ドリップの奇怪2 解題篇

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2012 [2012年08月31日 06時00分]
ドリップコーヒーが「不思議」で「ややこしい」こと、先般のコーヒーサロンでも語られていたが、そも「ドリップ」とは何なのか?その実体は截然としない、極めて奇怪である。
 drip奇怪 (1)
 
 
◎日本における「ドリップ」小話
 
概して、「ドリップ」とは「挽いたコーヒー豆の上から湯を注いで濾過する抽出」を指すようであるが、日本では「ドリップ」を「透過法」(透過式)と同義に捉える場合も多い。
 
 《透過法 ドリップ形式の事。コーヒーの抽出方法の1つ。ドリップコーヒー参照。》
  (『コーヒー大辞典』帝国飲食料新聞社:刊/2003年 p.112)
 
この辞典、「参照」としておきながら「ドリップ」コーヒーの項が見当らないのは、愛嬌? これとは別に、透過法=「ドリップ」と決めつけるに躊躇せざるを得ない分類もある。
  
 《どんな抽出法があるのか? 誰が決めたのか解りませんが、一般的に抽出
  法は次のように分類されています。 ①ボイル法:コーヒー粉を湯の中に入れ
  て加熱しながら煮出す方法(ボイル、ターキッシュ・コーヒーなど)。 ②浸漬法:
  コーヒー粉を一定時間湯の中に漬けておく方法(サイフォン、パーコレーター、
  フレンチ・プレス、水出しコーヒーなど)。 ③透過法:フィルターの中に入れた
  コーヒー粉の層に湯を通す方法(ペーパ-・ドリップ、ネル・ドリップ)。 エスプ
  レッソはあえて分類すれば、透過法の一種。ヴェトナム・コーヒーは、もちろん
  透過法。ドリップの原点、ドゥ・ベロワのコーヒーポット直系の抽出法と思われ
  ます。》 (辻調おいしいネット「カフェ・マニアックス」/辻調グループWebサイト)
 
この分類によれば、エスプレッソも透過法のコーヒーとなるのであるから、(一般的にエスプレッソ式を「ドリップ」とはいわないという前提で)いわゆる「ドリップ」は透過法と同義ではない、と言えよう。だが、他方では、ペーパーやネルを使用する「ドリップ」は透過法の部分として属する、という概念が色濃く残された曖昧な分類であろう、奇怪。
 
現代の日本における「ドリップ」は、「通り抜ける」という意味の「透過」を強く思い描いた概念で形成されているのであろう。それは昔時より焦点が定まらない概念だった。
 
 《珈琲調整には色々なシステムが用ゐられる。フランスで普通に行はれてゐる
  「濾過法」と「攪拌法」とに就て以下説明する。 先づ濾過法に就て 所要量の
  珈琲に應じた大きさの濾過器を用ゐる。其の上部には布袋を挿入し、其の中
  に挽きたての珈琲を入れる。熱いコーヒー煮出(Eau de Marc)を挽きたての
  珈琲に注ぐ。之はどつと一度に注がないで(一度に注ぐと珈琲が溢れ出て全
  然香氣を失ふ)少しづゝ續けるやうに静かに中斷しないで注ぐのである。》
  (『珈琲論』大坪正:著/珈琲論發行所:刊/1939年 pp.227-228)
 
この大坪氏著書では、透過や「ドリップ」の語は見当たらず、「濾過法」と呼んでいる。「濾過法」≒透過法、「攪拌法」≒浸漬法(或いはボイル法?)とでも捉えるべきか?
 
 《水分を滴下または流下して珈琲浸液を得る方法と、水分中に浸漬して浸出せ
  しめる他の方法という點から見れば、珈琲の浸出は二つの方法が基本をなす…》
  (『珈琲記』井上誠:著/ジープ社:刊/1950年 p.172)
 
この井上氏著書でも、透過や「ドリップ」の語は見当たらず、「滴下または流下」法と呼んでいる。興味深いことに、この井上誠氏の後時の著作に大きな変化が現れる。
  
 《…熱湯は一度に入れられるのではなく、普通のドリップの如く徐々に注いで、
  粉が湿されたうえで満たせばいい。ドリップといわれるゆえんは滴下のことで、
  透過法で一、二杯しか作られない場合には、熱湯はそのような方法で粉を湿
  しはじめていない限り、上等のものはできない。》
  (『第三の珈琲』井上誠:著/近代社:刊/1956年 p.105)
 
