とある魔術の禁画目録

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2012年05月01日 01時30分]
昼下り、自宅からランで県美へ、緩く走ったつもりだが汗だく、喫煙クールダウン後、入館。
  魔術ヴォーテックス
 
第1回『20世紀美術にみる人間展』(三重:2004年)、第2回『ルドンとその時代』(岐阜:2006年)、第3回『20世紀美術の森』(愛知:2007年)、第4回『時代を創った日本画家たち』(岐阜:2009年)、第5回『ひろがるアート ~現代美術入門篇~』(三重:2010年)…愛知・岐阜・三重の3県立美術館が所蔵品を互いに遣い回し、さも新味と幻視させる、という安直で芸の無い芸術展。だが、6回目は題からして類型を破るか、異界の展覧会?
  魔術ヴォーテックス (1)  魔術ヴォーテックス (2)
 
2012年4月30日
開館20周年記念 愛知・岐阜・三重 三県立美術館協同企画 No.6
『魔術/美術 ─幻視の技術と内なる異界─』 愛知県美術館
 
「あなたの魔性、めざめます。」という本展の惹句、軽妙で新奇か、軽率で醜怪か、微妙。入口に下がったカーテンには、André Breton(アンドレ・ブルトン)の“L'Art magique”(『魔術的芸術』)からの引用句が記されている…やはり、この展覧会の発想はココから。真味の「魔術」が直接に絡んだ美術品ばかり集めきれたハズも無い、つまりはこじつけ臭くて無理のある展観だろう、と内心で疑って観回る。意外や芸の有る芸術展であった。
 
  魔術ヴォーテックス (3)  魔術ヴォーテックス (4)
Escher(エッシャー)やDalí(ダリ)は何度見ても悪くないが、「幻視」や「異界」を象徴させるには通俗過ぎてダメ、そもそも連中の計算高い技法は「魔術」からもっとも遠いところだ。それより、Albrecht Dürer(アルブレヒト・デューラー)の‘Melencolia I’(「メランコリアⅠ」)、Félicien Rops(フェリシャン・ロップス)の‘Les Sataniques’(「悪魔礼賛」)、北川民次の「美女とバッタ(1)」などは、人間の救われない魔性が現れていてケッコウな作品である。
 
だが、本展において見事であるのは並べられた作品では無い。中村史子氏・中西園子氏ら県美学芸員による解説文である。超自然・非合理・呪性・非科学などの要素をわずかも見出して、何が何でも並べた作品を強引に「魔術的芸術」に仕立て上げるべく奮闘したか、その牽強付会は「本家」アンドレ・ブルトンも真っ青というべきほどに見事、読んで笑える。さらに、展覧会のカタログが好い。芸術人類学・視覚文化論・表象文化論・映像文化論・服飾史の専門家5名を担ぎ出して、各々勝手なコラムで「魔術的芸術」を盛り上げている。
 
 《…魔術とは合理的な思考を振り切り逸脱するものです。…民間信仰、サブカ
  ルチャーなど生活の端々に、理論だけでは説明のつかない不思議な現象と、
  それらを希求する人々の願望を認めることができます。そして、魔術にもっと
  も近い領域の一つに美術があります。…現在でも、合理的判断だけではなく
  自らの感性に従って製作する芸術家は少なくありません…そこに一種の魔法
  使いの姿を重ね合わせることもできます》
  (『魔術/美術 ―幻視の技術と内なる異界―』展の「ごあいさつ」)
 
この視点は、おそらくは依ったアンドレ・ブルトンと同じ誤謬を犯している。「魔術」を必要としている人間にとって、「魔術」は「説明のつく不思議でもない現象」なのであり、その人間にとっての合理や科学を傍から「魔術」と呼んでいるだけなのである。ここを忘れたのか、或いはワザと無視したのか、本展は並べられた芸術品の作者以上に展覧会の主催者が、《自らの感性に従って製作する芸術家》になってしまった催事である。そこが皮肉で愉快。
 
  魔術ヴォーテックス (5)
企画を面白おかしく渦巻き動かし、主催者が「一種の魔法使い」になってしまった展覧会…「あなたの魔性、めざめます。」ではなくて、「わたしの魔性、めざめます。」だと笑い去った。『魔術/美術』の作品を忌(い)んで燻(くす)べても仕様が無い…「とある魔術の禁画目録」
 
