取り上げていた。大坊珈琲店の閉店に絡めてオオヤミノル氏が「ロング・グッドバイ 大坊珈琲店」(『dancyu』2014年2月号)などと吐く、その1年も前のことである。これが、《やけにどうどうとした日常》の「ロング・バケイション 大坊珈琲店」(p.17)に繋がってくるのか?…《じわりとこわくなってくる》話だ。だから、雑誌『dancyu』を読んだ限りでは、《おいしくなくても、いいのだ。コーヒーであるならば》などと私は雑に思う。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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