調法な人を悼む2

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2013 [2013年09月03日 01時00分]
「大坊珈琲店」より閉店予告の葉書が届いた2013年8月15日、大河内昭爾が死去した。
 
 [最後の文壇人] 《それで思い出したのは大河内昭爾の、吉村昭論を中心
   にした『わが友 わが文学』(草場書房)である。『文士の友情』もそうだが、
   こんなタイトル自体を身をもって謳えるのは、世代としては彼らが最後で
   はないだろうか。》
   (「大波小波」学芸員/2013年8月15日『中日新聞』夕刊)
 [文学を楽しみ 人生を楽しんだ人] 《本紙八月十五日夕刊の「大波小波」
   に、安岡章太郎の遺著『文士の友情』を紹介したコラム「最後の文壇人」
   が載ったが、そのなかで大河内昭爾の『わが友 わが文学』についても
   言及があった。(略)この文章が載ったその日、奇しくも大河内昭爾が八
   十五年の生涯を閉じていたのである。(略)この小さな偶然に私はしばら
   く考え込んでしまった。(略)…約二十年、彼の仕事ぶりを間近に見るこ
   とになったのだが、その文学好き、人好き、座談好き、遊び好きぶりには、
   いつも驚きを超えて畏敬の念をもって“伺候”してきた。》
   (勝又浩「追悼・大河内昭爾さん」/2013年8月22日『中日新聞』朝刊)
 [食と人とを愛した文人] 《下戸ながら食には一家言あり、話術にも長けた、
   交友範囲の広い文壇人として有名だった。(略)長く腎臓を患い、透析生
   活のなかでも油物、塩、キッコーマンの醤油を好み、夫人に叱られてい
   ると、『季刊文科』の中で語っている。(略)反時代的で「鈍」な濃い味の
   文学を求めつづけた。鹿児島生まれの人らしく、プルーストのマドレーヌ
   は自分にとってはさつま揚げだ、という名言(?)も思い起こされる。》 
   (「大波小波」純と鈍/2013年8月21日『中日新聞』夕刊)
 [大河内昭爾の情熱] 《一九八一年から二〇〇八年まで、勝又浩、松本徹、
   松本道介らと組んで『文学界』の名物企画「同人雑誌評」を担当し、埋も
   れた才能の発掘に努めた。(略)それが今では「われわれの存在意義は
   全国の年輩の同人作家たちが多少、批評を期待しているだけだ」と大河
   内が言う通りの状況だが、それでも彼の情熱は衰えず、文芸誌『季刊文
   科』まで創刊した。》
   (「大波小波」旧世代/2013年8月24日『中日新聞』夕刊)
 
『季刊文科』の編集委員によるコラム「砦」で、大河内昭爾はアノ味覚雑誌を回視している。
 
 [「食」の雑誌] 《味覚雑誌「食食食」(季刊)の佐々木芳人編集長が六号で
   雑誌を手放したのに代わって、一九七六年、にわかに編集をまかせられ
   た私は、雑誌からあらためて食通の概念を払拭することを第一義とした。
   「あさめし・ひるめし・ばんめし」をタイトルにしていた雑誌は、もともと食
   通志向は稀薄だったが、私はことさらそれに対して挑戦的編集をめざし
   た。食通のかけらもないように「食いしん坊の雑誌」を強調した。小島政
   二郎氏が人気のエッセイ「食いしん坊」を連載していたので、味覚案内
   に加えて文壇噺を積極的にとりこんで貰った。「食食食」に加担したのも、
   刊行もとだけでなく、小島政二郎氏の要請があったからだった。そして十
   年、四十五号で一応終刊とした。》 
   (『季刊文科』43号/鳥影社:刊/2009年1月)
  調法な人2 (1)
 
『食食食』〈あさめし・ひるめし・ばんめし〉の36号は、極めて調法で旨いコーヒー本である。
 
  《私がはじめて珈琲店らしい珈琲店へ入ったのは戦後すぐの昭和二十二、
   三年頃のことだ。新宿は紀伊国屋がまだ平屋か二階建てで、伊勢丹前
   の本通りからずっと奥にひっこんだ空地に、焼け跡から再建したばかり
   の頃、その細い路地左側に「丘」という、それこそ小さい、カウンター中心
   の珈琲店があった。案内して貰った先輩に何やらコーヒーの講釈を聞き
   ながら、絵かきなんぞの風体のそこのご主人の手つきに神妙に見入っ
   ていたはるかな記憶がある。その頃コーヒーを飲むということは非常に
   贅沢なことだった。》
   (大河内昭爾「ぷうす・かふえ」/季刊『食食食』〈あさめし・ひるめし・ば
   んめし〉36号 特集「珈琲 コーヒー こおひい」/みき書房:刊/1983年)
 
  《正真正銘のコーヒーの味、というのは、正真正銘の文化の香というよう
   なものであろう。ただ美味いとか不味いとかいわないで、正真正銘の、
   などといい出さなければならぬところが、珈琲という飲み物のただならぬ
   ところである。その頃、つまり昭和二十二、三年頃、私は友人と三人で
   毎日のように、新宿の紀伊国屋書店に入る小路の角にあった、丘という
   喫茶店にいた。(略)五十円だと、普通のカップに入った珈琲が出てくる。
   六十円出すと、それより二分の一くらい小さなカップに入った特別のが
   出てくる。これが美味だった。珈琲とはまさにかくのごとし、とでもいった
   品があった。一口含むと、柔かく、深く、微妙に口中に溶け、浸透してゆ
   くようなコクを感ずる。そして、そのコクの奥から、やがて真剣の銘刀み
   たいなものが現われて一閃する、といった感じなのである。(略)ホロリと
   苦く、しかし甘さの蠱惑を持ち、円やかで、かつ切れ味がする。》 
   (秋山駿「珈琲の想念」/季刊『食食食』 前掲号)
 
  調法な人2 (2)
この『食食食』〈あさめし・ひるめし・ばんめし〉36号で、編集長でもあった大河内昭爾は、編集後記「ぷうす・かふえ」の他に、吉祥寺「もか」より始まり荻窪「琲珈里」で終わる贔屓のコーヒー店案内「武蔵野の珈琲店」と、佐藤オリエとのコーヒー対談「山の上ホテルにて」とを、自らが寄稿している。同号が発行された1983年10月1日、全日本コーヒー協会が「コーヒーの日」を始めたが、《正真正銘の文化の香というようなもの》は、「コーヒーの日」ではなくて『食食食』にあった。このコーヒー本には、青山光二(「在りし日、京の喫茶店で」)を始めとして、大河内昭爾が交流する文壇人らが多数登場、《非常に贅沢なことだった》。
 
  《青山さんと珈琲店に同行するたび、青山さんが珈琲屋通いの行を共にし
   た織田作がらみで、京都や東京の珈琲屋歩きをあれこれ話題にするの
   も楽しかった。珈琲屋は青山さんと私をつなぐ共通の場所だった。珈琲
   仲間というと大先輩の青山さんに失礼だが、私はそんな親しみや甘えを
   持ちつづけていた。》
   (大河内昭爾「追悼・青山光二 珈琲仲間」/『新潮』2009年1月号/
   新潮社:刊)
 
大河内昭爾が《最後の文壇人》に相当するかは関知しないが、「珈琲と人とを愛した文人」であり「文学を楽しみ珈琲を楽しんだ人」であったと想える。昨2012年死去した西尾忠久に追じて、コーヒーを追究する者にとって調法な「文化人」の死、ここに哀惜の意を表する。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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