不愉快は缶コーヒーの中に

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2012 [2012年05月15日 01時00分]
缶コーヒーは、不可解な飲み物である。コーヒーなのか? 清涼飲料なのか? 訊ねるべき「日本コーヒー飲料協会」は、全日本コーヒー協会や全日本コーヒー商工組合連合会には属さず、全国清涼飲料工業会にも属していないが同会と所在同一…この曖昧この漠然。
 
《…いつでもどこでも手軽に飲める缶コーヒー。それを高度な技術革新が開発した自動販売機で、まるで気を使わずに買って飲む。だが、そこには最高のコーヒー豆を使った、最新の技術を駆使して製造したレギュラー・コーヒー、グルメ・コーヒーの粋がパックされている。つまり缶コーヒーは、徹底した簡便さを追求する指向性と、他方において味覚の高度化と多様化を求める指向性、これら相矛盾する二つの要求に同時に応えようとする商品なのだといえるであろう。》 (高田公理「缶コーヒー文化論」/『コーヒーという文化 ―国際コーヒー文化会議からの報告―』/1994年)
 
そう、缶コーヒーは矛盾に満ちた存在である。その不可解が満載の缶コーヒー本が出現?
 
『成功は缶コーヒーの中に』 (谷田利景:著/プレジデント社:刊)
 
 不愉快は缶コーヒーの中に  不愉快は缶コーヒーの中に (1)
本書の著者、谷田氏はポッカコーポレーション創業者、‘顔缶’といわれるポッカ缶コーヒーの生みの親であるが、まず書名からして不可解。本書刊行の約1年前、昨2011年春に『成功する人は缶コーヒーを飲まない』(姫野友美:著/講談社プラスアルファ新書)という本も出ている。「成功する人は缶コーヒーを飲まない」が「成功は缶コーヒーの中に」ある…どちらが本当か? 缶コーヒーを作ると成功するが、それを飲むと失敗するのであろうか? 『成功は缶コーヒーの中に』で谷田氏は、《起業するなら「株式上場」を果たせ!》(p.44)と言っているが、1985年名証2部に1988年東証1部に上場したポッカコーポレーションは2005年にMBO(マネジメント・バイアウト)で非上場となっているし、今やサッポログループに事実上吸収されている。非上場もサッポロ傘下も、本書では一言も触れられていない。都合の悪い話は避けて、創業者の「成功は過去の中に」だけある?…不可解である(笑)。
 
 不愉快は缶コーヒーの中に (2)  不愉快は缶コーヒーの中に (3)
本書の著者略歴には、《世界で初めて「缶入りコーヒー」および「冷温兼用の自動販売機」を世に送り出す》、と記されている。缶コーヒーの歴史を顧みるに、その序開がChase &Sanborn Coffee(1876年)か、外山食品「ダイヤモンドコーヒー」(1958年)か、三浦義武「ミラコーヒー」(1965年)か、現況では不明不詳である。だが、商業ベースの量産品では、「UCC上島珈琲が、缶コーヒーを世界で初めて開発・製造・販売した」と推認される。
 
《ある日、忠雄は駅のホームで飲みかけていたビン入りのコーヒー牛乳をあわてて売店に戻した。電車の出発ベルが鳴り始めたからだった。「もったいないことをした」という思いとともにあるヒントが頭に浮かんだ。缶入り飲料にすれば車内にも持ち込めるからむだなことをせずに済む。そして世界で初めて、缶入りのコーヒーを開発するプロジェクトがスタートした。製品化までの道のりは苦難の連続だった。夜通し文献を読み漁りながら実験を繰り返し、一つひとつハードルを乗り越えていった。当時普及しつつあった人口甘味料は使わず、砂糖とミルクの配合で風味にこだわった。そして1969(昭和44)年4月、ついに世界初の缶コーヒーができあがった。》 (「世界初の缶コーヒーの誕生」<「日本のコーヒーの父」/UCC上島珈琲Webサイト)
 
