三粋人珈琲問答 手滴篇

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2015 [2015年01月10日 05時00分]
「春夜宴珈琲屋序」(春夜珈琲屋に宴するの序)…‘天地は萬物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。浮生は夢のごとし、歓をなすこと幾何ぞ。珈琲の芳園に会し、経綸の楽事を序す。’…コーヒーに関連する各界の代表3人、天堂堀丸・金洞剛造・益田鳥楠が、とあるコーヒー屋でコーヒーを喫しながらコーヒーを奇しく論ずる…夢幻の鼎談か?
 
天堂堀丸(てんどう・ほりまる)
動物界の代表。ヒト(脊索動物門 哺乳綱 霊長目 ヒト科 ヒト属 ホモ・サピエンス)である。世界スペシャルティコーヒー協会(WSCA)の理事。
 
金洞剛造(かねほら・ごうぞう)
植物界の代表。コーヒーノキ(被子植物門 双子葉植物綱 アカネ目 アカネ科 コーヒーノキ属)である。本名は「コフィア・カネフォラ・ロブスタ」。
 
益田鳥楠(ますだ・とりぐす)
菌界の代表。コーヒーさび病菌(担子菌門 サビキン綱 サビキン目ヘミレイア属)である。本名は「ヘミレイア・ヴァスタトリクス」。
 
 
天堂「ある雑誌で‘ニッポンのハンドドリップ珈琲店’という特集をやっていて、そこ
   には《まるで生き物のように粉が膨らんでゆくハンドドリップの様子を眺めて
   いると、「私のための一杯」をいっそう強く感じる》と記されていた(※1)。ボ
   クも、その通りだと思う。このハンドドリップこそ、日本人の‘おもてなし’の心
   を示すものであり、また、海外のサードウェイブコーヒー店が日本のコーヒー
   文化を崇敬して取り入れた具体的な例でもあり、つまり日本が自らにも世界
   に向けても誇るべき抽出方法だ…」
 
金洞「それは違う。まず、‘ハンドドリップ’などという意味不明の和製英語を流行
   らせた罪、そこを考えていない天堂さんの見解は笑止だ。だいたいワシから
   言わせれば、‘ドリップ’という語の本来は、器具の底部からコーヒーのエキス
   が滴り落ちる様を示しているのであって、《まるで生き物のように粉が膨らん
   でゆく》などと、粉の上面に湯を注ぐ様をして‘ドリップ’などとイメージさせる
   から、‘ハンドドリップ’なんてバカバカしい造語が生じた。注湯に目を向ける
   ならば、‘ポアオーバー’の方が…」
 
益田「天堂さんも金洞さんも手前勝手な解釈は慎んでいただきたい。‘ドリップ’
   の本義がどうであれ、日本のコーヒー業界では‘透過’による抽出と一体で
   捉えてきたのでしょうが。注いだ湯を貯留させて浸漬する場合は、抽出の最
   後に濾しとる場合(※2)でも、‘ハンドドリップ’とは言わない事例が多い。湯
   を手で注いで、度合いはともあれ連続または断続して‘透過’させる、そうい
   う曖昧で判然としない抽出を、‘ハンドドリップ’とオレは言いたい。筋の通ら
   ない話を誇ることこそが、笑い種で…」
 
天堂「いや、ボクは‘ハンドドリップ’という言葉の定義付けをして誇りたいのでは
    ない…」
  
金洞「ならば、日本がどうで世界はどうだなどと煽情的に語ることは、ワシには低
    劣と…」
 
益田「いや、天堂さんたちヒトには、オレたちと違って種を超えた普遍の視点が
    無い…」
  
天堂「ですから、ボクたち人類がコーヒーを通じて社会のあり方や将来を考える
   際にも、‘ハンドドリップ’をするように、時にじっと息を詰めながら、時にふ
   うっと息を吐きながら、じっくりとゆっくりと慮っていきたい。そうした姿勢に、
   文化の薫りを感じることもステキな贅沢かと。あ、‘ハンドドリップ’だけに、
   ‘贅沢は手滴(シュテキ)だ’…」
 
益田「天堂さんは、洒落も下手なようだ。ヒトという生き物は、自分たちの抱える
   矛盾について目を背けないで、《じっくりとゆっくりと》沈思黙考することすら
   できないのだな。例えば、日本独自の‘文化の薫り’とか唱える前に、自国
   の少子化を騒ぎ、世界の人口爆発を解けない、そんなサスティナビリティの
   矛盾を自覚すべきだとオレは…」
 
金洞「そこは益田さんに概ね賛同する。‘ハンドドリップ’が持て囃されるという風
   潮には、解決すべき課題を抱えた事象を個に細分して目先で捉えて大局を
   見ない、そんな思索の矮小化がワシには感じられる。当然の絶望から目を
   背け、偽りの‘希望’にすがるようなヒトという種こそが、地球から自らの手で
   滴り落ちて滅びるべきかと…」
 
  ※1 季刊『珈琲時間』2015 Winter 2月号(大誠社) 
  ※2 いわゆるフレンチプレス、加えてクレバーなどによる抽出
 
 
 
天堂堀丸・金洞剛造・益田鳥楠の鼎談は、コーヒー屋の閉店時刻が迫って散会した…「焙豆持作羹 漉粉以為汁 皮在釜下燃 豆在釜中泣 本自同根生 相焼何太急」‘豆を焙ってもって羹(あつもの)と作(な)し 粉を漉してもって汁と為す 豆皮は釜の下に在りて燃え 豆は釜の中に在りて泣く 本は同根より生ずるに 相焼くこと何ぞ太(はなは)だ急なる ’…さて、七歩のうちにコーヒーは泣くか笑うか? 冷めたコーヒーだけが残った。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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