色彩の演出

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2013 [2013年04月08日 01時00分]
ファッションがコーヒーやカフェに抱く想念はいかなるものか?それは時勢を示すのか?
 
 《…都市の室内としてのカフェの存在を誰よりもよく知っているのはモードに翻弄され
  る人間たちだろう。自己の死体を確認するかのように、自ら進んでその美しい風景
  となることを望むこの人間たちにとって、カフェは華やかな日常の舞台なのだ。輝や
  かしいモードの物神が銀座の街に降り立った昭和初頭、新しい時代の呼び声に歓
  喜して、「カフェー」のなかに軽快なダンスのステップを響かせたのは断髪にセーラー
  ズボン姿のモダンガールたちだった。以来、カフェはモードの物神と結託し、ショー
  のまわり舞台を回すかのように次々と新しい装いのもとに立ち現れては消えていっ
  た。(略)黒々しい服に身を包み、あらゆる色彩を拒否するかのように濃い眉墨で
  顔の表情まで消し去った、異様な風体の若者たちが原宿の街に出没したのは一九
  八三年夏のことである。現代の闇族を標榜せんとするこの若者たちに唯一の生彩
  を与えたのは、都市の裏側を見るような灰色の空間、すなわち、打ちっ放しのコン
  クリートを剥き出したガランとした倉庫のような「カフェ・バー」だった。(略)俗にカラ
  ス族と呼ばれるこの若者たちの生みの親は当時、ボロのように見える服をファッショ
  ンとして提出し、アンチ・ファッションのレッテルを貼られた二人のデザイナー、山本
  耀司と川久保玲である。自らの創造空間の中で独自のスタイルを築きあげている
  この二人のデザイナーは現代のファッション界で最もアヴァンギャルドとされている
  存在だ。が、その最も新しいファッションを身につけ、最も新しい形態のカフェの中
  にいる若者たちが、開かれた世界を仰ぎ見ることなく、手足を捥ぎとられた人形の
  ように惚けた姿態を晒しているというのは一体どうしたことだろう。(略)さらに、この
  二人のデザイナーたちの創造世界が、“打ちっ放しのコンクリート”の「カフェ・バー」
  を背景としてはじめて実現されるものであることを思えば、今後、不敵なモードの物
  神が人間の避難所であるこのカフェそのものを棲み家として、世界をわがものとし
  て行くことは必至であろう。》 (南風愛「剝脱した風景、黒の演出――カフェと現代
  ファッション」/『ユリイカ』1987年4月号:特集*喫茶店 滅びゆくメディア装置/
  青土社:刊)
 
 《『ニューヨーク・タイムズ』紙のファッション・レポー ターであるバーナディーン・モリス
  はこう観察している。
    日本人のコレクションには美学的な考察が重要であり、それは山本耀司が意
    外な場所につける隠しポケットや、川久保氏が生地の表面効果のために用い
    る切り込みに具体 化されている。これらは、生花や〔浮世絵〕版画、料理の盛
    りつけなどにみられる日本人の芸術センスが自然と拡張されたものである。
    (“Loose Translators.” New York Times,30 January 1983)
  (略)新しい着こなしを確立したためにアメリカのメ ディアに称賛された川久保玲、
  山本耀司、そして三宅一生の三頭政治は東京をファッショ ンの国際的主要拠点へ
  と変貌させた。》 (メリッサ・マッラ=アルバレス「西洋が東洋をまとったとき――
  川久保玲と山本耀司、そしてファッションにおけるジャパニー ズ・アヴァンギャルド
  の台頭」/蘆田裕史:訳/『Dresstudy』(ドレスタディ)57号2010年春/京都服
  飾文化研究財団:刊)
 
ファッションの国際的主要拠点へと変貌した(?)東京で、コーヒーやカフェを想う催事?
 
 《…メルシーボークー、(mercibeaucoup,)の2013-14年秋冬コレクションが原宿
  クエストホールで開催された。テーマは「コーヒー」。コーヒーには、「理解と信念と熱
  意と愛がある」とメルシーボークー、なりのあたたかな解釈をしている。テーマのコー
  ヒーは、総柄プリントや、豆を象ったピアスなどのアイテムに落とし込まれた。よく見
  るとニットの網目もコーヒー豆の形。》 (2013年3月20日/Fashion Press)
  色彩の演出 (1) 色彩の演出 (2) 色彩の演出 (3) 色彩の演出 (4)
 《カフェインでハイテンションな「メルシーボークー、」 毎シーズン恒例となった顧客対
  象イベント「メルシー祭り」。(略)デザイナー・宇津木えりが掲げる今季のテーマは
  「コーヒー」。コーヒー豆を細かく散らしたり、コーヒーの湛えられたカップを大きく描
  いたりなどしたプリントの他、ポケットの袋布として、今シーズンはコーヒーモチーフ
  が取り入れられた。更に全体のカラーパレットにもコーヒーを反映。くすんだブラウン
  と濃紺にネオンカラーを組み合わせている。》
  (2013年3月22日/FASHION HEADLINE)
 
