誰も出てはならぬ

ジャンル:映画 / テーマ:映画感想 / カテゴリ:観の記:映面 [2012年05月06日 23時00分]
映画業界用語「ゴールデンウィーク」に従い、昨2011年はババアにシビレたが、今2012年は
黒も白も無い駄作でハズした…口直しならぬ目直しにもう1本、いや、もうひとっ風呂浴びる?
 
『テルマエ・ロマエ』 観賞後記
 
  誰も出てはならぬ  誰も出てはならぬ (1)
そもそも風呂場でタイムスリップという時点で、先行の名作(?)“Hot Tub Time Machine”
(『オフロでGO!!!!!タイムマシンはジェット式』:2010年)に匹敵するバカらしさが求められる
必然。丹念や整合などは不要無用であり、原作漫画に比してのアーダコーダは意味が無い。
原作者ヤマザキマリの擬影である山越真実(上戸彩)の役回りと演技には無理も目立つが、
まぁ風呂場の娯楽作品に垢抜けない下手も愛嬌か、浮世の垢と一緒に脱ぎ捨て観るも好し。
 
  誰も出てはならぬ (2)
閑話、「すべての‘風呂’は‘ローマ’に通ず」は公衆浴場の史実を考えるに笑止の戯言だが、
  《日本人は世界に冠たる入浴文化を持つ民族だといわれています。…こうした日本の
   入浴文化と、それを支えてきた銭湯を積極的に後世に語り伝えていくことは現代人の
   使命ですが、銭湯は今、時代の変化の中で一見その価値が見失われようとしています》
という「日本銭湯文化協会」、或いは「全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会」(全浴連)
などが、本作『テルマエ・ロマエ』に連動も協調もしていない怠慢、もっと汗を流すべきだろう。
 
  誰も出てはならぬ (3)
休題、映画の後段にハドリアヌス(市村正親)の「神格化」(apotheosis:アポテオーシス)が
話の焦点の一つとして取り上げられる。映画の主人公ルシウス(阿部寛)の尽力がなくとも、
実際に死後のハドリアヌスはダムナティオ・メモリアエ(Damnatio Memoriae:記録抹殺刑)
を免れて神格化されている。皇帝vs.元老院というローマ帝国の権力構図を理解していない
と「神格化」話は解かり難い。歴代ローマ皇帝の中でダムナティオ・メモリアエを浴びせられた
のは、ハドリアヌス以前ではフラウィウス朝ドミティアヌス、以後ではセウェルス朝ゲタである。
 
  誰も出てはならぬ (4)
そのセウェルス朝において弟ゲタと共同皇帝になった兄カラカラは、巨大な「テルマエ」(カラ
カラ浴場)を建設した。カラカラは死後、ハドリアヌスが自ら建て始めた霊廟に葬られている。
ところで、映画『テルマエ・ロマエ』のテーマ曲は、歌劇『トゥーランドット』第3幕カラフのアリア
「誰も寝てはならぬ」‘Nessun dorma’である。1990年7月7日、「テルマエ」カラカラ浴場の
遺跡に、ルチアーノ・パヴァロッティとプラシド・ドミンゴとホセ・カレーラスが集まった。イタリア
FIFAワールドカップ決勝の前夜祭、3大テノール競演の最後は「誰も寝てはならぬ」の3重唱。
この「テルマエ」カラカラ浴場の遺跡で熱唱されたことを前提にテーマ曲を選んだか?見事?
 
  誰も出てはならぬ (5)
ひとっ風呂浴びたような心地で観た後は、本当にひとっ風呂浴びに「カラカラとゲタを鳴らして
銭湯へ」行きたくなる。映画『テルマエ・ロマエ』では入浴後にフルーツ牛乳を飲んでいたけれ
ども、ココはコーヒー牛乳でいきたい。何故?ローマ帝国では飲めないからである、ザマミロ!
湯に浸ってルシウスに負けず入浴文化を考えきる、それまで風呂から「誰も出てはならぬ」!
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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