常軌を逸する

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2014 [2014年12月01日 01時00分]
やれやれ、同病相憐れむというべきか、或いは同属嫌悪というべきか…いや、ちょっと違う。中根光敏氏が著した『珈琲飲み 「コーヒー文化」私論』(洛北出版:刊)…常軌を逸している。
 常軌を逸する (1)
 
 「美味しさを探し求め」 評者 雑賀恵子=評論家
 《社会学者が珈琲の豆のことや飲み方、珈琲や喫茶店の文化や歴史につ
  いてなど、あれこれ四百ページもの本を書くのだから、よほど珈琲が好き
  なのだろう。と思ったら、珈琲好きとは公言しないそうだ。珈琲を勧められ
  たり貰ったりしてもほとんどの豆は腐っているので捨てざるを得ないから
  だという。微生物による腐敗ではなく酸化している豆を「腐る」というのは
  あんまりな気もするが、それほど市販の豆はダメらしいのに驚いた。ネッ
  ト販売の廉価豆をコーヒーメーカーで大量に作りおきし、一日に十杯近く
  飲む評者のようなバカ舌にはわからない。  だが、趣味が昂じて本を書
  いたのかというほど、通の蘊蓄を傾けて近寄りがたいものではない。むし
  ろ、珈琲というものを追いかけて古今の資料を蒐集、各地の名店を行脚
  し、居着いて修業し、はては海外の産地まで巡る姿に、ここまでするかと
  求道的なものさえ感じる。「嗜好品とは生存に不可欠ではないが、ないと
  淋しいもの」という定義があるが、そもそも著者は珈琲がない世界には生
  きていたくない、それほどまでのものが嗜好品だと考えているのだ。追い
  求めるほどに、至高の美味しさとはなにかという疑念が湧き、思索の森
  に迷い込む。  ページの余白に時折ちょろりと顔を出すジャコウネコの
  イラストの謎も読めばわかる、遊び心溢れる造りの本である。》
  (2014年10月19日 『中日新聞』 書評)
 
いやいや、『珈琲飲み』は、(雑賀恵子氏には済まないけれども)《評者のようなバカ舌にはわからない》のであろうが、《通の蘊蓄を傾けて近寄りがたい》臭いがかなりするコーヒー本。コーヒーの愛好家、研究者、そしてコーヒーで儲けている商売人にとって、(皆おもて向きや口先では何と言おうと)ある種の‘空恐ろしさ’が感じられるであろう。それは、《古今の資料を蒐集》している量以上に、その読み込んだ様(さま)が凄まじいから…《ここまでするか》という程、資料とされた本の著者や発言者ら自身ですら思ってもいないところを引きずり出し、徹底して論ずる中根氏の姿勢には‘嫌味’すら感じる。もっとも、『珈琲飲み』の文面自体は、社会学者らしい態(てい)を保っているので、鳥目散帰山人のような俗っぽい嗜虐丸出しの‘嫌味’を一読では感得できない。この点が、《バカ舌にはわからない》‘空恐ろしさ’なのだ。《常軌を逸するのはここからである》(『珈琲飲み』p.14)、《本書は、たまたま珈琲に魅了されたことによって、決して尋常とは思われないような羽目に陥った、極私的経験をもとに書かれた》(同p.15)と著者自身が言っている…だから、‘嫌味’も常軌を逸しているのである。
 常軌を逸する (2)
 
 《…いつも問題になることであるが、そばには「そば」「ソバ」「蕎麦」という三
  種類の表記法がある。本書では、植物としてのそばを「ソバ」とし、製麺段
  階での生地や麺となったそばを「そば」と表記し、引用などの特別な場合
  以外は「蕎麦」という漢字は充てていない。》
  (石川文康 『そば打ちの哲学』 ちくま新書 p.10/筑摩書房:刊/1996年)
 
 《まず、本文中で多用されている「珈琲」と「コーヒー」という語句の使い分け
  についてであるが、「カップに注がれた飲料としての珈琲」と「農作物とし
  てのコーヒー」とをイメージして使い分けている。》
  (中根光敏 『珈琲飲み 「コーヒー文化」私論』 p.26)
 
