分子調理で考えるコーヒー

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2014 [2014年07月07日 01時00分]
コーヒーについて考えるに、これまでワインの本カカオ・チョコレートの本紅茶の本からも捉えてきたが、今般は分子調理の本より考えて…まぁ、チョットだけ考えてみる。有益か?
 分子調理で考える珈琲 (1) 分子調理で考える珈琲 (2)
 
『料理と科学のおいしい出会い 分子調理が食の常識を変える』(DOJIN選書059)
(石川伸一:著/化学同人:刊)
 
《少しでもおいしい料理を実現するための、分子調理の世界へようこそ!》(そで惹句)と誘う本書は、Webサイト「分子調理ラボ」やBlog「夜食日記」を運営する石川伸一氏の好著である。錯誤やトンデモの少ない、科学の目で飲食物や料理を見たその著述は、コーヒー本における名著『コーヒー「こつ」の科学 コーヒーを正しく知るために』(石脇智広:著/柴田書店:刊)にも似寄る。その好様の最たるは、著者の内儀である繭子氏が描き寄せたイラストである。楽しくも読みやすい『料理と科学のおいしい出会い 分子調理が食の常識を変える』は、今2014年を対象期間とした「第6回 辻静雄食文化賞」に推されるべきである、と思う。
 
 《◎物質の三態~相転移!?による「吸うコーヒー」の登場~ 料理の相を
  変えるという発想 (略)また、大変興味深い試みとして、コーヒーやチョコ
  レートの成分をタバコのように“吸って”楽しむという「ル・ウィフ(Le Whif)」
  という商品が登場しています。(略)固体の粒子を気体中で分散させたエ
  アロゾルで「食」を提供するもので、せき込まないような粒子の大きさや量、
  容器などが工夫されています。コーヒーは飲むもの、チョコレートは食べ
  るものという概念を変えたある意味衝撃的な製品です。》 (pp.124-127)
 
本書でコーヒーについて直接に言及しているのは、上記の「吸うコーヒー」の話だけである。確かに「ル・ウィフ」は面白いが、《コーヒーは飲むもの、チョコレートは食べるものという概念》自体は、地球上の特定の地域で歴史上の特定の時代以降に居着いた概念であり、古くは(或いは今でも)「食べるコーヒー」が存在するし、また「チョコレートは飲むもの」だった。それが何故なのか、過去の《料理の相を変えるという発想》が経済や政治や宗教によって影響されてきたことも実相である。このように、本書『料理と科学のおいしい出会い』に無い視座を加えながら読んでみると、今後のコーヒーの《相を変えるという発想》も解けるかも…
 
 《米粒は粒ごとに成分が違う 新潟魚沼産のコシヒカリなどがブランド米とし
  て有名なのは、同じ品種の米であっても、産地が異なればその味に違い
  があるという背景によります。この産地によって米の味に違いがあること
  を認識している方は多いですが、同じ土地で育った同じ稲穂の一粒一粒
  の成分が、粒ごとにかなり違うことを知っている方は決して多くはないで
  しょう。(略) そのため、私たちが食べているお茶碗の中のごはん粒は、
  味にかなり大きなばらつきを持った集団であり、私たちはそれらの平均
  でおいしさを判断しているといえます。
  「不均一」のおいしさ もし、そのばらばらな性質のご飯粒を均一な集団
  に分けることができ、さらにすべて均一に炊くことができたら、それらのご
  はんはどのような味がするのでしょうか。(略) 食感に違いがなくなること
  によって洗練され、エッジの効いたごはんになる可能性がある一方、のっ
  ぺりとした平坦でおもしろみのないごはんになるかもしれません。(略)
  毎回私たちがひと嚙みひと嚙みしている食感が均一ではないことが、ご
  はんの「抑揚のあるおいしさ」を生み出しているのかもしれません。》
  (pp.191-192)
 