これに対して、「UCCの缶コーヒーは分類上で乳飲料に該当し、コーヒー規格の初製品はポッカによる」という異論もあるが、これには首肯できない。 この規格が「コーヒー飲料等の表示に関する公正競争規約」で認定されたのは1977年であり、ポッカが缶コーヒーを発売した1972年の5年後にあたる。後付けの規約を適用して「世界初の缶入りコーヒー」を谷田氏の栄誉とすることには無理があり不承である。本書『成功は缶コーヒーの中に』の著者略歴に記された《世界で初めて…》という前口上は不適切な誇張であり、虚言である。
 
  不愉快は缶コーヒーの中に (4)
『成功は缶コーヒーの中に』、本書の中で最も刮目に値する谷田氏の証言は以下の部分。
 
《昭和四五年(一九七〇年)のことだ。その日、私は大阪へ出張した。いつもなら新幹線を利用するところだが、当日は名神高速道路がどんなものかを確かめたくて社用車で向かった。ドライブ途中で、運転手が「コーヒー飲ませてほしい」といったので、養老サービスエリアで車を止めて、コーヒーを飲み、三〇分後に再び車に戻った。そのとき私は、ずいぶん時間を無駄にしたと思った。(車のなかで温かいコーヒーが飲めたら、時間が節約できたのに)そのとき、温かいコーヒーを缶入りにして自販機で売ることを考え、やがて実現にこぎつけるのだが…》(p.p.91-92)
 
《「夏だけでなく冬も売れる飲料はないか」と私が缶コーヒーの開発を発想するのは、…昭和四四年(一九六九年)の冬である。》(p.200)
 
谷田氏が缶コーヒーの着想を得たのは、1969年? 1970年? 矛盾はこれで終わらない。
 
《「車の中でも手軽に飲めるコーヒーがあれば…」創業者の谷田利景が開通したばかりの名神高速道路を走行中、ふと思いついたこのひとことをきっかけに誕生した「ポッカコーヒー」。》 (「190g缶コーヒーのパイオニア」<「事業案内」/ポッカWebサイト)
 
《ポッカは、昭和32年にレモン果汁飲料の製造販売からスタートした。創業から12年ほど経ったある時、創業者の谷田利景さん(現・相談役)が、開通したばかりの名神高速道路を走行中に、運転手が眠気覚ましに養老サービスエリアでコーヒーを飲もうとした。ところが店は混んでいて、注文してからコーヒーが出てくるまでに相当な時間がかかってしまった。その時、谷田さんはひらめいた。「コーヒーを缶に詰めれば、どこでも気軽に飲めて非常に便利になる」。》 (「愛知ブランド企業の舞台裏」<「ものづくり王国・愛知」/愛知県産業労働部「愛知ブランド」Webサイト)
 
「開通したばかり」…名神高速道路(中央自動車道西宮線)の養老サービスエリアを含む区間が開通したのは、1964(昭和39)年9月6日である。缶コーヒー着想はこの直後か? 否それはありえない。当時、養老サービスエリアでコーヒーを飲むことは不可能、なぜなら売店の営業開始は1965(昭和40)年7月3日、名神高速道路全線開通の2日後だから。温かいコーヒーを飲みたくなる冬季に、全線「開通したばかり」の名神高速道路を使用して谷田氏が大阪へ出張したのであれば、それは1965年の冬ということになる。だが、本書の述懐では、「どんなものかを確かめたくて」通ったのは1969年~1970年の冬だという。実に開通4年後である。どちらが本当か?…ポッカが缶コーヒーを発売したのは1972年、翌1973年にサンデンと共同開発した冷温切り替え可能の飲料自動販売機で販売開始、《その第一号機を設置した場所は、いうまでもなく、発想するきっかけを得た養老サービスエリアだった。》(p.201)という。…奇聞に感じられる逸話に、ある疑念を抱かざるを得ない。冷温切り替え可能の缶コーヒー自動販売機の第1号機を設置した養老サービスエリアから遡って、そこを着想の地と偽装したのではないか? その時期が矛盾を孕んだまま、過去へ過去へと遡りがちとなるは、UCCの1969(昭和44)年4月「世界初の缶コーヒー」開発に先んずる着想と思わせたいからではないのか? UCC上島忠雄氏が鉄道で発想した頃に、ポッカ谷田利景氏は高速道路で着想した、という潜在した対抗心で潤色が交えられたか? 谷田氏の缶コーヒー着想話は矛盾に満ち、整合を欠いた記述に錯誤以上の邪心が覗く。
 
