噺家のはなし

ジャンル:映画 / テーマ:映画感想 / カテゴリ:観の記:映面 [2011年04月20日 23時00分]
えぇ「落語家自らメガホンを取った正真正銘の落語映画」なんてぇことを申されてます。どうだいひとつ監督(林家しん平)の男を立ててやろうじゃねぇか、と云ったかどうか定かじゃありませんが、「全面バックアップ」ったって大きいんですが一団体(落語協会)の協力で落語界全体じゃねえって云うんですから、これじゃ「くすぐり」にもならない噺(はなし)でして、「よせ(寄席)やい」とでも云いたくなる野暮な宣伝でございますな。
  噺家噺   噺家噺2

『落語物語』 観賞後記
 
「可もなく不可もない」というよりも、「可もあり不可もある」というべき作品。
 
これまでの落語映画が「ちゃんと描いてない」ので「落語家の世界はこうなんだ」と「当たり前の落語家を描きたかった」という監督兼原作者の目論見は実現していた。ピエール瀧(今戸家小六)や田畑智子(山岸葵)や嶋田久作(山海亭文酒)などが本領の発揮で「真打」役者としてキャスティングも大当たりであったのに比べると、噺家連中の起用は裏目に出て皆「前座」にもならぬ「割」に合わない大根役者ぶり。唯一に柳家わさび(今戸家小春)だけがフニャフニャの素で救われ当に「二つ目」。高座以外は役たたずな「落語家の世界はこうなんだ」を暴露して、「いい形だねえ」。
 
脚本に無理があるのか映画として話運びが散漫で、思わず「およしよ」と言うべき、噺家の自宅、寄席の楽屋、床屋に路地裏など場の映りは良かっただけに残念だ。シーン切り替えごとに川柳まがいの句が出て、物語の先を読み進める気勢を殺ぐ、風雅に場面をまとめる狙いであっても小粋なハズの趣向も無粋なヤカンであった。 福砂屋のカステラ、うさぎやのどら焼き、あまの(吉祥寺)の揚萬念(揚げまんじゅう)といった菓子類の登場はいかにもではあるが、ようっようっ!憎いねどうも、の感。
 
「落語映画の“真打”ついに登場!」という惹句に私がいまひとつ納得できないのは、落語という演芸の手法を小賢しく映画に引き込もうとして失敗しているところであり、結果としてこの作品は「落語(の)物語」ではなくて「噺家のはなし」としてのみ輝いた。小六の放屁を嗅がされながら前座となった小春が香盤を無視してトリをつとめる、「沈香も焚かず屁もひらず」ならぬ「屁を嗅いで香盤も読まず」お後がよろしいようで。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
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