インド洋の涙

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2010 [2010年11月12日 05時00分]
「コーヒー畑が消えたその理由とは?」 「10年がかりで実現したフェアトレード」 「幻のコーヒーといわれたスリランカコーヒーが現代に甦った」 これらの惹句に乗って、セイロン島のコーヒーに関する本を読んでみたのだが…
 インド洋の涙? 
 
『コーヒーを通して見たフェアトレード ──スリランカ山岳地帯を行く』
 (清田和之:著/書肆侃侃房:刊)
 
 
【コーヒー畑が消えた理由?】
 
著者・清田和之氏は《広大なコーヒー農園が、あるときを境に紅茶の茶樹一色に塗り替えられたというのは、いかにも不自然だ》(本書p.54)と断じている。
  国土いっぱいにコーヒー農園が広がり、隆盛を極めていた一大貿易産業が、
  さび病ですべてなくなるものだろうか?もちろん一時的には栽培・収穫量は
  減るだろう。しかし、病害が去り、農園を立てなおせば数年後には復活する
  はずだ。かつてインドネシア(当時ジャワ)でも同じようにさび病が発生し、
  コーヒーが大打撃を受けたが、ジャワコーヒーは変わらず栽培を続けており、
  現在でも有名なコーヒー産地となっている。(本書p.54)
‘coffee leaf rust’(コーヒーさび病:CLR)の脅威を軽視し過ぎは明らかだ。ヨーロッパ各国の植民地獲得と共に伝播したコーヒーを追いかけて、19世紀終盤にさび病は世界各地のコーヒー栽培地を襲い壊滅させた。それ以降、世界のコーヒー栽培史は、さび病との戦いの歴史となった、といっても決して過言ではあるまい。ジャワコーヒーとてアラビカ種からロブスタ種へ転換をさせられた栽培史の断絶、《変わらず栽培を続けており》と復活可能の理由に挙げるとは度し難い錯誤である。
 
著者は、当時のセイロンにおいて(私の視座とは対照的に容易に復活可能な?)コーヒー栽培をやめて紅茶栽培へと切り替える大転換には《イギリスの政策意図がそこに浮かんできた》(本書P.55)との推論(?)を誇るべき新たな自説かのように述べている。しかし、重商主義の砂糖法・茶法の制定から約1世紀を経て、当時の大英帝国(イギリス第二帝国)は相対に自由貿易帝国主義を採っており、セイロンのみを捉えて政策的「大転換」というには無理がある、と私は考えている。現に、当時のイギリスでは耐さび病栽培品種の研究開発を先導し続け、また、支配下にあるインドと東アフリカではコーヒー栽培が続けられていたという事実は見逃せない。
 
セイロンからコーヒー畑が消えた理由(=紅茶への栽培転換)を具体的に考える際、James Taylor(ジェームス・テイラー:1835-1892:「セイロン紅茶の父」)とHarry Marshall Ward(ハリー・マーシャル・ウォード:1854-1906:「先見の植物疫病学者」)とに触れずして、大仰ではあるが底の浅い論には得心ゆかない。
 Jamestaylor.jpg  harry marshallward
 
 
【実現したフェアトレード?】
 
著者・清田和之氏は「特定非営利活動法人日本フェアトレード委員会」設立代表者であり、いわゆる認証型フェアトレードの動向に批判や疑義の目を向けている。
  ただ、FLOラベルのある商品を買えば、それで“フェアトレード”になる
  のだろうか。(本書p.121)
  ただ、懸念するのはフェアトレードがブランドになってしまい、運動の
  本質が広がらないのではないかということだ。(本書p.123)
認証型フェアトレードが変質して運動の課題や矛盾から逃避する姿勢に対して、糾弾し非難するに躊躇無い私としては、少なからず賛意を表明したいところだ。
 
