調法な人を悼む

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2012 [2012年08月19日 06時00分]
俗に「コーヒー・カンタータ」と呼ばれている音楽劇‘Schweigt stille, plaudert nicht’(BWV211)を作ったJ.S.バッハ(Johann Sebastian Bach)は、1750年7月28日に死亡。262年後2012年の同月同日、作家でコピーライターの西尾忠久が死去した。
 
《…大いなる趣味人であり、今で言うところの「キュレーター」の先駆者でもあった。(略) 興味の範囲は、驚くほど広い。海外の一流品がまだ「舶来もの」と呼ばれた時代からその素晴らしさを評価。(略) これらを貫くものは、ダンディズムであろう。その始祖であるボー・ブランメルをはじめ、メグレ警視、池波正太郎といったダンディーたちへの目配りは、そのまま粋なライフスタイルと創造性の探求に結びつく。(略)ご冥福を。》 (「ダンディズムの人を悼む」/『中日新聞』 大波小波 2012.08.14)
 
西尾忠久の経験と好奇は多くの分野で重宝した、それはコーヒーに関しても例外でない。『ミステリー風味 グルメの世界』(西尾忠久:著 東京書籍:刊 1991)は、海外ミステリーに登場する街・人物・物品・飲食など万象のデータベース化により導き紡いだ本、その中でコーヒーには4編ほどで触れられた。「ソ連海軍は紅茶、米国海軍はコーヒー」(『レッド・オクトーバーを追え』)、「『ブラック』コーヒーの幾重もの意味」(『カロライナの殺人者』)、「『ウィンナ・コーヒー』って?」(『レディ・ハートブレイク』ほか)、「コーヒーがわりに、子どもはチコリ」(『ハッカー連続殺人事件』ほか)である。興味深い話題も登場する。
 
《『レディ・ハートブレイク』では、どういうのがウィーン風の炒り方なのかは説明されていないので、訳者の山本やよいさんに頼んで作家に問いあわせてもらった。…「フレンチ・ローストも非常に濃いけれども酸味があります──別な豆からつくられるのです。ウィーン式のコーヒーに使われる豆はそれよりも酸味が少ないのです。…一般的にいって、ウィーン式のコーヒーは抽出式でいれると思っているのですが。背の高いシリンダー・ポットに挽いたコーヒー豆を入れ、その上から熱湯を注ぎ、五~一〇分間そのままにしておきます。…それからプランジャーを押しさげてコーヒー豆をシリンダーの底まで押さえこみます。》 (『ミステリー風味 グルメの世界』 p.47)
《猫の短編ばかりを集めた『ネコ好きに捧げるミステリー』に収録されている、L・J・ブラウン「八時三十分の幽霊」には、オランダではチコリを少し加えた味の濃いコーヒーを好んで飲む、ともある。もっとも、オランダ政府観光局の友人に問いあわせたら、そんな習慣は知らないといわれたが。》 (『ミステリー風味 グルメの世界』 p.49)
 
ウィーンのコーヒーが、フレンチローストよりも酸味が少ない豆を使って、フレンチプレスで抽出されている…オランダにはチコリを加えた濃いコーヒーを飲む習慣がない…実に興味深い調法である。西尾忠久は当事者へ問いあわせてまで好奇を追究する、サスガ。 
 
 調法な人 (1)
西尾忠久の関心と知見は多くの分野で重宝した、それはコーヒーに関しても例外でない。「珈琲文化シリーズ」の『珈琲交響楽』(味の素ゼネラルフーヅ:刊 1980-1984)、その全5巻のうち実に3巻へ稿を寄せている。第1巻のコーヒー通へのメッセージ「世界のコーヒーブレイク トルコ」では、700余文字の小文でトルココーヒーの飲用実状を17~18世紀以来のヨーロッパとの交流に結びつけて活写している。また、第5巻の「マイセン・コーヒーカップ物語」では、トルコ式のコーヒーがヨーロッパでは《どうしてコーヒーポットやドリップ式に変わってしまったのかという疑問》を解き明かそうと斬新な推論を展開した。これらは、論の是非や正誤はともあれ、眇然たる専門バカの者には書けない話であろう。
 
《あるときのフライトで、どういうはずみか、フライトバッグの中にスプーンが入っていたのです。「これだナ」と思いました。ところが、一度あることは二度ある、二度あることは三度ある……で、いつの間にか、十数種類の航空会社のスプーンが集まってしまったのです。》 (『珈琲交響楽 2・珈琲を愛する人間讃歌』 p.18)
 
第2巻のMY COFFEE COLLECTIONにおいて「フライトバッグにまぎれこんだ?航空会社のスプーンたち」と題して寄稿した西尾忠久はダンディというよりも稚(いとけな)い。善良なる粋か? 悪辣たる不粋か?…NZ・JL・KEのカトラリーを常用している私としては、西尾忠久を腐すことは差し控えておこう。だが、広告であれミステリーであれ、キュレーターである前にコレクターであることは否定できない、それはコーヒーにおいても同様か。 
 調法な人 (3)
西尾忠久が遺した《バーンバックという現代の天才、DDBという現代の奇蹟は、ほんとうに、もっともっと研究されるべきだ…》(Webサイト「創造と環境」)という言葉は、コーヒーを愛好する者にも響いてくる。例えば、1960年代におけるコロンビアコーヒーの躍進だ。
 
《一九六〇年に、コロンビアの全国コーヒー生産者連合はファン・バルデスという人物像を考え出した。(略) 「ファン・バルデス」キャンペーンは、コロンビア産コーヒーやそれを含むブレンドが上質だというイメージを築き上げた。(略) 「アドバタイジング・エイジ」紙〔アメリカで最も権威ある広告業界紙〕のある記者は、このキャンペーンを「突飛で馬鹿げたからくりや、無意味な離れ業に頼るようなことは一切なく、驚くほど独創的だ」と絶賛した。》 (マーク・ペンダーグラスト 『コーヒーの歴史』 第14章 pp.350-351)
 
DDB(ドイル・デーン・バーンバック)が手がけたコロンビアコーヒーの広告を、西尾忠久は《コロンビア産のコーヒー全体を、ホアン・ヴァルデッツという一人の人格に凝縮したアイデアがすばらしい。製品、企業の人格化の好見本の一つ。》(「創造と環境」)と讃した。他の例では、‘Where else can you see the greatest show on earth for the price of a cup of coffee?’と題されたDDBによるフランス政府観光局の広告(『The New Yorker』1964年1月11日号:国際広告協会第17回国際会議グランプリ)なども見逃せない。虚飾に満ちた惹句と肩書ばかりの現在のコーヒー界に対して、私はこう言いたい…「諸君の世界は、突飛でばかげたからくりや無意味な離れ業に頼りきり、驚くほど低俗で不粋だ。DDBのコーヒーやカフェの広告、それを紹介する西尾忠久という貴重な存在は、ほんとうに、もっともっと評価されて研究されるべきである」、と。如何?
 調法な人 (2)
 
西尾忠久が「ダンディズムの人」であるのかは関知しないが、多くの分野においてある種の「キュレーター」であり「ファシリテーター」であったと想える、それはコーヒーに関しても例外でない。コーヒーを追究する者にとって調法な「文化人」の死に、哀惜の意を表する。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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