良書は口に苦い

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:日本珈琲狂会 [2011年04月16日 23時00分]
CLCJ推薦図書 その4
『もの食う人びと』 辺見庸:著
 
 
コーヒーに関して知見を拡げようにも、業界人の大味な話や学者の味気ない論にアポリア(aporia)を感じる時、その食傷には『もの食う人びと』のコーヒー話が効く。世界各地の人人と共に著者が食う、残飯・囚人食・難民食料・軍携帯食・放射能汚染食品…これらと混ぜ合わせ煮詰めた話だからこそコーヒーも芳しく香り立つ。
 
 
【ネスカフェにアエタ? 「ピナトゥボの失われた味」】
 
1991年のフィリピン(ルソン島)ピナトゥボ山大噴火で被災し山地から低地に下りたアエタ(Aeta)族は、根栽と狩猟採集の食文化にも変化と混乱を味わうことになる。
 
 《「下界の味」を覚えはじめたのである。 (略) インスタント・コーヒーの味を問うと
  「最初は奇妙な味だったねえ」。ところが、飲むにつれ慣れ、慣れるにつれて
  癖になった。 (略) インスタント・コーヒーの果たしてなにがアエタ族の心をとら
  えたかは謎である。が、彼らが下界の味に近づいた分だけ、アエタ族がそれま
  で保ってきた、山の味覚は薄れつつあるようだ。》
 
フィリピンのバラコ(Barako)コーヒーは19世紀スペイン植民地時代に隆盛を極め、サビ病害(1889年~)と米比戦争(1899年~)により衰退したが、近年に至ってリベリカ・エキセルサ(デウェブレイ)・ロブスタ・アラビカの全てがルソン島でも栽培され、島の山地は栽培品種の多様性において貴重な生産域である。しかしながら、21世紀初頭に生産国を襲った価格暴落のコーヒークライシス(危機)、それよりも約10年早くにコーヒー自体が飲用消費の側面で飲食文化を破壊した。ネスカフェに遇(あ)えたアエタ族は幸せだろうか?もう一つのコーヒークライシスと言えないか?
 
 
【宙を回る馬車? 「大観覧車で食べる」】
 
映画『第三の男』に登場するウィーンのプラター(Prater)遊園地の観覧車、著者は改装された食堂ワゴンに乗って食事をする人人を目撃し、また自らも体験している。
 
 《円軌道に身をゆだねながらの食事。食べる、回る、食べる、回る……。優雅で
  ある。滑稽でもある。 (略) 四周目。アインシュペーナー(生クリーム入りコー
  ヒー)とザッハトルテ(チョコレートケーキ)が出た。》
 
プラターはハプスブルグ家が領有し狩猟場としていた土地で1766年に市民に開放されたと伝承されているが、ハプスブルグ家の歴史を象徴するかのようなコーヒーメニュー「アインシュペナー」(Einspanner:一頭だての馬車の意)」が、220年余を経てかつての所領で「宙を回って」供されているとは一族歴代の誰もが予見できない。ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)の台詞「スイスの500年のデモクラシーと平和は何を生んだ?鳩時計さ」(『第三の男』)に対して、著者は本書で「人間史この百年の傑作なんて観覧車ぐらいのものじゃないか……」と嘯(うそぶ)き返す。これに加えて「ハプスブルグ家とウィーンの栄華は何を生んだ?宙を回る馬車さ」と嘯いてみる?
 
 
【異形の偉業? 「麗しのコーヒーロード」】
 
既婚女性が皿を下唇にはめこむ風習に魅かれた著者は、異形のスーリ(Suri)族が住むエチオピア南西部へ向かうが、その道程はカファ州(Kaffa Province:取材時/翌1995年以降エチオピアはRegion連邦制に移行した)のコーヒーロードでもあった。
 
 《「このあたりじゃブンナは皆、チョウ(塩)で飲むな」 (略) うら若い美人店主が
  裸電球の下でコックリうなずいてからコーヒーができるまで、延々一時間と三
  分もかかったのだ。 (略) 「バターにします、塩にします?」 (略) カファ州の
  人びとは「気がついたらコーヒーというものを飲んでいた。そう、十六世紀ぐら
  いから」な由。》
 
コーヒーではなくリッププレートを探る目的が、道中で出あうコーヒーを却って生々しく炙り出し、匂い立つ迫力の筆致に圧倒される。ありがちな思い入れや思い込みに偏らず、異形を追って偉業に達したエチオピアのコーヒーロード紀行、抜群の収穫。
 
 
著者辺見庸は本書を著した約10年後に脳出血で倒れ一時的に見当識を失った。その著者が失見当識(disorientation)と呼ぶ「時間、空間、人物や周囲の状況、関係性を正しく認識する機能が失われた状態」は、現代人の状況であると同時にコーヒーを取り巻く状況にも現れ、「社会、歴史、業界や周囲の状況、関係性を正しく認識する機能が失われた状態」にある。本書『もの食う人びと』で人人が口にする飲食物はコーヒーに限らず皆何がしかの「苦味」が感じられる。だが、良薬やコーヒーと同様に良書もまた口に苦いもの、「アポリア」と「失見当識」を避けてコーヒーを追究する際に『もの食う人びと』は良書として好ましい苦味を感じさせる。
 
 
(注:推薦は主宰・帰山人の独断による。他の会員に罪は無い)
 
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コメント

No title
ナカガワ URL [2011年04月17日 20時36分]

お懐かしや。定かでないが辺見氏は倒れるまでの数年間かしら、山谷周辺(三ノ輪よりか)に居を構えられ、どうも時折エチオピアを飲みに寄っておられました。近づきがたい雰囲気の人という記憶です。「目の探索」を朝日に連載している頃だったような。
共同の記者の方は結構出入りされています。「下町酒場巡礼」の著者のおひとりも、そう。

to:ナカガワさん
帰山人 URL [2011年04月17日 22時05分]

ナゼか毎朝全く同じ時刻に目覚める赤ん坊、私は息子に「自動起床装置」と名付けました…直後の芥川賞発表に「オレの造語をパクった」(?)と憤慨(笑)、それが辺見氏を初めて知った時でした。
それにしても辺見氏にしろ平岡氏にしろ近づきがたい(?)ジャーナリストがバッハには近づいてくるのですなぁ(笑)。ま、真正のカフェだから、それで好いのだろう…

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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