「成功は過去の中に」だけある缶コーヒー話、その過去も不可解が満載の缶コーヒー本…コーヒーを真に愛好していない者のコーヒーか、そう、缶コーヒーは不愉快な存在である。
 
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コメント

名推理
シマナカ URL [2012年05月15日 14時57分]

ウーン、思わず唸ってしまった。さすがに帰山人閣下の推理は鋭いな。まるで上質のミステリーを読んでいるような心持ちでしたよ。閣下は偉い。いつだってフリーハンドで、分け隔てがない。お友だちのSCAJ新会長の渾身の〝メッセージ〟だって思いきり腐しちゃうし(笑)。
あれはたしかに凡庸でつまらないな。大将には失礼だけど、つまらないものはやはりつまらないのだ。これからも毒言毒語を期待してま~す。

to:シマナカさん
帰山人 URL [2012年05月15日 18時59分]

いやいや、「偉い」どころか、コッチはフツーだと思っていますよ。おかしいものはおかしいし、つまらんものはつまらん…斟酌や忖度を大人気(おとなげ)とかいう化かしあいにすり替える風潮には馴染めない。そこらへんは、先輩「狷者のジャーナリスト」を勝手に手本としているだけであります。

No title
じょにぃ URL [2012年05月16日 09時57分] [編集]

帰山人さん。

確かに鋭い指摘であります。

本のタイトルは
出版社の人が読んでから
タイトルを決めるのが一般的?のようなので
もしかすると
作者の前後関係を理解していない人が
タイトルを考えたのかもしれませんね。

嶋中さんはタイトルまで自分で決められる
のでしょうけどね。


それと

ねこやさんの渋みについての
コメントありがとうございます。

こちらに
バッハグループのお店がありまして
そこでブレンドとブルーマウンテンを
飲んだんですけど
どちらも渋いんです。

コスタリカ・グレース・ハニー
を買って

家でプレス(4分)で飲んだら
渋くないんです。

でもkonoで2杯分抽出すると
渋いんです。

豆の量も違いますし
konoでは豆からブクブク出るくらい温度が高く
早い抽出(出勤前なもんで(^^;))
ではあるのですが

それにしても渋いんです。

お店では
14グラム
ボンマックで
目盛は
サイフォンとペーパーの中間(細め)
マグカップ一杯分くらいを抽出すると言っていました。

抽出過多??かと思い
もう少し荒くして抽出を早めれば渋みも和らぐのかなぁと思って
みるっこの目盛5.5(私はどの抽出でもこれです。)で
早めの抽出を心がけましたがやっぱり渋いんです。

プレスって古い豆
(ペーパーでは古い酸味が出て飲めない)
でも飲めちゃうので
ある意味”裏ワザ”に近い
飲み方なのかもしれないと思う
今日この頃です。

to:じょにぃさん
帰山人 URL [2012年05月16日 20時27分]