ここに至り、井上氏著作に透過法と「ドリップ」の語が頻出する。この『第三の珈琲』より後、日本における「ドリップ」は、いわゆる蒸らしや断続する注湯を技法としてともなって、「透過」を強く思い描いた抽出方法として概念が規定され固着していったか? ある意味、日本における「ドリップ」の始まりは昭和30年頃にあったともいえる、奇怪。
 
 
◎メリタの変遷、そこに全てがあった
 
 drip奇怪 (2)  drip奇怪 (3)
概して、ペーパードリップの原点はメリタ・ベンツ(Amalie Auguste Melitta Bentz)による1908年の発明に求められる。先般のコーヒーサロンでも、《一人の女性の優しい願いから生まれたペーパードリップ。》と事前に案内され、その横には現在でいう「メリタ式」のフィルター(ドリッパー)を使ったコーヒー抽出の写真が添えられた、奇怪。
 
 drip奇怪 (4)  drip奇怪 (5)  
当初のメリタ・ベンツの発明には、現在のペーパーフィルター式抽出器具にみられる逆三角形型(漏斗型)の断面構造の発想は全く無い。それは、フランスのドゥ・ベロワ(De Belloyu)以来といわれる旧来のドリップポットの上段に相当する、高さ13cmの真鍮製円筒型器具の底に円形の吸い取り紙を平らに敷いたものである。発明当初のフィルター(ドリッパー)は、上部に5つの穴があいた受け皿があり、ここで注湯を分散して下のコーヒー粉層に落すことを狙った。これは、現在の電気式自動ドリップコーヒーメーカーでも多くに見られるシャワー型注湯の原点ともいえる。この発明品を、アルミニウム製に変え、注湯受け皿の穴の数を増やし、吸い取り紙を丈夫な紙に変え、底部を絞った型に改良して、1910年頃より販売した。この時点で経営は夫のヒューゴ・ベンツが主となり、さらに1920年には息子のホルスト・ベンツに経営主が移され、1929年に母の名をとったメリタ社を設立した。この間には、1919年から陶器製のフィルター(ドリッパー)を販売し始めたが、メリタ社製品が円筒形から大きく転換するのは1932年である。上部のシャワー型受け皿が廃されて、本体は逆円錐型となり、内壁に底から放射状にのびたリブ(溝)のある‘Schnell‐Filtern’に大きく改変した。使用する濾紙は正方形になり、それをリブ(溝)に沿って圧しつけるアルミ製のプランジャー(押し型)が付属していた。この‘Schnell‐Filtern’本体の底部は円形で、型の大きさによって4つから8つの穴が開けられていた。リブ(溝)を均等な放射状に配した円錐形ではコーノ(KONO)式の、装着した際に角が飛び出す正方形の紙の使用ではケメックス(CHEMEX)式の、リブ(溝)に沿ってプランジャー(押し型)で成形したペーパーではカリタ(Kalita)のウェーブフィルターの、そして底部に複数の穴を持つ構造ではカリタ式の、それら発想とスタイルの原点全てが‘Schnell‐Filtern’にある。1937年にメリタ社はプランジャー(押し型)が不要な専用紙(現在に続く台形に近い紙型)を開発し、同時に‘Schnell‐Filtern’は底面を円形から細長い直線状に変えられた。この新たなフィルター(ドリッパー)は、外見こそ現在の「メリタ式」に近似しているが、この段階では底部にも深いリブ(溝)が横断し、間には3つの穴が開いていた。メリタ社のフィルター(ドリッパー)が1つ穴に定まるのは、1960年頃からと思われる。いわゆる1つ穴「メリタ式」は、1950年にメリタ・ベンツが死亡した遥か後に確立した。
 
メリタ・ベンツの発明した抽出器具は、紙を使用するという1点のみを除いて、当初とは似ても似つかないものへ改変に改変を重ねた。それは、紙質の改良による抽出効率の変化と、商業上の競合対策によって生み出された改変である、と私は想像する。その間、現在の「メリタ式」に至るまでに、現代では有数の他社開発のペーパーフィルターの形状や特性を先取りして変異してきた過程がある。メリタのペーパーフィルター(ドリッパー)は、「ペーパードリップ」の原点のみでなく、その全てを示す、何たる奇怪。
 
