調法な人を悼む3

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2014 [2014年12月20日 01時00分]
2013年に、「コーヒーがゆっくりと近づいてくる。」を読んで『ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展』を観た2014年10月26日、赤瀬川原平(本名:赤瀬川克彦)が死去した。
 
 《コーヒーをみんなブラックで飲みはじめたのは、いつごろからだろうか。自
  分も同調しようとしたが、やはり何も入れないとちょっと苦すぎてつらい。
  砂糖をほんの少しでも入れた方が、コーヒーの苦みがすなおに味わえる。
  そう気がついてからは、ブラックで飲むのはスタイルではなく、味わうため
  だと自覚して、ブラックには砂糖を少し入れてしまう。》 (赤瀬川原平 「コー
  ヒーがゆっくりと近づいてくる。」/全日本コーヒー協会『Coffee Break』
  〈コーヒーブレイク〉vol.75/2013年5月31日)
 
 《ボクの先生の赤瀬川原平さんは、コーヒーに砂糖を入れないのは「ガイジ
  ンである」と思っている。イギリスなまりで英語をしゃべるようなことだ、と
  思っているのである。実際にボクが見たガイジンは、コーヒーに砂糖を入
  れる、しかもムヤミに大量に入れることが多いんだけど。(略)赤瀬川原平
  さんとは、大勢で名曲喫茶などに入り、競争で「汚ない話」をしあったりし
  た。逸脱に逸脱を重ねるダジャレ大会も、脳ミソの訓練になっていたと思
  う。毎回、お酒を飲んで終電で帰っていたが、出来のいい冗談は喫茶店
  でしていたものの方に多いようだった。》 (南伸坊 「喫茶店に関してあれ
  これ」/『ユリイカ』1987年4月号:特集*喫茶店 滅びゆくメディア装置
  /青土社:刊)
 
《コーヒーに砂糖を入れないのは「ガイジンである」と思っている》赤瀬川原平は、コーヒーに砂糖を入れるので「ガイジンではない」。だが、実際のガイジンは《コーヒーに砂糖を入れる》ので、赤瀬川原平もまた「ガイジンである」。いや、《ムヤミに大量に入れる》のではなくて、《砂糖を少し入れてしまう》赤瀬川原平は、少しだけガイジンだったのかもしれない。ゲーリー・トマソンはガイジンなので、超芸術トマソンを発見した赤瀬川原平にもガイジンが伝染(うつ)ったのだろう。そもそも、伝統や慢性に反する前衛美術家はガイジンである。少しガイジンだった赤瀬川原平は、重宝にも、時代の悪役であり、日常の助っ人であった。
 
 調法な人3 (1)
 《そこで棒渦巻きギャラクシーの問題であるが、私はそれまでアンドロメダ星
  雲のようなふつうの渦巻きギャラクシーについては納得していた。前にも
  二、三書いたことだが、その実験装置はコーヒーである。コーヒーにまず
  砂糖を入れて(最近は知的な人々の間で砂糖やミルクを入れない飲み方
  が流行っているが、あれではギャラクシーが見えない)、そしてスプーンで
  ゆっくりとかき回す。それからそのあと、ミルクを一滴、スロン……。みなさ
  ん当然ながら目撃していることでしょう。黒褐色のコーヒー宇宙に白いミル
  クが何本も尾を引きながら、くるくる回転して渦巻きギャラクシーを形成し
  ていく。それは私たちが夜空に仰ぎ見るアンドロメダ星雲にそっくりであり、
  私たちの銀河系もほぼそれと同じ形状だと説明されている。(略)だから
  棒渦巻きギャラクシーの存在は不可解だった。渦巻きの中心がどうすれ
  ば棒状になるのか。コーヒーとスプーンとミルクの関係をどう加減しても、
  渦巻きの中心に棒状のものはあらわれなかったし、だいいち考えてみて
  も湯の全体が回転しているのだから、その中心が円形にこそなれ、棒状
  になるはずがないと思う。(略)にもかかわらず、宇宙には棒渦巻きギャラ
  クシーが数多く発見され、その形状がちゃんと撮影されている。(略)やは
  りコーヒーカップの考えでは及ばぬような力が巨大宇宙にはあるのだろう
  かと、いささかがっかりした気持になったのである。でも間違いだった。そ
  れは単にコーヒーカップの限界なのだった。(略)しかし私は朝のお茶を玉
  露園の梅昆布茶に変えたのである。その第一日の一杯目だったか二杯
  目だったか、そのカップの中に棒状渦巻きを見たのだった。(略)あっと思っ
  た。棒状渦巻きギャラクシー。特殊ではなかった。目の前にある。(略)ま
  ず湯呑みを揺すって梅昆布茶の回転を引き起こすのであるが、棒状のあ
  らわれ方というのは、球状に固まる梅昆布質が伸びて棒状になるというよ
  り、球状のそれに白湯が双方から食い込んできた結果棒状になる、いわ
  ば球状の物質群に周囲の空間が食い込んできて物質が棒状になる、と
  いう印象である。これにはハッとした。空間の力というものを感じたからだ。
  というのも、宇宙の構成が空間の力によっているらしい、との発見がある
  からである。》 (赤瀬川原平 「空虚に沿って物質は分布する」/『ユリイカ』
  1987年3月号/『科学と抒情』青土社:刊 に収載、後に新潮文庫で刊行)
 調法な人3 (2)
赤瀬川原平の関心は、一見すると、コーヒーではなくて、砂糖やミルクに向いているようだ。特に、《黒褐色のコーヒー宇宙》に‘スロン’と入れた《白いミルクが何本も尾を引きながら、くるくる回転して渦巻きギャラクシーを形成》する様に執心した。その考察には問題もある。実は、《私たちの銀河系》も《棒状渦巻きギャラクシー》であるという、《特殊ではなかった。目の前にある》ことを見逃していた。また、アルベルト・アインシュタインの「茶葉パラドックス」(ティーカップ問題)にも連関する、回転流体の境界層の作用に触れていない。ここで見出すべきは、‘トマソン’ではなくて‘エクマン’だったのだが…。それでも尚、容器の中で回転するコーヒーや梅昆布茶を観察して、まるで銀河系の境界層ともいうべきハローに在るダークマターを示唆するかのように、《空間の力というものを感じた》赤瀬川原平は凄い。
 
 《科学と抒情というのはコドモ心の二大勢力である。あるいはコドモ心のコド
  モをシロート、アマチュアといい替えてもいい。(略)科学と抒情といった場
  合、科学というのは必要側に属し、抒情というのは必要以上側に属する。
  つまり必要線という基準があるとして、その線までが科学の分野で、その
  線以上のはみ出しが抒情の分野だ、ともいえる。》
  (赤瀬川原平 「文庫版のためのあとがき」/『科学と抒情』 新潮文庫
  1992年)
 調法な人3 (3)
赤瀬川原平はコーヒーについては《シロート、アマチュア》であったが、その驚異の観察眼と面白味で、コーヒーの本質へと迫っていた。如何にすれば《コーヒーの苦みがすなおに味わえる》か…という本質へ。赤瀬川原平の関心は、実は、砂糖やミルクだけではなくて、コーヒー自体へも向いていた。赤瀬川原平が「《科学と抒情》の人」であるのかは関知しないが、「洞察と諧謔にはみ出した人」とでも称するべき異才であったと想える。それはコーヒーに関しても例外でない。2012年に死した西尾忠久、2013年に死した大河内昭爾、彼らに追じて、コーヒーを追究する者にとって調法な「文化人」の死に、哀惜の意を表する。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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