調法な人を悼む4

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2015 [2015年07月13日 01時00分]
長田弘は、《唯ぼんやりした不安──そう書きのこして芥川龍之介が自ら亡くなったのは、関東大震災から四年後の夏。》(『なつかしい時間』 あとがき/岩波書店:刊)と記した…。《ここにあるものだけれど、ここにはないもの。ここにはないものだけれど、ここにあるもの。わたしが書きたかったのは、そのような詩であり、そのような詩集だ。》──そう『長田弘全詩集』(みすず書房:刊)の「場所と記憶」を春彼岸に書き下ろして、長田弘が死去したのは、東日本大震災から4年後の晩春、2015年5月3日…その日、故郷の福島は揺れた。
 調法な人4 (1)
 
 《ひつようなものは わずかなもの。 ひつようが愛だ。  窓。 屋根。 青。  
  もう一杯のコーヒー。 二ど読める本。 三色の巷。  言葉。 白い紙に 
  黒い文字。》
  (「ひつようなもののバラッド」抄/『言葉殺人事件』 1977年)
 
 《男は誌した。「水道の蛇口からガブ/\水をのみたい。子どものやうに
  食べものを食べたい。甘いものがほしい」  「…ビスケット、バタボール、
  白チョコレート、コーヒー、シロップ、…」 戦争にいった男の遺した、
  戦争がくれなかったもののリスト。》
  (「戦争がくれなかったもの」抄/『食卓一期一会』 1987年)
 
 《何かとしかいえないものがある。 黙って、一杯の熱いコーヒーを
  飲みほすんだ。 それから、コーヒーをもう一杯。 それはきっと
  二杯めのコーヒーのなかにある。》
  (「何かとしかいえないもの」抄/『食卓一期一会』)
 
 《ありふれた町の通りすがりのカフェがいい。 朝の光りが古いテーブルを
  清潔にしている。 ともあれ熱いコーヒーと一本の煙草。》
  (「ハッシュド・ブラウン・ポテト」抄/『食卓一期一会』)
 
 《「死ぬまえにコーヒーをくれ」 銃殺された砂漠の革命家の言った言葉を
  おもいだす。「コーヒーを沸かす間も待てないだろう、 急ぐひと絶望する
  ひとは。 ぼくは絶望しないし、急がない」 一杯のコーヒーの熱いかおり
  が好きだ、 濃いトルコ・コーヒーの。》
  (「トルコ・コーヒーの沸しかた」抄/『食卓一期一会』)
 
 《街の通りを歩いてゆくと、コーヒーの香りがしてきた。 コーヒーの香りが
  好きだ、と老人は言った。家の階段で  誰かがコーヒーを炒っていると、
  隣人たちは扉を閉める。 けれども、わたしは部屋の扉をおおきくあける
  んだ。》
  (「孤独な散歩者の食事」抄/『食卓一期一会』)
 
 《帰りに、花屋に寄って、クレマチスを買ってかえろう。そして、熱いコーヒーを
  淹れて、ゆっくりと飲もう。退屈をたのしむには、花とコーヒーと新しい時間を
  くれる古い本があれば、いいのだ。》
  (「クレインさんの古い詩集」抄/『心の中にもっている問題』 1990年)
 
 《何よりいいコーヒー屋を見つけること。扉を押す。空いた椅子に座る。すると、
  その街がずいぶん会わなかった友人のように思えてくる。いいコーヒー屋の
  コーヒーには、その街の味がある。  ちがった街の一日のはじまりには、
  朝の光りと、朝のコーヒーがあればいい。知らない街の気もちのいい店で、
  日射しにまだ翳りのある午前、淹れたてのコーヒーをすする。》
  (「ルクセンブルクのコーヒー茶碗」抄/『記憶のつくり方』 1998年)
 
 《「いったいいつ、きみは単純であることを楽しむようになるだろうか」  いまに
  までのこされたそんなまっすぐな質問をまえにして、こたえようもなく、ただ
  黙って熱いコーヒーを飲む。コーヒーには砂糖も、ミルクも入れてはいけない。
  マルクス・アウレーリウスを読みたいときは、濃く淹れたブラック・コーヒーに
  かぎる。》
  (「みずからはげます人」抄/『記憶のつくり方』)
 
 《何でもないもの。 朝、窓を開けるときの、一瞬の感情。 熱いコーヒーを
  啜るとき、不意に胸の中にひろがってくるもの。 大好きな古い木の椅子。》
  (「わたし(たち)にとって大切なもの」抄/『死者の贈り物』 2003年)
 
 《深煎りのコーヒーのいい匂いがする。 児孫のために美田を買うな。 
  暮らしに栄誉はいらない。 空の見える窓があればいい。》
  (「窓のある物語」抄/『世界はうつくしいと』 2009年)
 
 《苦いエスプレッソを、 わたしはゆっくりと啜る。 古くからの寺の本堂の、 
  静かな屋根瓦がうつくしい。》
  (「クロッカスの季節」抄/『世界はうつくしいと』)
 
長田弘の詩には、コーヒーがある。熱いコーヒー、濃く淹れたコーヒー、深煎りのコーヒーがある。特に詩集『食卓一期一会』では、「アップルバターのつくりかた」に《コーヒー袋に穴あけた服を着た》ジョニー・アップルシードを登場させて、「ダルタニャンと仲間たち」で《陽気で豪気な四人の若者が知らなかったのは、コーヒーの味、市民という言葉、大革命、だった》と顧みて、「まことに愛すべきわれらの人生」で《生き甲斐は夕暮れのコーヒーハウス、一杯のコーヒーと四枚のホットケーキ》の老人ピクウィックを描いて、「働かざるもの食うべからず」で《新しいパン一切れ、ミルク・コーヒー》を夢みるピノッキオを嗤って、「こうして百年の時代が去った」で《ちっちゃなコーヒー茶碗》を死者の席に供している。他にも、長田弘の随想には、カイロやアメリカでのコーヒーの現象が描かれ、また、ジュジュの好きなタンポポのコーヒーやボブ・ディランの「コーヒーもう一杯」などコーヒーの心象がある。長田弘の詩や随想に、コーヒーはなくてはならないものだ、と言っては言い過ぎだろうか?
 
 《なくてはならないもの。 何でもないもの。なにげないもの。 ささやかなもの。
  なくしたくないもの。 ひと知れぬもの。いまはないもの。 さりげないもの。
  ありふれたもの。 もっとも平凡なもの。 平凡であることを恐れてはいけない。 
  わたし(たち)の名誉は、平凡な時代の名誉だ。》
  (「わたし(たち)にとって大切なもの」抄/『死者の贈り物』)
 
 《けれども、今日の世界にとっての問題は、その平凡な真実こそがいまでは
  むしろもっとも得難い真実になってしまっている、ということです。》
  (「風景という価値観」/『なつかしい時間』)
 
 調法な人4 (2)
長田弘は‘コーヒーのある風景’を言葉で書き表して死んだ。その《死者の贈り物》である言葉の風景は、コーヒーにとっても大切なものだろう。今日のコーヒーにとっての問題は、《その平凡な真実こそがいまではむしろもっとも得難い真実になってしまっている》から…。2012年に死した西尾忠久、2013年に死した大河内昭爾、2014年に死した赤瀬川原平らに追じて、コーヒーを追究する者にとって調法な「文化人」の死に、哀惜の意を表する。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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