 
日本における「ドリップ」、メリタに代表される「ペーパードリップ」、それらの通念が定まり始まったのは、いずれも半世紀余前でしかない。日本の「ドリップ」を文化と呼ぶのか、それとも孤立した技法と腐すのか、或いはUSAを中心に拡がる‘pour-over’に粋を想ってなびくのか、がさつを感じて唾棄するのか、いずれにしても「ドリップ」が積み重ねて固着するほどの歴史は無い。ドリップコーヒーの世界、その層は粗く薄く拡がって、未だに真相が通り抜けて滴り落ちてこないようである、その不思議と奇怪
 
コメント (12) /  トラックバック (0)

コメント

No title
ナカガワ URL [2012年09月01日 20時31分]

失礼な質問なんですが、出典資料はキサンジン文庫なんですか。1939年の珈琲論もですか。古書だとしたら、どこでいくらで入手されたのですか。偶然古書店で見つけたのですか。それとも何かの引用出典で存在を知ったとか、ですか。うーの女みたいに検索上手なのですか。キサンジン文庫の目録は作っていますか。すいません自分勝手な興味本位で。

to:ナカガワさん
帰山人 URL [2012年09月02日 00時19分]

私にウーの女に類する能力はありません。今般記事の出典資料の全ては、古書あるいは古本で手元にあります。1939年の『珈琲論』は、1987年5月28日に、開催された「第10回静岡古本市」(於:静岡伊勢丹/当時)で、800円(定価2円50銭の320倍という高額!)で入手しました。先に出展目録でアタリをつけ、しかし事前に取り置き連絡すると隠されたり値踏みされたりするかもしれない、と初日開店と同時に現場で知らん顔して買ったケースですネ、薄い記憶ですが…。手元コーヒー本の目録は一切作ってありません。グチャグチャの本棚にゴチャゴチャのまま置いてあります。

No title
ytambe URL [2012年09月03日 19時39分] [編集]

貴重な解題ありがとうございます。

まずは僕も少しだけ。まずは情報の補足から。

1868年、アンリ・ヴェルテールの"Essai sur l'histoire du café"では、コーヒーの抽出を「煎出(décoction、煮出し)」と「浸出や濾過、それ以外(l'infusion ou filtration...)」に分類しています。この当時の分類は、おそらく「(調理として)『煮込む』かどうか」に主眼が置かれているようです。

この分類は、近年の学術分野にも影響しており、クラークの"Coffee: Recent development"(2001)では、「煎出 decoction」「浸出 infusion」「圧力式 pressure」という区分として踏襲されてます。いわゆるドリップはこのうちinfusionに分類されてます。

一方、ユーカースのAll about Coffee(1922、初版)では、decoction(煎出)/infusion(浸出)/percolation(透過)/filtration(濾過)、の4分類にしており、これはヴェルテールの2大別のうちの後半をさらに細分化したものになってます。このユーカースの分類では、percolationとfiltrationは、フィルター材の違いでそう分類されている程度です(前者は陶器や金属で、後者は布や紙)。ただし、この"percolation"の説明はある程度、今日の日本の「透過式抽出」の考えに繋がってるといえると思います。

なお、この当時ユーカースが"percolation"という用語を使うに当たって、"percolator"との混同をどうするか苦慮してたのも文書から読み取れます。

なお、いずれにせよユーカースでの「ドリップ」という語は、

>Percolation means dripping through fine apertures in china or metal as in De Belloy's French drip pot.
>Filtration means dripping through a porous substance, usually cloth or paper.
という形で用いられており「フィルター材を通過して(through)、滴下(drip)する」のが、「ドリップ」の原義であり、元々は注湯のやり方について示したものではないことも、まぁご承知の通りかと。

No title
ytambe URL [2012年09月03日 19時57分] [編集]

つづき。

メリタ形状の経時変化の調査もさることながら、大坪『珈琲論』の記述が、特に興味深かったです。この淹れ方の記述はどこかで読んだ記憶があったのだけど、元々の出典がよく判らなかったので助かりました。あとまぁ正直、「透過(percolation)/浸漬(steeping)」への二分類は、伊藤博氏あたりが強く推したものかと思ってました(科学知識があると、あの二分法にたどり着きやすいと思ってるので)。井上誠氏の方が、かなり先行していたようですね。これも勉強になりました。

それと質問というか、一応確認なのですが、大坪氏の淹れ方は「熱いコーヒー煮出(Eau de Marc)を挽きたての珈琲に注ぐ」と書いてあるように、コーヒーに注いでいるのはお湯ではなく、あらかじめ煮出したコーヒー液で間違いないですよね?

