まちづくらない2

ジャンル:ライフ / テーマ:ひとりごと / カテゴリ:あ・論廻 [2014年10月22日 01時30分]
「久屋大通再生プロジェクト」と称して、《栄から新しい名古屋が始まります》などと痴れ言を言う連中がいる。「まちづくらない」という発想を持てない限りは、再生や持続は無理だ。
 
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2014年10月19日、「1000人から始まるNAGOYAムーブメント」催事の一つである建築家の槇文彦氏による基調講演「パブリックスペースについて」を中区役所ホールで聴く。だが、槇氏がプレゼンテーションで示した題は、「世界の広場 日本の広場」だった。好いではないか。アテネのパナシナイコ競技場(紀元前6世紀に木造で建てられ、紀元前329年に大理石で再建、19世紀後半にエバンゲリス・ザッパにより修復、1896年に第1回オリンピック競技大会の主会場となり、2004年の第28回オリンピック競技大会ではマラソンのゴール会場となり、野口みずきが金メダルを獲得した競技場)と、霞ヶ丘の新国立競技場(ザハ・ハディド案による建て替え予定)とを比較して、「ギリシャ対日本、競技場に関しては45対0、45は全て日本のオウンゴール」とする槇氏。好いではないか。曰く、「高齢化が進み、生産年齢人口が減少する日本に、新国立競技場のようなバカげたものをつくることは許されない」と。講演会の冒頭で、「2020年には東京オリンピック、2027年にはリニア開通で…」などと息巻いた主催の公益社団法人名古屋青年会議所の輩には、好い面の皮だ、いや、ざまぁみやがれ!「孤独は私の故郷である」(ニーチェ)。
 
2014年10月19日、飯島洋一氏の著『「らしい」建築批判』(青土社:刊/2014年)の高島直之氏による書評「生活支える目的置き去り」を中日新聞で読む。好いではないか。
 
 《書名の「らしい」とは、ある建築家が独特の表現スタイルをもっていることにお
  いて、その作家「らしい」独自性を指す。その「らしさ」がブランドとなり世界の
  富裕層に流通して設計依頼が集中し、ついには人々の生活世界の基盤を支
  えるはずの建築本来の目的を忘却していくとしたら…。(略)ここでは、建築を
  「技術と普遍性」から捉えるのか、あるいは「独創と唯美性」に仮託するのか
  という、歴史的な背景をもつ対立構図が浮かび上がってくる。東日本大震災
  での仮設住宅にいまも八万人以上が暮らしている現在において、本書の批
  判は説得性に満ちている。建築界内部の話題に終わらせずに、一般の人々
  の中で議論されることを願うものである。》 (高島直之:評)
 
槇文彦氏の講演を聴いた後に、久屋大通公園へ。約四半世紀前に飯島洋一氏が著した『37人の建築家 現代建築の状況』(福武書店:刊/1990年)をベンチに座り読み返す。
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 《ザハ・ハディドは、実作らしい実作をいまだに持たない建築家である。(略)い
  やむしろ、彼女の本質は、このように綿密、かつドラマチックに描かれたドゥ
  ローイングにこそあるといっていい。(略)こうした異様なほどの遠近感は、彼
  女の眼がすでに、機械の視点に占領されつつあることを予感させる。“メディ
  ア時代の視覚”とでもいおうか、人間の機械化、ロボトミー化とこの事実は、
  どこかで深いつながりがあるだろう。》
 《そうした虚構のセットの中で、どこか醒めた演技者のごとく、無表情に、生きる
  意味を喪失したかのように浮遊しているのが、ほかならぬ現代の私たち自身
  なのだ。少なくとも、彼らポストモダンの建築家たちは、私たちに作品を通じて、
  その問題を指し示そうとしているように思えてならない。(略)ポストモダニズム
  は確かに一つの飽和を迎えているが、それが背後に持つ状況が大きく変化し
  ないかぎり、これから二十一世紀にかけて、まだまだ都市はフィクショナリティ
  を深める方向に向かいそうである。しかしそれは必ずしも好ましい方向とはい
  えないだろう。すべてがディズニーランドのように舞台装置と化した都市に、
  人々の住処がつくりかえられてしまうからだ。そのような中で、新しいリアリティ
  の復権がなされることは果たして可能なのだろうか。》
  (飯島洋一:著 『37人の建築家 現代建築の状況』)
 
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四半世紀を歴(へ)ても、《まだまだ都市はフィクショナリティを深める方向に向かい》続けている。東日本大震災の被災地である東北でも、オリンピックを招致してロボトミー化する東京でも、そして、許されざる者が「久屋大通再生プロジェクト」を掲げる名古屋でも…。だが、《すべてがディズニーランドのように舞台装置と化》さぬように、再生と持続を望み、「まちづくらない」提案は私にもできる。久屋大通を再生したければ、今あるリバーパークの並木道を南北1.7kmの公園全てに貫き通すこと。他には何もいらぬ…公園で想った。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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