サブフォーへの道程~(7)続・慢心の代償は痛すぎた

ジャンル:スポーツ / テーマ:マラソン / カテゴリ:走の記:サブフォーへの道程 [2009年01月07日 00時00分]
(承前)

 その後はややペースを落とし、18マイル表示直前の簡易トイレで用を足す。
 再び走り始めた直後に異変が襲った。先に言った村上春樹の失敗談の状態だ。
 但し、彼の場合との違いは、クランプ(有痛性痙攣)が両脚の上腿下腿全ての
 筋肉で起こったこと。そして、歩けるまで回復する事無く、意志に反してリタイア
 になってしまったこと。道路にしゃがみこんだ当初は再び立ち上がるつもりだった。
 しかし、筋の収縮する変形と激痛は増すばかりで、20分たっても直らない。
 それどころか再び降り始めた雨を浴びて体が冷え、腕の指先までブルブルと
 震えて止まらない。レースカーが近づき、大丈夫かと何度も声がかかる。
 2回程はOKと答えたが、その後は症状が悪化して応答の声も出ない。
 ドクターカーが呼ばれ、棄権を促される。嫌だと首を振るが、痙攣したまま体が
 動かないので、結局毛布に包まれ担架で車に載せられた。車内のドクターに
 マッサージを受け、筋収縮は少し和らいだが、痛みは相変わらずだ。
 うなって震えてしまう。アスピリン(この錠剤が大きい)の服用を勧められるが、
 拒否する。ゴール地点横の救護テントまで運ばれ、更にストレッチを受けると
 嘘のように痛みが引いていく。

 両脇を体格の良い白人男性2名に抱えられて入った救護テントから、30分後には
 自力で歩いて出た。目の前を完走者が次々にゴールしてくる。疲れきった笑顔と
 汚れた足元がゴールラインを通るたびに、完走者への祝福よりも自分の惨めさを
 感じてしまう。そして、失敗の度合いは村上春樹より悪かったが、その原因はまた
 同じであった。「…失敗の原因ははっきりしていた。走り込みの不足・走り込みの
 不足・走り込みの不足。これに尽きる。エクササイズの絶対量が足りず、体重も
 落とし切れていなかった。42キロくらい、適当にやっていればなんとしてでも
 走れるさ、という傲慢な思いが知らず知らず生まれていたのだろう。健康な自信と、
 不健康な慢心を隔てる壁はとても薄い…」

 帰路の機内での読書から、当たり前だがこれまで明確に捉えていなかったことを
 意識させられた。それは、自分が走った過去のフルマラソンも成功ではない、
 ということだ。村上春樹は「マラソンは走る競技であって、歩く競技ではない」と
 言い切って走り続けてきた。だから先の失敗談でも彼は完走(完歩?)したが、
 失敗としている。前2回のフルマラソンとも30キロを超えて一時的に歩いた自分は
 何なのだ。つまり、村上春樹に言わせれば、未だにフルマラソンを走ったことは
 無い、ということになる。マラソンの完走をどう捉えるかは、人それぞれに様々
 だろう。だが、慢心の失敗者には痛くも正当に響く基準である。

 2008年1月13日、帰国から中1日置いて、地元・春日井の10キロレースに
 参加した。もう、走ること自体を全部止めようか…OCマラソンの後、そう思った
 瞬間もある。今後もあるかもしれない。だが、「走って」フルマラソンを完走する
 目標はどうする?あきらめるか、チャレンジするか?…とりあえずの答えは、
 レース参加のきっかけとなったこの10キロレースを再び走って考えよう、と。
 45分で走った。過去2年間のレースは忘れて、フルマラソンに「初」挑戦しよう、
 そう思いながら9回目のレースのゴールラインを通過した。
 
 
2008年1月6日
『OCマラソン』 フル
タイム 無し ※18マイルで棄権 DNF
 
2008年1月13日
『第26回 新春春日井マラソン』 10K
タイム 45分02秒
 
コメント (0) /  トラックバック (0)

コメント

この記事にコメントする

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://kisanjin.blog73.fc2.com/tb.php/7-e45b947f
編集

kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

07 ≪│2017/08│≫ 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
Powered by / © Copyright 帰山人の珈琲漫考 all rights reserved. / Template by IkemenHaizin