波乗りのコーヒー

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2011 [2011年11月20日 06時00分]
『野性時代』創刊号(1974年)に掲載された短編で小説家デビューした片岡義男は、
その作品でハワイのオアフ島北海岸においてサーフィンを映画フィルムに収めようと
大波を待つサーファーたちを描いている。そして大波と同時にコーヒーも表している。
  《ボードに腹ばいとなり、一定の位置を保つように波と戦いながら、僕たちは波を
   待った。二度、僕たちは海岸に戻った。ジェニファーが持って来てくれている、
   マーマレード入りの熱いコーヒーをすすり、砂浜を飛び跳ねるように走っては、
   冷えた全身に体温をとり戻した。三度目に沖へ出たとき、その大きな波が来た》
   (片岡義男『白い波の荒野へ』 後に『波乗りの島』に収載、双葉文庫で改訂版)
そこでは、視覚や触覚に並んで聴覚でもサーファーがビッグウェイブを体感している。
  《飛沫のひとつひとつにさえエネルギーのありったけをつめこんで、海面から五十
   フィートの高さの空中にのしあがったその大波は、カワイロア海岸にエネルギー
   をぶちまけて解消すべく、持っている力のすべてを出しきって、いっせいに崩れ
   かかった。…そのときの音が、僕の耳の内部に聞こえて来た。砕け落ちる大波
   の内側に閉じこめられているのだから、音があらゆる方向から僕をめがけて
   おそいかかって来る》 (前掲書)
ならば音の無い世界にいるサーファーは、コーヒーや波をどう感じているのであろう…
  コーヒーと鉛筆  コーヒーと鉛筆 (1)
 
珈琲とエンピツ』は今村彩子氏が太田辰郎氏を対象に撮ったドキュメンタリー映画、
撮った今村監督は聾(ろう)者であり、撮られた太田氏も聾(ろう)者である。太田氏は
静岡県湖西市でサーフショップ&ハワイアン雑貨店を営んでいる。来店者にまずは
珈琲(店で販売しているLionやRoyal Konaであろうか?)をすすめ、次に紙とエンピツ
で筆談を始める、そのコミュニケーションツールが映画題名『珈琲とエンピツ』となる。
  コーヒーと鉛筆 (2)  コーヒーと鉛筆 (3)
 
2011年11月19日、愛知教育大学にて教育臨床総合センター講演会に参加した。
  テーマ「ろう者と聴者のこころのかけはし」
   第1部:映画上映と監督の小講演『珈琲とエンピツ』(監督:今村彩子)
   第2部:基調講演「きこえない人々の心に触れて」(神戸大学教授:河崎佳子)
   第3部:対談「こころのふれあい」(今村彩子氏と河崎佳子氏)
聴講参加した私の動機は「コーヒー映画として『珈琲とエンピツ』を無料で観賞する」
という不純なものだったが、この安直な観賞が大当たり、「娯楽映画」として大傑作。
  コーヒーと鉛筆 (4)  コーヒーと鉛筆 (5)
 
『珈琲とエンピツ』は、登場する人物の表情や風景といった「画」もなかなか良いが、
観賞中に私がもっとも魅かれた要素は「音」である。波の音(太田氏はサーファーで
ある)やボードブランクを削る音(太田氏はサーフボード職人である)はもとより、靴底
がキュッと鳴る、手振りにアロハシャツがサッと擦れる、つたない発声で口を開く度に
歯がカチッと舌がチュッという、音の無い世界にいる者が奏でて音の無い世界にいる
者が拾った音の存在感が強く優しい、アイロニカルというよりもユーモラスでさえある。
 
『珈琲とエンピツ』のナレーションは今村監督自身が担当している。第3部の対談中、
今村監督は「どうして(不完全な発音で聞き取り難い)聾(ろう)者の声をつかうのか?
という意見もあるかもしれない」という葛藤を吐露していたが、本作品のナレーション
は今村彩子氏で好かった、と私は思っている。太田氏をはじめ登場人物のやること
なすことがとてつもなく面白く、観ているうちに意識が作品の題材設定を離れていき、
群像コメディの中に没入してしまう。その観客の弾む娯楽意識を、聾(ろう)の世界を
描いた作品として唯一惹き止める成分、それが今村監督のナレーションなのである。
 
『珈琲とエンピツ』に描かれた太田氏を観ると、聾(ろう)者における情動の振れ幅は
聴者(健常者?)よりもはるかに大きいのではないか、と私には感じ取れた。だから、
心理臨床で聾(ろう)者に接している河崎佳子氏の話も興味深くはあったが、河崎氏
の話題や表現に反応する今村彩子氏の情動を忖度している方がもっと面白かった。
もしかして聾(ろう)者がウマイと感じた珈琲は、私がウマイと感じる珈琲の何万倍も
ウマイと感じられているのではないか?トロ厚い波に巻かれてもブイでしかいられぬ
丘サーファーのようだな、身勝手な羨望に捉われながら自分を笑って会場を去った。
  コーヒーと鉛筆 (6)
 
  《…なににしろ存在するものは消えていく。消えていくにあたっては、どこかになん
   らかのかたちで、それは痕跡を残す。たとえば一度だけの大波は、それを撮影
   した映画フィルムのなかに、痕跡として残る。その痕跡を受け渡された次の人
   たちが、痕跡のなかからなんらかのクリエイティヴな力を引き出して、それを
   自分たちのものとしていく…》
   (片岡義男「改訂文庫版のためのあとがき」 『波乗りの島』双葉文庫1998年)
 
スバラシイ珈琲も、喫して消えていくにあたって、どこかになんらかのかたちで痕跡を
残すのであろうか?その痕跡を受け渡されたコーヒー愛好家は、クリエイティブな力を
引き出して、その新たな香味に波乗ることができるのだろうか?そこに音は無くても…
 
コメント (0) /  トラックバック (0)

コメント

この記事にコメントする

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://kisanjin.blog73.fc2.com/tb.php/400-beaf61bb
編集

kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

05 ≪│2017/06│≫ 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
Powered by / © Copyright 帰山人の珈琲漫考 all rights reserved. / Template by IkemenHaizin