コーヒーを隆とせよ

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2011 [2011年11月26日 05時30分]
西洋の社会を語るにも拘らずバタ臭くは無い、むしろカサカサと乾いていて軽い感じ、「ロブスタの浅煎り」とでも喩えられようか、不思議な後味が残るコーヒー本を読んだ。
  コーヒーと巡遊伶人
 
『珈琲と吟遊詩人 不思議な楽器リュートを奏でる』(木村洋平:著/社会評論社:刊)は、大まかに言えばタイトル通りにコーヒーと吟遊詩人とリュートを並べ語る本である。
 
  コーヒーと巡遊伶人 (1)
「第一話 珈琲とカフェの文化史」において、著者木村洋平氏は、現代の日本における珈琲店を「四つくらいに分けて」その特徴を捉えて、登場人物の発言として評している。
  《一、まず、スペシャルティコーヒーの専門店。
      どれも均一にレベルの高い味がする。
   二、次に、シアトル系を始めとする良質なコーヒーチェーン。
      ここも安定して、わりと美味しい珈琲が手軽に飲める。
   三、自家焙煎の珈琲専門店。
      主人のやり方一つで、味ががらりと変わるので、バラエティーが豊か。
   四、珈琲よりも雰囲気や安さにこだわったカフェ。
      珈琲の味は、似たり寄ったり。》 (p.23)
この評に対して私は全く同意できない。一に関して、スペシャルティコーヒーの専門店であってもレベルの低い味がする店はかなり多い。むしろ、「スペシャルティコーヒーの専門店は、旧来の非スペシャルティコーヒー店よりも相対的にレベルが高いハズ」という予断自体すら誤っている、という実態であろう。二に関しても、シアトル系が良質(?)とする見解は私には度し難く思える。どのチェーンであっても訪店する都度に味は全く安定していないし、そのほとんどが「わりと美味しくない珈琲」を衒って出す店ばかりだ。三と四に関しては、異論はない。だが、この4分類の並べ順がおそらく著者の好みを示しているのであろうという臆断も含めて、著者と私とでは珈琲店を捉える認識自体がまるでズレていることは間違いない。どちらが正しいとか誤りとかいう問題ではないし、巷間では著者の認識の方がイマドキなのだろうが、私は私でハッキリと異を唱えたい。
 
  コーヒーと巡遊伶人 (2)
『珈琲と吟遊詩人』において、第一話とエピローグを除いた残りの章は、コーヒーに軸を置いた話ではないが、それでも興味深くも面白く読みとれる箇所もあり楽しい本だ。
  《…なんらかの訳語として「吟遊詩人」という言葉が発明されたのに、今度は、
   「吟遊詩人」に当たるヨーロッパの言葉を探して、逆に翻訳しようとすると、
   なにも見当たらないのですね…西洋の歴史と、西洋風のファンタジー世界に
   埋没していると思われた「吟遊詩人」が、まさか日本語の独創だったとは!》
   (「第二話 吟遊詩人の歴史」 p.84)
この「吟遊詩人」という言葉を取り巻く状況は、抽出技法や産地ブランドに象徴される日本の「コーヒー」にそっくりである。西洋の歴史と、西洋風のファンタジー世界に埋没していると思われた「ネルドリップ」や「ブルーマウンテン」は、まさに日本の独創だったのである。日本における「吟遊詩人」も「コーヒー」も、明治・大正期に概念を輸入し始めて、昭和初期に変転しつつ確立へ向いて、1960年代以降に一度は完全に固着し、1980年代以降にその固定概念が打ち破られる時期を迎えている相似、実に面白い。エピローグにおいて、《珈琲こそは、世界中を遍歴する異邦人ではないか》(p.235)と著者は語っているが、異邦を独創で解する日本の癖はコーヒーにも見出されるのだ。
 
  コーヒーと巡遊伶人 (3)
『珈琲と吟遊詩人』を著者は、《…ごくふつうのエッセイとも、教養書とも、物語ともつかない、少し風変わりな本になった》(「プレリュード」 p.2)と自評し《…本書の文章(会話)がリズミカルに、明快に読んでもらえたら、とてもうれしい》(「あとがき」 p.250)と望む。しかし、「吟遊詩人」「僕」「祖父」「小学校の先生」の4人を登場人物として対話形式で内容が展開されている本書は、著者の語りたい蘊蓄を「僕」だけでなく他の登場人物にも散らして喋らせているため、その蘊蓄を並べた話題のわざとらしさが交互に表れ、それが気に障って文章のリズム感が相殺されている。《…扱った話題の「珈琲豆」を充分な仕方で抽出できずに、どこか説明が浅煎りに過ぎたり、逆に、思想が深煎りで苦すぎたりしたかもしれない》(「あとがき」 p.251)とも著者は釈明しているが、私には説明も思想もどちらも浅煎りに過ぎて、違和感が後残る「ロブスタの浅煎り」に感じた。
 