書名に関しては、同じ出版社で「成功は…の中に」を「ゴミ箱」と「洗濯機」で出しているので、それに倣ったんでしょう。その手はよくあることなので、マジでケチをつけてもしょうがないのですがね^^;ただ『成功は缶コーヒーの中に』に関しては、実際に「ポッカ缶コーヒー」に割いているページはかなり小さいです。客観的には「ポッカレモン」に結実するレモン話の方が象徴的だと思うけれど、事件を起こした合成レモンで「成功はレモンの中に」はマズイだろうなぁ(笑)
今回報告いただいた「渋み」の話は、私にもわからないなぁ…何でだろう?仮に同じ豆を使ったとして、プレス抽出では出ないけれどもペーパードリップ抽出だと出る「渋み」、その「渋み」のイメージが浮かばない^^;ちょっと考えてみます。

じょにぃ URL [2012年05月16日 21時16分] [編集]

帰山人さん

単に
ペーパーで二杯分作る際に
豆をKONOの計量カップで二杯使うので

単に抽出濃度が濃くてその濃さが渋味となって現れているだけなのかもしれません。

to2:じょにぃさん
帰山人 URL [2012年05月16日 23時50分]

>単に抽出濃度が濃くてその濃さが渋味となって…
え~っ?それじゃ、豆の種類や焙煎に起因しないどころか抽出方法のせいですらない、ことにご自身でしちゃってるじゃあないですか!(笑)
でも、せいぜい24~30gで液量は240~300ccでしょ、2杯分で。私も、通常の(正確には現在のところ最も頻度が多い)ペーパードリップは、2杯分24gで280㏄です。毎朝のネルドリップ1杯は、24gで50㏄、しかもメッシュは細かめです。うーむ、ウチのコーヒーは全部「渋い」かもしれない^^;ま、好みは人それぞれですがネ…

No title
じょにぃ URL [2012年05月17日 10時43分] [編集]

帰山人さん。

今日の朝
一杯分作ったら
舌に渋みは感じられなかったものの
ほっぺの内側がギスギスした感じになって
味覚ではない渋みを感じました。

自分で淹れた珈琲の渋みは
自業自得ですが
じゃあお店の渋みはなんだったのか・・・
なんですよね。

厳密に検証したわけではないので
まぁ個人の味覚って事で良いです(^^;)

質問しときながらすみません。

無題
KOH URL [2012年05月20日 08時44分]

なかなか鋭いご推察ですね、びっくりしました。名古屋に住んでいる人(当時)は高速道路を名神高速道路と言っていました。それは指摘されているように名神高速道路が先に開通したからです。その時は、一宮から尼崎の部分開通という認識でした。当時、東名高速という名称はありませんので、全線開通の時にできた東名高速という名称は誰も使っていませんでした。当然のように全線開通しても高速道路を名神高速と言っていました。今でもおじいちゃんは名神と言ってます。谷田さんの言う、名神が開通したというのは高速道路が全線開通した1969年のことです。私の父もそのことを名神が(東京まで)開通したから友人と京都まで行ってきたと言っていました。名古屋の人は1969年まで名神にほとんど使っていないのです。当時の社員はその程度の間違いは誰も指摘しませんでした。なお、谷田さんは現在はポッカコーポーレーションの顧問ではありません。純粋に個人として書かれたものです。最高顧問の名称の時も事実上経営を離れていました。MBO後も今も再上場を目指せと熱く語っており、矛盾は少なくともご本人の頭の中ではありません。
日本コーヒー飲料協会は乱立していた缶コーヒーと称する飲料を放置できなくなった厚生省の指導で業界で基準を作るために設置した団体です。UCCはもともとコーヒー豆を販売していた企業ですから規約作成に参加していなかったと思います(私の推定)。UCCの3色缶は乳飲料でした。規約にある製品100g中、コーヒー生豆5g以上は当時のポッカコーヒー(190g)の成分量です。抽出方法は粗挽き豆をネルの袋でドリップしていました。これは喫茶店がルーツだからで、その後10年以上ネルドリップでした。缶コーヒーの定義は後からできたものですが、このような経緯からポッカコーヒーがルーツだと谷田さんが言っているのです。開発当時は谷田さんの認識にUCCは(缶)コーヒーではないと思われていました。その認識でこの本を書かれていると思います。ご本人はいたって純粋な方で、若手経営者は開発担当者の育成に情熱を注がれています。
※ちなみに開発者は皆コーヒー好きですよ。

to3:じょにぃさん
帰山人 URL [2012年05月21日 11時26分]

