花束は無用

ジャンル:ライフ / テーマ:ひとりごと / カテゴリ:あ・論廻 [2014年06月23日 01時30分]
最近はめっきりとSFを読まなくなったが、かつては毎号買っていた『SFマガジン』が2014年7月号で700号を数えた。その記念アンソロジーとしてハヤカワ文庫SFから出た『SFマガジン700』の【国内篇】(大森望:編)と【海外篇】(山岸真:編)を読んだ。古様は懐かしく、今様は面白い。
 
映画『ゲノム・ハザード』を観て「花束は誰のため?」などと言っていたら、ダニエル・キーズが死んでしまった(2014年6月15日没)。ジャック・サドゥールの言、《ヒロシマの原爆投下以来、SF界の内部では、方向転換の必要性が感じられるようになっていた》(『現代SFの歴史』)を思い出す。
 
 《それほど親しいわけではない人の家へお邪魔した時、その家の本棚や、レコー
  ド棚が無性に見たくなる。悪い癖である▼どんな音楽を聴き、どんな本を読ん
  できたのか。その人の「世界」を確かめたい。本棚にピンク色で花束の絵が描
  かれた表紙の本を発見する。『アルジャーノンに花束を』。ホッとし、この人との
  距離が一気に縮まる。「あなたも」▼一九八〇、九〇年代に青年期を過ごした
  人間にとって、あの本を読んでいる人ならば信じてもいいという「会員証」のよ
  うな存在だった気がする。だから人にも薦めたくなる。その米作家ダニエル・
  キイスさんが亡くなった▼幼児ほどの知能しか持たないパン屋さんの店員が
  脳の手術で天才に変わる。これ以上筋は書けぬが、SFの巨匠アシモフが「ど
  うやって思いついたか」と質問したほど、書かれたこと自体が奇跡とも思える
  物語。キイスさんの答えもいい。「私にも分かりません」。神様がこの世に贈っ
  てくれたのか▼日本での発行部数は三百二十万部。早川書房で最も売れた
  本はチャンドラーやクリスティではなく、「アルジャーノン」である。日本での人
  気は小尾芙佐(おびふさ)さんの名訳のおかげもある。ヒントは放浪画家の山
  下清さんだったという▼ついしん。どーかついでがあったら、アルジャーノンの
  ほんをよんでみてください。ついしん。ダニエル・キイスに花束を。》
  (「中日春秋」/2014年6月19日『中日新聞』朝刊)
  花束は無用 (1)
《この時期のアメリカSFは「洗練された科学技術的要素」の強調から「未来の社会構造」の探求へとその重心を移動させた、というのがアジモフの主張である》、《「科学への懐疑」と「未来の不安」がテクノロジーに批判的なSFを求めはじめた、というのがサドゥールの主張である》(『SFとは何か』)
 
それにしても「中日春秋」のダニエル・キーズ追悼記事は、あまりにダサい。まあココは同じ新聞誌でも文芸批評に長けた「大波小波」に期待しよう、と思っていたら、俗っぽさと野暮ったさで引けを取ってしまう記事が出た。それも、キーズ追悼より先にH・G・ウェルズをネタにした説教だ…酷くて泣ける。
 
 《憲法解釈を勝手に変更しようとする前代未聞の為政者がいる。憲法は時の権
  力者を縛るもの。立憲主義はどこへいったのか。世界に冠たる日本国の平和
  憲法だが、淵源(えんげん)の考え方はあまり知られていない。それは「SFの
  父」とよばれたH・G・ウェルズ。『タイムマシン』などの作品で知られる彼は、一
  八九〇年代から一九〇〇年代にかけてイギリスで活躍した。社会活動家とし
  ても行動し、フェビアン協会に加入。第一次世界大戦後に国際連盟設立を提
  案し、まだ核が開発されていない時代に核戦争による恐怖を描いた。また武
  力や戦争の放棄を各国首脳に訴え、これが憲法九条の考え方の源になった
  のである。そのウェルズについて、映画監督の岩井俊二が、新装版の眉村卓
  『なぞの転校生』(講談社文庫)の解説で、先見性と想像力を熱く語っている。
  なぜなら岩井の企画・プロデュース、脚本で同名のテレビドラマが今年の一月
  から深夜枠に十二回連続で放送され、このたびDVDとなって発売されたから
  だ。岩井は原作を超えて、プロメテウスの火という暗喩で、科学が発達し滅亡
  した地球を描く。SFは昔から全体主義の危険に警鐘を鳴らしてきた。いま、ウェ
  ルズから学ぶことは多い。 (透明人間)》 (「大波小波」/2014年6月21日
  『中日新聞』夕刊)
  花束は無用 (2)
《一九〇三年、フェビアン協会に加わったウェルズは一九〇六年にはその主導権を握ろうとして失敗、一九〇八年にはそこを脱退している》、《希望に満ちた野心家からペシミスティックな懐疑論者に至る彼の足跡は、二十世紀前半の知のありかたを代表していたと言えるだろう》(『SFとは何か』)
 
率直に当て推量で言えば、「中日春秋」も「大波小波」もコラムニストらはSFの愛読者とは思えない。その視座が肯定的であれ否定的であれ、その主意が文化的であれ政治的であれ、SF自体をろくすっぽ読みもしない連中の文章は、SFの愛読者には容易に嗅ぎ分けられる。彼らに花束はそなえられない。
 
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コメント

No title
しらちゃん URL [2014年07月03日 23時45分] [編集]

うざったいコラムの転記おつかれさまでした(苦笑)

私も『SFマガジン』を読んでいました。30年以上前ですけれど。これと『奇想天外』があったところへ『SF宝石』とか『SFアドベンチャー』とかが創刊されたSFの黄金時代を思います。黄金時代とは言っても雑誌の数が多かっただけですが。いまでも良く読み返すのはスタニスワフ・レムの『ソラリス』ぐらい。SFからうとくなってしまいましたよ。。。

to:しらちゃん
帰山人 URL [2014年07月05日 12時04分]

ハハ~ン、どうも同じような時に同じようなもんを読んでいたんだナ。どうりで物事を斜から眺めてアーダコーダと言うクセも同じように…(以下略:笑)
《しかし、私は、驚くべき奇蹟の時代はまだ永遠に過去のものとなってしまったわけではない、ということを固く信じていた。》

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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