  色彩の演出 (5) 色彩の演出 (6) 色彩の演出 (7) 色彩の演出 (8)
 《東京コレクションでショーを発表してから、2シーズン目となったジュンオカモト。前回
  同様、デザイナー岡本氏が創作した物語と服作りをリンクさせたコレクションを発表。
  今回、インビテーションと物語の書かれた小冊子が入った封筒に同封されていたの
  は、3粒のコーヒー豆。「コーヒーが嫌いな彼女の為の甘い朝食」と題したストーリー
  とともにコレクションを展開した。今回のストーリーは、コーヒーが嫌いな彼女にどう
  したらコーヒーを飲んでもらえるか(或は、一緒に飲めるか)を考える彼が、夜一人
  で起きて甘い朝食を用意し、その朝食を食べた彼女がコーヒーを飲む、という話。
  コレクションは、ストーリー同様、スイートで優しい、ロマンチックなムードが漂ってい
  た。ショーは、コーヒー豆プリントのミニ丈ドレスにカーディガンをあわせた色違いの
  2体のルックでスタートした。柔らかい素材を用いたハイウエストのフレアドレスがガ
  ーリーな印象。黒地にシルバーのコーヒー豆プリントは、ブラウスやドレスの他に、
  メンズのアイテムでも用いられ、コートの裏側やロールアップしたシャツの袖口、パ
  ンツの裾から覗くプリントが遊び心をくすぐる。》
  (2013年3月23日/apparel-web.com)
 
今2013年の東京コレクションから読み解けば、嘗て南風愛氏が《今後、不敵なモード
の物神が人間の避難所であるこのカフェそのものを棲み家として、世界をわがものとし
て行くことは必至》、とした予言は大きく外れたように思える。物神が棲み家にするべき
「カフェ」が必ずしも人間の避難所では無くなってしまったから…確かに宇津木えり氏も
岡本順氏も今時のデザイナーらしく、《黒の演出》を脱して豊かな「色彩の演出」を見せ
る、そこに問題は無い。だが、街には「カフェー」も「ミルクホール」も「純喫茶」も「カフェ・
バー」も滅して、スターバックスやドトールやマクドナルドといったチェーン店が蔓延って
いる、そこに《輝やかしいモードの物神》が降り立つべき処は無い。「ウチ(家)カフェ」と
やらにも降りたくはないだろう。南風愛氏による1987年当時の喝破にも訂正が必要。
 
 《物神の罠が到る処にめぐらされ、“流行”という物神信仰が声高に唱えられる大量
  消費社会にあって、人間はその呪文のなかに取りこまれ、次第に世界を見失って
  いくことに気づかないのである。そして、このように人間に執拗に取りつき、盲目に
  していく物神たちのなかでも、そのごく身近で猛威を奮う、人間にとって最も不遜な
  存在はモードの物神であろう。(略)ここにファッションの支配下に置かれたカフェは、
  眼に見える美しい罠となって世界を飾り、人間の夢で満たされることを願っている
  のかも知れない。》 (南風愛「剝脱した風景、黒の演出――カフェと現代ファッショ
  ン」/『ユリイカ』1987年4月号:特集*喫茶店 滅びゆくメディア装置/青土社:刊)
 
「物神の罠が到る処にめぐらされ、“流行”という物神信仰が電子報道の洪水に乗る
大量情報社会にあって、人間はその呪文のなかに取りこまれ、次第に世界を見失っ
ていくことに気づかないのである。そして、このように人間に執拗に取りつき、盲目に
していく物神たちのなかでも、そのごく身近で猛威を奮う、人間にとって最も不遜な存
在は、驕慢と独善を情熱にすり替えて‘神’のフリをした偽者たちであろう。ここに偽の
物神の支配下に置かれたカフェは、耳触り好く甘く囁く罠となって世界を飾り、人間の
夢を打ち砕くのかも知れない。そこはコーヒーを想念するファッションにも色彩が無い」
 
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コメント

コメントありがとう
住兵衛 URL [2013年04月10日 18時00分]

ご無沙汰していました。ヤジ馬へのコメントありがとうございました。

実は前回の折、帰山人さんから初めて「持久狩猟」なんて言葉をきいたのですが、その後、はたと疑問に・・・
その都合に合わせて人間の体毛の変化(進化?退化?)した、との説は「足」の方はどう説明しているのでしょうか?

素直に考えれば「持久狩猟」に適した肉体を作るために
体毛を無くしたのであれば、足の方も同じ方向で進化させた
ものと思われます。

つまり、動物と同様に足の裏部分を「肉球」状に進化?させて
おけば、荒野を走り回るには好都合だったはず?

ところが、実際にはいまや「補助具=靴」を使わなければ
走れないほどに退化?させています。
このチグハグを帰山人さんはどう解釈されていますか?
-------------------------
「コーヒーサミット」での収穫はいかがでしたか?

to:住兵衛さん
帰山人 URL [2013年04月10日 23時25分]

「ヒトは多くのサルと違って足の親指に(手のような)対向性がありません。これには樹上生活をしていたサルから地上に下りたヒトへの進化の過程で対向性を失ったという(地上生活順応進化)説があります。しかし他方で地上生活を主とするゴリラやヒヒでは足の親指に対向性があるのだから、ヒトの足は単に(樹上生活のサル以前の他の哺乳類祖先と同様までに)先祖返りしたという(DNA変異)説もあります。…ちょっと待って。ゴリラやヒヒは(上肢≒手)も使って瞬発的にはヒトより早く移動できますが、他の哺乳類と同様でヒトほど長くは走り続けません。つまり、ヒトが足の親指の対向性を失った理由は、地上で生活して「走り続ける」ように「進化」したためなのです。5本の足指に長い中足骨が並んで立体的なアーチを形成しているのはヒトだけです。4本ではなくて2本の足(下肢)だけで、立ち続け歩き続け走り続けることを兼ね備えた最良の形質…止まった時の接地面積は大きく、しかし何時間でも何十kmでも走り続けられる構造…それは肉球でも蹄でもなく、まさにヒトの足の形…ヒトは走るために生まれた!」
もっともらしい話ですが、全て私の創作です(笑)

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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