じょにぃさん、こちらこそ、なんだか、もどかしい感じにさせてしまったようで、スイマセン^^;「個人の味覚」コレを他人と共有するのって難しいよねェ…

to:KOHさん
帰山人 URL [2012年05月21日 14時04分]

ご教示を様々にいただきましたこと、感謝申し上げます。
なるほど「開通したばかり」というのは、1969年5月に第一東海自動車道(いわゆる東名高速)と中央自動車道西宮線(いわゆる名神高速)が全線連結して供用された、これを指していたワケですね。これで谷田氏自身の年代認識は理解できました。但し、本書から離れた指摘になりますが、「当時の社員はその程度の間違いは誰も指摘しませんでした」も得心するとして、ポッカや愛知県の広報で「開通したばかりの名神高速道路」という表示に終始している現行は得心できません。私も(出身地の静岡県から移居して)生来の約半分を愛知県で過ごし、「名神高速」は名古屋IC起点であると誤解している名古屋圏の在地者が多いことを思い知らされました。しかし、「缶コーヒーの開発史」を第三者が語る場合に、1965年7月(=「真の」名神全線開通)と1969年5月(=東名&名神の連結全線開通)との年代認識を誤らせるような表記は、決して許されることではない、と感じています。
>谷田さんは…純粋に個人として書かれたものです。
この点について私も、谷田氏の功績を真に誹謗するつもりはありません。また、ポッカのMBOと谷田氏最高顧問就任が行われた2005年12月以降の(ポッカに関する)事項が本書に触れられていないことも理解できます(私の本文は茶化し過ぎ?)。しかし、創業者&元経営者としてビジネス書を著すのであれば、この前後の経過に関しても谷田氏なりの見解を示してほしかった、というのが私の正直な気持ちです。
>UCCの3色缶は乳飲料でした。
承知しています。これは、1969年4月UCCの3色缶完成の約1年前1968年5月に「飲用乳の表示に関する公正競争規約」が認定されたことによりますね。しかし、そもそも上島忠雄氏は「乳飲料」を開発したかったわけではないと思います(私の推定)。上島氏も谷田氏も「缶入りコーヒー」を作りたかった、且つ当初は双方共に「缶入りコーヒー」はミルク(牛乳)と砂糖を入れたものと承知して開発し販売した…双方の前後に認定された2つの公正競争規約により、規格上で「乳飲料」と「コーヒー」とに分別された。私はこう認識しています。したがって2人の開発者自身の想いに関しては、いずれにも優劣を評するつもりはありません。ただ、2つの規約だけを理由に後世で(第三者に)論評されては、亡き上島忠雄氏も口惜しく遺憾であろう、と私は思っています。
>ちなみに開発者は皆コーヒー好きですよ。
私の言葉が苛烈に過ぎて聞こえたり、或いは不快に思われたのであれば、申し訳ありません。しかし、コーヒー好き(愛好者)だから優れたコーヒーの商材やビジネスが開発できるワケでは無い、とも思っています。例えば、ハワード・シュルツ氏は自身がコーヒー愛好家であると表明していますが、(本ブログで氏が買収した以降のスタバを度々叩いている通り)私の認識ではスタバCEOとしてのシュルツ氏という存在は、世界のコーヒーマーケットに対して功績よりも罪悪の方が大であります。もっとも、「コーヒーを真に愛好していない者」の最たる例は、私自身かもしれません。俗な好悪を超えたところにハマった珈琲狂の戯言、ご寛恕くださいますよう(笑)。
いずれにしましても、頂戴したコメントは大変参考になりました。ありがとうございます。

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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