本書において上記の「不均一のおいしさ」の話は、つい‘米粒’を‘コーヒー豆’に置き換えて読みたくなる。コーヒー豆も《一粒一粒の成分が、粒ごとにかなり違う》だろうし、そのため私たちが飲んでいるコーヒーも《味にかなり大きなばらつきを持った集団》であろうし、均一にした原料豆(スペシャルティコーヒー?)を均一に抽出(フレンチプレス?)すると、《エッジの効いた》コーヒーになる可能性がある一方で、《のっぺりとした平坦でおもしろみのない》コーヒーになるかもしれない…などと。だが、面白くも危険な置き換えである。捉え違えてはならないことは、著者である石川氏が《かもしれません》としている「不均一のおいしさ」の仮想がコーヒーに通ずる証左は何もないのであり、短兵急に結論付ける浅慮は避けるべきである。だが、その先に《「抑揚のあるおいしさ」を生み出している》コーヒーを探りたくなる気は残る。このように、本書『料理と科学のおいしい出会い』は、読んでいるうちにコーヒーへと置き換えて考えてみたくなる話題がアレコレ登場する、ある意味‘罪つくり’で衝撃的な著作である。
 
 分子調理で考える珈琲 (3)
さて、「分子調理の世界」は厄介でもある。著者が、《「小麦粉を野菜で包んだ餃子」というものを思いつきました。どうでしょう、つくってみませんか「逆餃子」?》(p.43)などと言っているので、かなり苦戦しながら私なりの「逆餃子」をつくってみた。結果として、最も衝撃的だったことは、餃子の皮(小麦粉+水)の分量は通常の餃子の4分の1で済むが、逆に餃子の餡(野菜+肉)の分量は通常の4倍必要になったことである…「分子」で考える前に、「分量」を考えないとエライ目に合うコトがわかったゾ。さらには、「分子調理の世界」は愉快でもある。著者が、「吸うコーヒー」の登場を紹介していたので(前述)、私は私なりの「食べるコーヒー」をつくってみた。いわば超ドライカプチーノからミルク分を除いた状態、つまりはコーヒー液の‘espuma’(エスプーマ:泡)だが、フェラン・アドリアなどと違って専用器具もボンベも不要。「逆餃子」は《おいしい出会い》ではなかったが、「食べる泡コーヒー」は《おいしい出会い》だ。
 分子調理で考える珈琲 (4) 分子調理で考える珈琲 (5) 分子調理で考える珈琲 (6)
『料理と科学のおいしい出会い 分子調理が食の常識を変える』で考えるコーヒーは…愉快!
 
コメント (6) /  トラックバック (0)

コメント

No title
y_tambe URL [2014年07月07日 18時54分] [編集]

コメの場合の不均一さは、口の中に入れたときの味の感じ方に影響する一方で、すでに抽出を終えたコーヒーの場合、口の中に入れる段階では、そうしたタイプの不均一さは存在しないと考えるべきでしょう。

#まぁキサンジン氏はわかりきっていることだとは思いますが、それは多分コーヒーへの適用が想像以上に危険な置き換えになりかねないので、一応、釘を刺す意味で教科書的にコメント。

焙煎や抽出の段階での不均一性が「おいしさ」につながりうるかどうかという点については、普通のレベルでは『均一性が問える』ほど均一な状態は現実には存在せず、むしろ不均一さから来る弊害の方が多いのが現状かと。
ものすごく衛生環境が悪くて、消毒や手洗いをまず訴えるべき状況下で、「手を洗いすぎると皮膚のバリアが…」とか言うのと同じくらいにナンセンスだと。思考実験としてなら面白いっちゃ面白いんですけどね。

to:y_tambeさん
帰山人 URL [2014年07月07日 23時28分]

あぁ、巷のコーヒー屋が称えそうな我田引水を改めて牽制してくれてありがとう(笑)
ただね、焙煎や抽出の不均一な現状が《弊害の方が多い》と言い切れるのは、いわゆる「良いコーヒー」論でのことだろう、とも。「悪いコーヒー」を「おいしい」と思う人人が意外と多いという一種の(社会病理的?)嗜癖を、私はナンセンスと片付けきれない。嗜好を思考しようとする限りは、数字や記号のみでは解けない現状がある。(本には示されていない)そこらへんまで考えてこそ面白いんだナ。

No title
y_tambe URL [2014年07月08日 00時49分] [編集]