しかし他方で非認証=提携型フェアトレード特有の不合理で粗雑な側面も見える。《ラベルのあるなしではない、直接交流・直接交渉こそが、私の思う“ほんとうのフェアトレード”だ》(本書p.126)とすれば、コーヒー栽培を通して実現するフェアトレードは著者自身らを除いて消費国側に運動の広がりは期待できない。《私たちが…空想的、欺瞞的に見えるのかもしれない》(本書p.146)というほどに卑下してもらう必要もないが、《フェアトレードをただの購買行動で終わらせてはいけない》(本書p.123)ならば一体何をするべきなのか、日本のコーヒー消費者に具体的な提言が無ければ、やはり実践家の自己満足にとどまる論となる。本書の出版も含めてキッカケ作りは良しとし、「実現した」というには誇大である。
 
 
【甦った幻のコーヒー?】
 
著者・清田和之氏がいう本来の「幻のスリランカコーヒー」とは、約140年前にさび病で死滅したはずの、いわば「クラシック・セイロン」を指すことは自明だ。しかし、スリランカ山岳地帯でアラビカコーヒー探しに奔走した一意は買えても、見出したアラビカ種をもって幻のコーヒー「発見」と称するのはいかがなものか? 現存するアラビカ種であれば何でも良いかのように解しえる著者の記述ぶりは、栽培品種の細分、栽培や精製の方法選択、マイクロクライメットやテロワールによる香味の特性など眼中には一切無いように窺える。単に昔の産地でコーヒー栽培という行為を現代に復興させることが目的であったならば、その結果をしてクラシック・セイロンが《甦った》と断定することに私は躊躇せざるをえない。
 ceylon-coffee.jpg
 
 
【セレンディピティ?】

コーヒーを通して見た「フェアトレード」が著者の活動や本書出版の主意であり、決して「コーヒー」主体の主張や報告では無いとするならば、私の指摘は無用の論であるのかもしれない。だが、清田氏があとがきで、セイロンの古称である「セレンディップ」を取り上げ、「探していたものとは別の価値あるものを発見する」意を自身の体験に照らしていることに倣い評せば、私にとっての本書は
‘serendipity’がほとんど発揮できない、精度を欠いたコーヒー本であった。「インド洋の涙」とも形容されるセイロン、その珈琲話に勝手な落胆の「涙」を流す。
 
コメント (6) /  トラックバック (0)

コメント

No title
y_tambe URL [2010年11月12日 19時11分]

うーん。何だろうなぁ…とりあえず書評を読んだ限りでは、川島さんの「コーヒーハンター」の、(それもあまり筋のよろしくない)焼き直しにしか思えないですね…まぁ一度目を通しておいた方がいいかなぁ。

to:y_tambeさん
帰山人 URL [2010年11月12日 19時29分]

>川島さんの「コーヒーハンター」の…焼き直しにしか…
いや、それは(それでも?)ホセ川島本に失礼であります。
むしろ『カフェ・ロラ四銃士』の焼き直しにしか思えない(笑)。
しかもフェアトレードを除くと、ハッキリ筋のよろしくない…

No title
浅野嘉之 URL [2010年11月14日 10時34分]

一度ゆっくりお伺いしたいものです
帰山人さんは珈琲をカップでみつめ
それの背景をみつめ
そしてまたカップにもどってらっしゃる
そんなかってな解釈をぼくはしています
ぜひ一度お話をうかがいたいものです

No title
ちんきー URL [2010年11月14日 22時14分]

カテズレですがご容赦をm(_ _)m
今日の「いびがわマラソン」色々ありがとうございました。
本当に楽しく1日過せました。
帰りのビールまでご馳走になり申し訳なかったです。
又よろしくお願いしますm(_ _)m

to:浅野嘉之さん
帰山人 URL [2010年11月15日 10時27分]

播く、育てる、採る、剥く、乾かす、焼く、挽く、淹れる、味わう…
どこかを深く追究することもアリでしょうが、それを由に他は語れない、
そんなコーヒー論を嫌っているだけかもしれません(理想論ですが)。
間接的な(正義の?)理念であっても、ウマいコーヒーを追究することに
気抜けを許容した途端に、私にとっては悪の理念になるのです。

to:ちんきーさん
帰山人 URL [2010年11月15日 10時34分]

祝・ちんきーさん初フルマラソン完走のビール効いたぁ~(笑)
フルはある意味「旅ラン」ですね。その旅情の余韻も楽しんで~^^/

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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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