どらゴン太とウーの女

ジャンル:映画 / テーマ:映画感想 / カテゴリ:観の記:映面 [2012年02月11日 23時00分]
《スティーグ・ラーソン(Stieg Larsson)は、私人としての自分が世間に注目されることに興味がありませんでした。メディアにもてはやされるなどということは、彼にとって考えられないことでした。主流派のジャーナリストや商業作家としてお金のためだけに書くこと、それは彼にとってまさしく悪夢であり、またそのように見られることを望んでいなかったのです。スティーグ・ラーソンは人々と社会に光をあてたいと思っていたのです》……生前のラーソンに連れ添ったエヴァ・ガブリエルソン(Eva Gabrielsson)の言である(‘Spanish Obseravatory on Domestic Violence’での受賞スピーチ:2009年9月21日)。ジャーナリストのラーソンは、芯から熱く鋭く誠実な人物だったのであろう。
 
《デヴィッド・フィンチャー(David Fincher)は、監督としての自分が世間に注目されることにしか興味がありません。メディアにもてはやされることは、彼にとって望み通りのことです。主流派の映画監督や商業主義者に見られることを望んでいないかのようにアイロニカルに振舞いながら、実際は悦に入ってます。デヴィッド・フィンチャーは自分にだけ光をあてたいと思っているのです》……フィンチャーの最新公開映画を観賞した私(帰山人)の言である。フィンチャーは、暗く冷めた表現の映画で商業主義から距離をおいた人物に装うが、芯は傲慢で不誠実な偽善者だ、と確信できる。
  
『ドラゴン・タトゥーの女』(The Girl with the Dragon Tattoo) 観賞後記
 
  どらゴン太 どらゴン太 (1) どらゴン太 (2)
「誰がハリエットを殺した?」「二人が突き止めた身も凍る真実とは?」…という日本公開時のキャッチコピーに騙されてはならない。仮に騙されたまま観たならば、導入部は冗長に感じて、終端部も稚拙に思えるかもしれない。しかし、おどろおどろしい猟奇趣味の謎解きそれ自体は、単なるシークエンスであって、つまりホラー映画ではないし、謎を解く「二人」自体がミステリー映画なのだ(この点に関しては、日本の配給会社がひどく無能なだけで、当然にデヴィッド・フィンチャーら映画を作った側に罪は無い)。
 
  ウーの女 ウーの女 (1)
原作と異なる謎解きの結果、その場所を明るいオーストラリアを避けて暗いロンドンにした、デヴィッド・フィンチャーらしい改変ではあるが、ここまでやると鼻につくことさえ通り越して、もはや滑稽ですらある。自分らしい解釈の工夫と称して、結局は自己顕示したいだけの毎度のやり口だ。幸いにも、そのあたりの改変は映画作品としての質自体に悪影響を及ぼしていない。それよりも、違うところで妙に原作に沿った話題を織り交ぜて尻切れた話題が多発していること、こちらは罪だ。ここをスッキリさせるには原作小説と同様に映画にも続編が必要であって、意図的にそう作っておいて「続編に関しては、観客の反応次第」とか言っている監督フィンチャーこそが猟奇の極みである。『ソーシャル・ネットワーク』(The Social Network)の観賞時には、フィンチャーをゴールデンゲートブリッジから突き落とすことを望んでいたが、今般『ドラゴン・タトゥーの女』では、フィンチャーの胸腹部に「私は偽善な豚野郎です」と血を流させながら刻みつけることを切望する、犯罪防止策である。
 
  ウーの女 (2) ウーの女 (3) ウーの女 (4)
ミカエル・ブルムクヴィストを演じたダニエル・クレイグ、リスベット・サランデルを演じたルーニー・マーラ、主役「二人」は期待以上の好演である。 ダニエル・クレイグは、いわば「ゴン太」(‘やんちゃ坊主’の意)や「どら」(‘品行不良’の意)な役がピッタリであるし、ルーニー・マーラは、「Woo」(‘言い寄る’の意)な奇女をケッコウ頑張っている。だから、ミステリー映画としての完成度が二の次ではあってもそれなりに面白い作品にはなった、それが監督も猟奇な映画『どらゴン太とウーの女』の救いであろう。
 
コメント (2) /  トラックバック (0)

コメント

No title
浅野嘉之 URL [2012年02月15日 15時16分]

セブンの後味がまだ残っていてJ・エドガーを選択してしまいました
やっぱりドラゴン・タトゥーの女だったのかしらん
ずっぽりフィンチャーもよかったのかもしれませんね

to:浅野嘉之さん
帰山人 URL [2012年02月15日 17時13分]

『ドラゴン・タトゥーの女』でもフィンチャーは(原作以上に)また「キリスト教」に拘って作っていました。まぁ宗教を絡めて心理的な葛藤を描くのはフィンチャー得意の手なので驚きもしないけれど、そこを演出の道具にしている姿勢が私は気に入らない。よっぽど宗教にコンプレックスがあるみたいだけれど、素直じゃない奴は表し方も捻くれているみたい(笑)。ま、『セブン』よりはコザッパリしているので観てみるのもいいんじゃないかと…

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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

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