店をめぐり歩き、やがて職人が作り出す工程に手を出して、修練しつつ思いつめ、さらには原料生産にまで遡って追究する。それを、哲学者の石川文康氏は蕎麦でやり、社会学者の中根光敏氏は珈琲でやる…よく似ている、と私には思える。いちいち語用にまで‘ことわり’を入れてからでないと、論を披歴しないところもソックリ。コレが、学究肌の‘通’なのか? ‘通’とか‘マニア’とか‘オタク’とか‘狂’とか自らも好事家を気取る輩は、他にも掃いて捨てるほどいるが、自己顕示に強くて自家撞着に甘いという特徴は、『珈琲飲み』も逃れられない。
 常軌を逸する (3)
 
 《けれども、あるテレビ番組で、「コーヒーを飲むと肝斑(シミ)が消える」とい
  う類いの話を、日本のコーヒー業界を代表する某氏が、シミだらけの顔で
  力説している姿を見て、やっぱり見苦しいからやめようと思った。》
  (『珈琲飲み』p.17)
 《自家焙煎珈琲店巡りを始めて、先のラーメン屋と似たような事情で、珈琲
  の味が落ちている場面を何度も目の当たりにした。典型的な事例を一つ
  紹介しよう。(略)深煎りの焙煎で、湯を注ぐ際、ネルを上下しながら回転
  させるという抽出法だった。》 (同p.301)
 
中根光敏氏が著した『珈琲飲み』は、ここでは常軌を逸していない。批難の先を匿名にして逃げているところが、‘通’の珈琲飲みとしては半端であって、《やっぱり見苦しい》のである。「常軌を逸する」ということは、「常道を外れる」ということであり、つまり「外道」を覚悟するということなのである。中根光敏氏には「外道」を認める覚悟があるのか? つまらない半端だ。まぁ、それでも尚、稀有な切り口のコーヒー本としては、常軌を逸した存在か? ちょっと違う。
 
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コメント

No title
しまなかろう URL [2014年12月04日 11時44分]

帰山人様
ご無沙汰しております。
さて、この『珈琲飲み』ですが、ランブル店主に紹介され、
さっそく読みました。なかなかの力作です。文章も抑制が利いていて品がいい。著者は文章家でもありますね。

ボクも本の中で少しく〝いじられ〟てますが、嫌味な感じはしませんでした。よく拙著を読み込んでいますから。

この本を読んでまっ先に思ったのは、「虚を突かれた」という感じでした。寡聞にして著書の中根さんという学者も知りませんでした。

虚を突かれたのは自分ではなく、帰山人閣下や旦部先生ではないかと思います。ボクとしては中根さんが書く前にお二人に書いてほしかった。それだけの素養と蓄積があるのですから。これからはコーヒー業界の〝3バカ〟ではなく〝4バカ〟になりそうな雲行きです。くるくるぱー度が最高位の帰山人閣下も、いよいよタイトル保持がきびしくなってきたようです。

ランブル一派にやさしい中根さん、オールドコーヒーにも温かい眼差しを注いでいます。ランブル店主にとっては、
突然の救世主出現であります。これからますます面白く
なりそう。

to:しまなかろうさん
帰山人 URL [2014年12月04日 18時36分]

労師、中根氏の『珈琲飲み』は、‘シロウト’が書いたコーヒー本として目下で最高峰だと存じます。それ故に「虚を突かれた」のは、コーヒー業界において地位と名誉と権勢を争っている連中でありましょう。出し抜けに現れる伏兵や穴馬、3バカが4バカどころか5バカ・6バカ…と現れるかもしれませんナ。
だいたい‘通’とか‘マニア’とかいう好事家は、傍からは鼻持ちならないスノッブと相場が決まっている…それを中根氏は《抑制が利いていて品がいい》筆華で飾ってしまった。そこが、私には‘嫌味’と感じたワケです。もっとも、天才焙煎士とか珈琲博士とか自称するスノビズムよりは、ずっとマシかもしれません。
私は私で、「あぁオレはますます道を外れて好き勝手に行けるなぁ」とホッとした、というのが本音です。

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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