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コメント

No title
じょにぃ URL [2012年05月01日 13時50分] [編集]

帰山人さん。
ブログの内容と全く関係ないですが
4月28日の設計屋のブログ
考えさせられます。


『最近、この業界の技術者や
作業者のアマチュア化が進んでいるように思います。』

この一文にドキッとしてしまいます。

私も全くの素人ですが
このアマチュア化と言うのは
早期退職した人が甚平を着て
蕎麦の店を始める

この退職者が退職金に物を言わせて
蕎麦を始める現象と
珈琲も同じになって来たと私は考えています。

私も正直カフェなどで働いている人をみて
『なんか楽しそうで楽そうで良いなぁ。』
と安易な気持ちから珈琲の世界に入りました。

こちら田舎では今まで若い方々が
手作り感のあるお店を始めるパターンがほとんどでしたが
最近は田口さんの所で修業された方や
おそらく大手の珈琲企業から脱サラ(早期退職)した
方がしっかりと金をかけた珈琲屋を
始める方が増えてきたように感じます。

もちろん、
珈琲屋を始めることに異論はありませんが

『懐疑心も無く全てを鵜呑みにしていると
落とし穴にハマっていても気が付かない場合があります。』

世間知らずにならないように
常に向上心・知的好奇心を持って
珈琲に接していきたいと考えています。

帰山人さんの様に
うまく文章にできないので
正確に伝わったかわかりませんが
今回の設計屋のブログは
考えさせられる文章でした

to:じょにぃさん
帰山人 URL [2012年05月01日 15時33分]

じょにぃさん、(既知かもしれませんが)岡崎さんの記事について私は≪業界の実は…、相変わらず好く吼えているなぁO氏w こりゃ傑作。但、「最近、この業界の技術者や作業者のアマチュア化が進んでいるように思います。」は違う。昔っからだよw 情報化で目立つようになったのさ、最近は…馬鹿と阿呆は昔から~ww≫とツイートしました。いわゆる「でもしか」稼業ってヤツですね^^;
「なぜ疑わない…、懐疑心を捨てた思考は発想の幅を狭めるだけだ」…
では疑ってみましょう^^/ 岡崎さんの発言は、「この業界の技術者や作業者のアマチュア化が進んでいる…」に限らず、たえず自らが「プロ」であるという目線でコーヒー界を辛口に斬っていますが、さて彼は「プロ」なのでしょうか?何の?コーヒー焙煎機の設計屋として?…「この業界」を岡崎さん自らを含む範疇だとするならば、例えば旦部さんも「プロ」で過言ない……つまりですね、岡崎さん(の発信)は自らが際どい位置にいることを承知で言っているワケでして。この辺が、岡崎さんの自尊と気負いと老婆心と顕示欲がないまぜになった「放言」となっている、だから時々鼻につく、それも本人から見ればワザとだし、わかっちゃいるけどやめられないあざとさである、と私は解釈しています。食えないヒトだよなぁ(笑)
あ、話がズレていると思ってますか?いやいや、「設計屋のブログ」で考えさせられるのは、辛口の記事そのものと同時に、あざとく振る舞う岡崎さんという人間…ここを「なぜ疑わない…、懐疑心を捨てた思考は理解の幅を狭めるだけだ」(笑)

巨大迷路について
河尻 定 URL [2012年05月02日 17時27分]

日経新聞の河尻と申します。
日経電子版で、「東京ふしぎ探検隊」という街歩きコラムを連載しています。この連載で今度、バブル期前後にあった遊び場についてまとめたいと考えています。
その柱の1つとして、「ランボローメイズ」の巨大迷路を取り上げる方向です。どんなものだったのか、あれほど爆発的にはやった理由は何か、全国のどこにあったのか、ランボローメイズ以外の巨大迷路はどこにあったのか、などを現在調べているところです。
ネットで情報を探していたところ、こちらのブログを見つけました。非常に詳しい方とお見受けしましたので、ぜひ巨大迷路について、教えていただけないかと思い、コメントをしてみました。
もしよろしかったらメールを頂ければと存じます。
よろしくお願いいたします。
日本経済新聞社編集局電子報道部
河尻 定



to:河尻 定さん
帰山人 URL [2012年05月02日 21時44分]

ようこそ、この辺境ブログにお越しくださいました^^
巨大迷路に「非常に詳しい方」かどうか、わかりませんが、
メールいたします。どうぞ、よろしく。

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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