おそらく、この根拠になっているのもヴェルテールが書いた、「煎出は力強い(味)、浸出は香りを出す」というものだろう、と思ってます。両者の良いとこ取りと言うか…まぁ新鮮な豆の入手が困難な時代の苦肉の策でもあったろうけど。

この当時のコーヒーの淹れ方からきちんと解題していくには、フランス料理の技法…ブイヨンの取り方とか…あたりの知識も必要になりそうな気がしてきましたw その辺りは是非Y先生に講義をお願いしたいなあ、などとも…w

No title
ytambe URL [2012年09月03日 20時30分] [編集]

で、もう一点質問。

1956年、井上誠氏の『第三の珈琲』を持ってないのでアレですが、少なくともこの引用部分から見ると、このとき既に「ドリップ」という言葉が、市井では使われていたか、ある程度の市民権を既に得ていたような印象を受けます。1950-56年の間に、井上氏とは別の、何らかの形で「ドリップ」の言葉を生む、何かしらがあったような気がしないでもないですが…その辺り、いかがでしょうか?

to:ytambeさん
帰山人 URL [2012年09月03日 22時36分]

解題の補足、ありがとうございます。
ご覧の通り今般の「ドリップ」解題前半は、方法論そのものではなくて、場所は日本に、対象は言葉と概念に、絞った小話にしましたから、ドリップ論の端の端でしかありません。その絞りに乗っかった補足、サスガお見事です。
ユーカースの‘percolation’に関する苦慮…彼が執筆当時の業界人や研究者から集めた論自体にも「循環式パーコレーター」との混同を戒めるものがあるし、それをユーカース自体が業界の利害に配慮しながら紹介するところ…この辺りは確かに面白い。当時のUSAにおけるコーヒー界の物議が垣間見えますネ(そういう読み方もどうかとは思うけれど:笑)。

to2:ytambeさん
帰山人 URL [2012年09月03日 23時08分]

《此の煮出しは前夜の珈琲の煮渣(かす)からとるので、煮渣が未だ熱い内に袋から出し、水を入れて煮え立たし、それからうは水を取つて蓋のない陶器の中に貯へて置かねばならぬ。》
この「出し殻を煮出した上澄み液」を再度煮立たせて使え、という方法で間違いございません。ちなみに『珈琲論』では続く「攪拌法」でも、
《…前記の珈琲煮出しを入れてすつかり煮え立つたら、註文に應じ必要分量の珈琲を注入する。》
とあります。確かに「煎出は味、浸出は香」というところもあるのでしょうが、(「濾過法」で使うコーヒーの量が通常1人分6~8グラムとされていることからみても)やはり如何に少ない材料から濃い(と感じられる?)コーヒー液を取り出すか、という商気にもよるのでしょうね。

to3:ytambeさん
帰山人 URL [2012年09月04日 00時09分]

>1950-56年の間に、井上氏とは別の、何らかの形で「ドリップ」の言葉を生む、何かしら…
そこは私も気になるところですが、力及ばず調べきれていません。
井上氏の1950年刊『珈琲記』は、大坪『珈琲論』をはじめ「茶と珈琲」や「珈琲研究」など戦前のコーヒー本や雑誌に拠るところが多く、この時点ではユーカースの“All about Coffee”の影がありません。友人・藤木義輔氏から借りたユーカース本を読み通した後に著したのが1956年刊『第三の珈琲』…つまりアノ井上氏でも戦前のユーカースらのコーヒーに関する認識を約30年遅れて入手したようです。
他方、襟立博保氏が最初のリヒトを開店したのが1947年、関口一郎氏がカフェ・ド・ランブルを開店したのが翌1948年…
これらの状況から考えるに、戦後も昭和30年頃までは、(大坪氏らが唱える戦前からのレストラン業務での)ネル漉しはあったにしても、それが少量淹ての日本型「透過式抽出」=「ドリップ」として市民権を得るほどではなかったように私は感じています。ま、あくまで調査不足の中での憶測でありますが…

No title
ytambe URL [2012年09月04日 01時32分] [編集]

どうもです。
うちにあるのは、柴田の1979年『COFFEE SHOP & SNACK MANEGEMENT』シリーズで再版された、1959年『珈琲の研究』くらいなものですが、そちらでも『第三の珈琲』と同じドリップに関する記述を認めました。

