ドリップの奇怪4 再奔篇

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2012 [2012年09月12日 23時00分]
ドリップコーヒーを論題としたコーヒーサロンに参加して、「ドリップ」の一端を解題し、余考を加えてきたが、未だ真相の深層からは滴り落ちていない…「ドリップ」の奇怪。
 
 
日本のコーヒー業界におけるドリップ職人、例えば、三浦義武氏・関口一郎氏・本部文彦氏・標交紀氏、彼らと交わりつつ、「ドリップ至上主義」形成の一翼を担ったともいえる井上誠氏。その井上氏は、新奇な想念へと再び奔(はし)る…なんたる奇怪。
 
 《コーヒーもここらで、もう一度原点に戻って、見直してもよい時に来ているよう
  に思える。浸漬法と透過法とは、たて方の同じ原理から分化したものであっ
  た。(略)分化は進化の一標識だという。それを分裂と総合との間に、どう見
  極めようとするのか。(略)…浸漬法と透過法のコーヒーのたて方を混同して
  みた。(略)言ってみれば、ドリップとヴァキュームの総合であって、実験的に
  も成り立つことであった。》 (p.157)
 《私とするとヴァキューム方式も助けたい。なぜなら、透過法で出し得るコーヒー
  の真価は、浸漬法でも出し得るからであった。(略)袋だてとヴァキュームを一
  つに結ぶことは、もはや夢想ではない。》 (p.228)
  (『珈琲の書』井上誠:著/柴田書店:刊/1972年)
 
  ドリッポン (1) ドリッポン (2)
井上誠氏は、独自の「コーヒー抽出器」を発明し、特許を1970年1月24日に出願し(特願:昭45-6640)、1974年12月16日に公告を受け(公告:昭49-47541)、取得している(特許:784180)。これは、《従来の所謂ドリップ及びサイフォン等の両特長を併せ得られる優れた機能をもつコーヒー抽出器に関する》特許であった。
  ドリッポン (3)
後に井上氏は、この発明したコーヒー抽出器に(ドリップの原理を応用したサイフォンなので)「ドリッポン」と名前をつけて、ムック形式のコーヒー誌へ写真付きの小文「現時点でもっとも理想的と思われるコーヒー抽出器への私の提案」を寄せている。
 
 《この新しいコーヒー抽出器は、下部のボールと上部のロートを用いるので、従
  来のいわゆるサイフォンに似ている。だが、ロートに入れる濾過体は、孔の沢
  山ある平面的なものではなく、上でいくらか細くなる突状の中空筒であって、
  その頂上に小さな通気孔と、ロートの下部に接する辺に、水分の流通する数
  個の小孔を持ったもので、下部のボールで沸かした湯は、筒の頂部の通気
  孔で調節されて、その上昇はロート内の粉に緩かに浸透し、ボールの加熱を
  止めればロート内で浸出を終った粉を通し、筒の下部の数個の孔から、今ま
  でのような急激ではなく、抽出液が集中的に濾過される。》 (p.124)
  (『珈琲・紅茶の研究 PARTⅡ』別冊暮しの設計No.7/中央公論社/
   1981年)
 
《もっとも理想的と思われる抽出》を追求し続け、《もう一度原点に戻って、見直し》た井上誠氏、帰結した抽出手法は…(特許を取得といえども、その名からしても貧相である)「ドリッポン」なるコーヒーサイフォンの改変であった。‘Pour-Over’(プアオーバー)陣営の「攪拌ドリップ」ですらも凌駕する衝撃の笑劇?残念というべきか当然というべきか、井上氏の発明は、他の「ドリップ至上主義」者に(少なくとも商業ベースでは)受け入れられず、その新奇な想念は打ち捨てられたまま今日に至っている。
 
 
始原から再奔(さいほん)してサイフォンに至ったか?当に「ドリップ」の奇怪である。日本における「ドリップ」コーヒー、その成立と普及の先にある未来は何であろうか?
 
コメント (6) /  トラックバック (0)

コメント

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y_tambe URL [2012年09月13日 09時16分] [編集]

これは面白い。世の「サイフォニスト」達は、早速、自作してでも試してみるべきでしょうw
ついでに、これだと「トンボべら」は使えないので、トンボべら派の人は(いるのか?)先が2-3股に分岐したヘラの改良も必要でしょうね。

to:y_tambeさん
帰山人 URL [2012年09月13日 16時12分]

三浦義武氏のカフェエラール(orラール?)にブー垂れていた井上誠氏の帰結はドリッポン、逆に三浦義武氏からのドリッポン評を聞いてみたかったけれど、もはや泉下の客にならねば訊けない。他にも知らずして消えていった(いく)抽出の器具や技法があるんだろうなぁ、などとも…
ふふ、ヘラに関してやはり触れましたネ。井上氏は上部ロートに湯が上がった時点での浸出に関しては、何も指定していないけど…確かに枝分かれタイプのモリニーニョというか、スウィズルスティックの下向き版というか、それとヘラの折衷みたいなモノが好いかも。

No title
teaR URL [2012年09月20日 21時00分] [編集]

こんばんは。なかなか面白い人たちが参加したコーヒーサロンだったみたいですね。いやー行きたかった。コーヒーに関してはほぼ考えることを放棄している僕ですが、こういうイベントに参加したらコーヒー熱が再燃してしまうかもしれないですね。でもそれもまた怖い…。

to:teaRさん
帰山人 URL [2012年09月20日 22時03分]

うむ、この各務原でのコーヒーサロン出張版は、(東京での通例版に比べて専門性を弛めてあるので)内容よりも集会した人物に面白味がありました。コーヒーに関してどこまで考えるのか…ま、それは聴き手次第でしょうね。おかげで私ゃ、催事後にたっぷり余計なコトまで考え続けてしまいました…それもまた怖い^^;

No title
cocu-coffee URL [2012年09月22日 22時55分]

ようやく一通り目を通すことが出来ました。生の質が現在より悪かった時代に何とか美味しく飲もうと施行錯誤した日本独自のコーヒー文化を全否定してしまうのも、なんだか寂しい気がしますし、生の質が良くなったであろう現在においてインテリジェンシアの抽出をバカにするのも何か違うような気がします。じゃあ、お前はどうなんだと問われれば「両方試したけど日本式の方が自分の口には合いますが、これが絶対では無いですよ。」と言いわけじみた答えで逃げておくことにします。

to:cocu-coffeeさん
帰山人 URL [2012年09月23日 17時45分]

昔は「生の質が現在より悪かった」現在は「生の質が良くなった」…消費地日本のコーヒー史としては、概ねその通りでしょう。しかし生産地側の事情でみると、「質が良くなった」最大の要因は生産量の増大によるものであろう、と思います。高品質のコーヒーを作るようになった、よりも、沢山のモノから選り好んで買うようになった、という方がはるかに作用として大きい。このことを、日本のコーヒー屋の大半はわかっちゃいないワケで…^^;
「コーヒーはドリップに始まりドリップに終わる」みたいな了見は井上誠さんあたりが唱え始めたと言われていますが、井上ドリッポンは「これが絶対では無い」という‘隙’の象徴でもあります。丁寧ドリップを「日本独自のコーヒー文化」にした張本人は、先達の‘隙’に目を向けず狭量な念慮で試行錯誤を怠った後塵コーヒー屋の有象無象なのです。このことも、日本のコーヒー屋の大半はわかっちゃいないワケで…^^;

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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