七十にして心の欲するところ

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:アート / カテゴリ:観の記:美面 [2010年03月08日 23時00分]
2010年3月7日
長蛇の列に入場を躊躇するも意を決して? 観賞
 
JR名古屋タカシマヤ開店10周年 日本・ポルトガル修好150周年記念
没後50年 『北大路魯山人展』
魯山人展
 
場内もごった返し、なかなか落ち着いて観賞できないが、
目的としていた壁画2点にだけは特に目を注ぎ凝らした。
 
10周年も150周年も没後50年も歳月を経れば自然と至るわけで、
キリがよいこと以上に特段の感慨は無いが、
展覧の目玉「幻の壁画」にまつわる数字「7」の縁には関心。
この私の関心には、魯山人に加えもう一人の人物が絡む。
 
浦賀船渠で造船されたアンドレ・ディロン号、その喫煙室と食堂に飾る
壁画として1953年に制作された「桜」と「富士」、
北大路魯山人は時に「70」歳。
 
19「70」年、喜多野繁男(敬称略)は同僚3人と建造したヨット「秋津洲」で
日本から世界一周を目指して出航した。
しかし翌年オーストラリアでチームは崩壊し同僚は帰国、
独り残った喜多野は、3年後に渡欧して実に20年近く
TV系ジャーナリストとして活躍しながら資金を貯めた。
 
この間に、パナマ船籍の貨客船アンドレ・ディロン号は2度転売され、
壁画を供にノルウェーからポルトガルへ渡っていったが、1980年
ついに船は廃棄処分された。以降、船内の壁画は所在不明となったが、
約10年後にポルトガル(リスボン)の実業家が所有していることを、
日本人ジャーナリスト(喜多野?)が一旦は突き止めている。
その後再び行方知れずとなり「幻の壁画」となっていた。
 
「秋津洲Ⅱ」を入手した喜多野は1991年に出港したが、
船体に問題が生じて再び頓挫。だが、日本を発った時の父の言
「武士に二言はない。何があっても決してやめるな」を胸に、
10年後に新「秋津洲Ⅱ」で再々度挑戦、ついに2007年
船で世界一周を果たして日本に帰港、故国の土を踏んだ。
出航から3「7」年、喜多野繁男は時に「70」歳。
 
喜多野繁男は2008年春、ポルトガル実業家が今もなお
壁画を所有していること、そしてその所在を再び発見した。
その後、「魯山人展」の東京・名古屋2展のみに貸し出され、
出航から5「7」年、壁画は世界を廻り故国の土を踏んだ。
 
美と食の巨人「70」歳の作品が世界を廻って5「7」年ぶりに帰ってきた裏に、
世界を廻って3「7」年ぶりに「70」歳で帰ってきた船と志の旅人が
見つけ出した縁、実にオモシロイ!
 
コメント (2) /  トラックバック (0)

コメント

No title
ちんきー URL [2010年03月09日 22時24分]

多方面にわたって造詣が深い・・・
年齢的には近いのに自分とはもの凄い差があります。
今回も勉強させていただきましたm(_ _)m
(北大路魯山人については漫画「美味しんぼ」で得た程度の知識しかありません・・・)

to:ちんきーさん
kisanjin URL [2010年03月10日 09時50分]

>自分とはもの凄い差… んなこたぁないっしょ?
節操が無く興味本位でツマミ食いしているだけですよ。
年齢的には、10歳台で「半泥子」展とか行ってた頃よりも、
奇異な眼で見られなくなっただけ最近はラクになりました(笑)。

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
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