>>焙煎や抽出の不均一な現状が《弊害の方が多い》と言い切れるのは、いわゆる「良いコーヒー」論でのことだろう、とも

いや、そういう話をしてるではありません。僕は極論としての「良いコーヒー」論を支持はしてはいません。同様に「悪いコーヒー」を「おいしい」と思うという説も極論としないかぎり非難はしません。「程度の問題」に、どこで線を引くのか、という話。

「不均一さと均一さ」、どちらも極端に走ると「おいしくなくなる」というなら、その途中のどこかに「ピーク」がありうる。そのピークに近づくために、「今の現状」を出発点とした場合、均一さを求める方向に動くべきなのか、不均一さの方向に動くべきなのか、そういう問題です。そしてこの「今の現状」は、既にスクリーンその他のでの「均一さ」に向かっていて、それで今のレベルなのだから、という、そういう話。

それと、あと「ばらつきの分布」「起きるべくして起きる偏り」と、ただの「不均一さ/ノイズの多さ」を混同するべきではない、とも。
ばらつきの分布を把握し、場合によってはそれを整え(=均一な方向に向かい)、さらにそのばらつきの状況に即して焙煎抽出を行うという高度な手法は賞賛しますよ…というか、バッハの焙煎理論でも次の階梯ですし、ばらつきに対するアプローチは違えど、帰山人さんも基本となる考え方は同じだろうと思ってますので。

to2:y_tambeさん
帰山人 URL [2014年07月08日 23時44分]

相変わらず手厳しいなぁ(笑)…チョット変化球。
‘社会病理的’と言った。「今の現状」は、コーヒーを嗜好する者のごく一部が《既にスクリーンその他のでの「均一さ」に向かっていて、それで今のレベル》だ、と私は捉えている。残りの大多数は、「良い/悪い」も「不均一さ/均一さ」も、どちらへも動いちゃいない(つまり思考実験すらしていない)、と捉えている。
『コーヒーおいしさの方程式』では、田口さんが(昔ながらに)《「よいコーヒー/わるいコーヒー」と定義すれば…》と、巻頭でかまして全篇突っ切っている。『料理と科学のおいしい出会い』では、石川さんが《おいしい料理の解明や新しい料理の開発には、科学のメスがはいっています》と、巻頭でかまして全篇突っ切っている。主観を廃して客観で解き明かす方向に動いている名著ですら、題名に「おいしさ(おいしい)」と騙る「不均一性」からは逃れられない。
「良い/悪い」も「不均一さ/均一さ」も、《「程度の問題」に、どこで線を引くのか、という》主観を廃しては当に‘お話にならない’、と私は捉えている。それでも尚、《基本となる考え方は同じ》ならば、それはそれで幸甚ではある。

No title
じょにぃ URL [2014年07月09日 11時29分] [編集]

帰山人さん。
液を凍らせてカキ氷やスムージーにすればとか考えたのですが
じゃぁパピコ食えよってなりそうとか勝手に考えてました(笑)
昨今の雑誌の珈琲特集が落ち着いたと思ったら今度は漫画ですね。
夜の珈琲と僕はコーヒーが飲めない。
最近見つけたのが純喫茶ねこです。
内容はさほどコーヒーは出てこないのですが話の合間の珈琲の説明が押し付けがましくなくて好感がもてました。
帰山人さんがフレーバーさんの動画で話されていた関口さんの本も買いました。アマゾンで定価で買えましたがすでに中古で7000円の値が付いてます。タッチの差でした。

to:じょにぃさん
帰山人 URL [2014年07月10日 16時28分]

むぅ、そこはパピコっていうよりも、「ガリガリ君食えよ」って感じだな。いずれにしろ、その程度じゃフェラン・アドリアを超えることができない!(←超える必要があるんかいな?:笑)
アマゾン中古は品切れや絶版に関わらず、いきなりふっかけるケースが多い。やだねぇ…

この記事にコメントする

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://kisanjin.blog73.fc2.com/tb.php/702-d8eb3ffd
編集

kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

09 ≪│2017/10│≫ 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
Powered by / © Copyright 帰山人の珈琲漫考 all rights reserved. / Template by IkemenHaizin