また同書で述べられた、ユーカースのドリップ回帰に関する記述もまた、井上氏のユーカースに対する複雑な思いを表してるようで、面白いです。

>他方、襟立博保氏が最初のリヒトを開店したのが1947年、関口一郎氏がカフェ・ド・ランブルを開店したのが翌1948年…

やはりこの辺りに起源を求めるのが、妥当なような気はしますね…ただ当時、彼らが新興勢力として対峙していただろう「既存勢力」は、一体どういう淹れ方をしていたのかについても、もう一度洗い直したいところです。

to4:ytambeさん
帰山人 URL [2012年09月04日 02時37分]

あぁ、健康之友社刊の『珈琲の研究』ですね、コレも初版が手元にあります(ちぇ、そこそこコレクターなのがバレバレじゃあないか!:笑)。
>「既存勢力」は、一体どういう淹れ方をしていたのか…
どうなんでしょう?そもそも「既存勢力」の主体が、どういう業態だったのかもパッと思い浮かばない…例えば、井上氏の『珈琲の研究』第十二章「日本のコーヒー実績」には戦後のコーヒー店や抽出方法に関する話もありますが、そこら辺りが「既存勢力」を指しての記述と断定するには、私は躊躇もします。井上氏も襟立氏も関口氏もそうですが、戦前からコーヒー好きで自ら研究して挙句に専門店を開いてしまうような方々が語る話は、それが一般人多数が飲んでいたコーヒーを指すのか、どうも怪しい。マッタク、コーヒー狂の類徒は追究が行き過ぎて、世間の多数派主体の「既存勢力」(?)を眼中に入れないキライがあるからネェ(ちょっと自戒:笑)。まぁ1959年『珈琲の研究』の頃でも淹れ方は謎でありますが、この頃に関しては田口護氏が大学生だったハズで、そこらへんから洗い直しましょうかねぇ。知ってるものは会長でも使え!(笑)

No title
ytambe URL [2012年09月04日 11時53分] [編集]

>戦前からコーヒー好きで自ら研究して挙句に専門店を開いてしまうような方々が語る話は、それが一般人多数が飲んでいたコーヒーを指すのか、どうも怪しい。

戦後の喫茶店再開が47年くらい、コーヒーの輸入再開が50年であることを考えても、この当時までに口にできたのは、アメリカあたりで焙煎された(それこそ進駐軍とかの)コーヒー缶入りの豆や粉ばかりだったろうと思います。その後も「一般人多数」が口にできたのは、おそらくこの手のが中心で、それに対する「本格指向」が、戦後日本の自家焙煎店という業態の端緒だったんじゃないかなぁ、などとぼんやり考えたりもしてます。

多分、戦前からの日本のコーヒーを知っている人たちにとっては、(A) 戦中の物資不足が解消され、コーヒーが飲める日々が来る喜びと、(B) 戦中の情報統制で得られなかった、海外のコーヒー事情や文献(All about coffeeもそうだったでしょう)に触れて知る驚きと、(C) 戦前からの伝統的な流れが途絶えて、アメリカの低品質な豆と共に、アメリカ式のコーヒー文化が世を席巻することに対する忸怩たる思いと、(D) まぁそんなこんなもありながらとりあえずは日々の生活の糧を得なきゃ始まらないし……そんないろんな思いが入り交じった時代だったんだろうなぁ、などとも思ってみたり。

to5:ytambeさん
帰山人 URL [2012年09月04日 16時16分]

>この当時までに口にできたのは、アメリカあたりで焙煎された(それこそ進駐軍とかの)コーヒー缶入りの豆や粉ばかりだったろうと思います。
いや、(言うまでも無く)戦中以来の代用コーヒーも忘れちゃいけませんゼ、アレ相当に後年まで残ったみたいだし。だから当時の「既存勢力」の抽出法も何も、相手が代用コーヒーだったならば、新興勢力(戦後日本の自家焙煎店)は「対峙」という気分じゃなかったかもしれない(笑)。おそらく当時彼らの対峙したかったのは、周囲に出回るエセコーヒーではなくて、戦前のカフェーや食堂、ホテルといった過去のコーヒーだったんじゃないかなぁ、などとも考えているワケであります。

この記事にコメントする

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://kisanjin.blog73.fc2.com/tb.php/490-20057cbf
編集

kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

09 ≪│2017/10│≫ 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
Powered by / © Copyright 帰山人の珈琲漫考 all rights reserved. / Template by IkemenHaizin