  コーヒーと巡遊伶人 (4) コーヒーと巡遊伶人 (5)
「不思議な楽器リュート」に関しても、有棹弦鳴楽器であるリュート属の紹介をBarbat(バルバット)やKora(コラ)あるいは琵琶にまで言及すれば、「吟遊詩人」の絡みでもSogd(ソグド/粟特)人やGriot(グリオ)あるいは巡遊伶人や琵琶法師へ至当に触れることになったのであろうが、本書では紙面の都合か? 話題が拡がらず残念である。だが仮に本書の続編を期待するのであれば、まず珈琲狂としては、リュートはともあれコーヒー本としても隆(りゅう)とした内容を奏でてほしい、『珈琲と吟遊詩人』を超えて。
 
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コメント

No title
sawankalool2004 URL [2011年12月07日 11時16分]

私も30年前バッハで田口氏と吟遊詩人の話をしたことがありました。西洋的な概念をアジア的装飾の中で見事に翻訳した明治の天才的日本人に話が及びました。その時田口氏からコーヒーもそうだ、珈琲の語の翻訳も日本人の手になるものだと知りました。輸入も不平等条約の見返りとして日本に購入を強いられたものであることを教えでもらいました。それを日本に根付かせるのは容易ではないとわかりました。日本人の天才的文化吸収力に感動したものです。リュートの音を始めてライブで聴いたのもバッハの音楽会ででした。なんと表現してよいかわからないほど衝撃を受けました。しかし私がアジアや日本の民族音楽に興味を持つようになったのは、リュートの音を聞いてからでした。この本のことは全く知りませんでしたが思わず昔がよみがえってきましたので書かせていただきました。老人の繰言としてご容赦ください。

to:sawankalool2004さん
帰山人 URL [2011年12月07日 23時42分]

この本の内容も話題が豊富であるとは思いますが、田口夫妻と話している時ほどではありません。バッハは昔から知の泉としても音の箱としても正しくカフェでありますね、その恩恵にあずかり我々は幸せであります。「リュートを聴いてアジアや日本の民族音楽に興味を持った」という体験に興味を持ちました。

No title
sawankalool2004 URL [2011年12月11日 13時37分] [編集]

私的な体験を説明抜きでさらりと書いてしまった自分を恥じ入ってすぐに返事を書いたのですが届いていないようなのでまた書きます。私の送信ミスだとおもいます。もし届いていれば無視なさってください。
リュートの音に近代市民社会成立以前の自然と人間の揺らぎを感じたのです。丸い小さなリュートを抱きかかえるように演奏するその姿に自己主張を抑えた他者への祈りを感じたのです。繊細な音なのに一方向からではなく上から下から背後から包み込むように聴こえてくるのです。グレゴリオ聖歌や声明に近いものを感じたのです。アジア的な匂いを感じ取ったのです。近代市民社会が個の確立に一定の答えを出しながらも、その攻撃性にいまいち乗り切れないものを感じていたわたしはアジアにひかれていったのです。日本の笙や尺八の音 中国の胡弓や筝 インドや東南アジアトルコモンゴルの音楽に魅せられていったのです。それらの音楽は私の音楽という主張ではなく自然の中の我々という音楽でした。鳥のさえずりや木々の音が邪魔にならない音楽でした。西洋の音楽は個性の強い音を調和させてもう一つの世界を作っていました。実際の自然の音は無用なものでした。二つの音楽は、全く別のものだと思いました。リュートがアジアの楽器であったことがあとでわかりました。リュートの音は前近代と近代の羽境の音だとわかりました。そういうことです。音楽に疎い私が迂回してやっとわかった体験だったのです。いまではすべての音楽を受け入れられるようになりましたがやっぱりエスニックなものが好きです。それが私の趣向というものなのかと思っています。貴兄の文、いつも楽しく拝見させていただいております。今後のご活躍をお祈りいたします。感謝

to2:sawankalool2004さん
帰山人 URL [2011年12月12日 18時37分]

たしかにリュートの音は前近代と近代の境を奏でているのかもしれませんし、また両者を繋いでいる音なのかもしれません。原型となった古楽器がヨーロッパに伝わって、フレットを打ち音階を固定してサワリも無い楽器にはなりましたが、リュートの複弦は「個の徹底的な主張」というよりも、「皆でなんとなくの揺らぎ」を感じさせます。有棹弦鳴楽器の伝播が、西でリュートに東で琵琶になったことを考えると、揺らぎの音も静かにゆっくりと「西の果ては東の果て」?に響いてきたのでしょう。

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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