その国の名は背馳

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2010 [2010年01月21日 01時00分]
地震を契機に巷間騒がしいハイチ(Repiblik d Ayiti)のコーヒーを考えてみた。
 
ものがたり1
 昔むかしカリブ海にアラワク族派生のタイノ族やカリブ族が暮らして
 キスケヤとかアイティとかボイオとか呼んでる島がありました。
 勝手にコロンブスがやってきて植民地を作り、入植したスペイン人が
 金鉱開発や疫病伝染で先住民をほぼ絶滅するまでに激減させました。
 さらにフランスが島の西側3分の1を領有しサン・ドマングと名づけました。
 サン・ドマングではサトウキビやコーヒーのプランテーションが開設され、
 アフリカ大陸から大量の黒人奴隷を導入して植民地の栄華を誇りました。
 18~19世紀の最盛期には世界最大のコーヒーを産する地となり、九州より
 狭い植民地がイギリスの西インド諸島全体を上回るコーヒーを産出しました。
 この間、宗主国フランスに対して奴隷が蜂起して革命となり19世紀初頭に
 世界初の黒人国家にして中南米初の独立国家ハイチが誕生しました。
 
近世ヨーロッパのコーヒー市場に圧倒的な6割シェアを獲ったハイチコーヒー。
日本ではジャマイカやキューバのブランド豆に勝るとも劣らないと紹介される
ことも多いが、過去の歴史で見ればそもそも比較に名を連ねること自体が、
世界に冠たるハイチコーヒーに背馳(はいち)していると言わざるをえない。
但し、それはあくまで過去の話であり、現在のハイチコーヒーは失冠している。
 
ものがたり2
 独立後に一時は全島にまで侵出したハイチでしたが、フランスに対する
 巨額の賠償金やヨーロッパ列強の再植民地化で国家は混乱し続けました。
 20世紀の前半にはアメリカが軍事占領を行い、後半もクーデターが頻発、
 特にデュヴァリエ親子独裁政権とその後の内乱で国家は混迷を極めました。
 21世紀に入り安定化の名の下に国連平和維持軍が軍事占領しています。
 こうして先住民を駆逐して築いた「アンティルの真珠」と呼ばれる富国も
 今では「中南米のアフリカ」「世界最貧国」「失敗国家」と言われる有様、
 地場産業は潰され食糧は不足し家も仕事も無い国に落ちぶれています。
 
ハイチコーヒーは1950年代まで降っても世界3位の生産量を誇っていたが、
1962年に20位62万袋、2006年には29位36万余袋と凋落した。
 
昨今では一部の国際フェアトレード団体が、COOPCAB(ベルアンス郡
コーヒー農家協同組合)やRECOCARNO(北部コーヒー生産組合連合)を
フェアトレード認証の生産者として喧伝し、日本にも輸入されてきている。
これを受け売りするコーヒー業界ではハイチコーヒーをハリケーン被害からも
復興する象徴的産品などとして紹介しているが、ハイチ全体の国土の実情は、
森林が破壊されて禿げた山岳と茶色の泥水が氾濫する河川ばかりであり、
コーヒーによる復興なぞ現段階では気休めにもならない程度のものである。
 
ハイチでは、主食が泥団子というまでの食糧不足が続いて暴動が頻発している。
その要因は世界的な食料価格、特に主食穀物価格の高騰の影響は大きく、
主食が無くて飢え死にしながら嗜好飲料の農産物を輸出している貧国である。
アイティAyiti(高い山の土地の意)という国名に背馳して、国土と食料を
失っている国の「背馳コーヒー」では、フェアトレード認証が付加されても
復興手段として釈然としない思いが私には浮かんでくるのである。
 
アグリコール製法を残すハイチ産ラム酒Barbancourtをダッシュして飲む
ハイチコーヒーは実に旨いハズなのだが、甘い芳香とは別に苦い国情も香る。
 
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コメント

勉強になりました
珈子 URL [2010年01月22日 11時28分] [編集]

初めまして。
この頃拝見し、勉強いたしております。コーヒーについてはまだまだ知らないことが多く大変参考になります。

各務原のセミナーで、とても専門的な質問をされる方だな~と思いましたが、一番前の席で振り返るのもためらわれましたのでお顔は分かりませんでした。

ハイチは恥ずかしながら地震がおき初めて注目した国です。ふとコーヒーの生産はしていないのかな、ドミニカは聞くけどハイチは?と思っていたところでした。

そうなのですね~。辛いお国事情ですね。
独裁はいけませんが強力なリーダーシップは必要ですね~。単純にコーヒー好きの一人としてコーヒーに関わる人達の幸せを願います。

これからもよろしくお願いします。

to:珈子さん
kisanjin URL [2010年01月22日 19時25分]

ようこそ、そしてよろしくお願いします。

昨夏の各務原セミナーにいらしたのですね。正直、質問の数も深度もかなり絞ったつもりなんですが、何故か目立っちゃうんですよね~。あの手の応答が討議の入り口になっているコーヒーシンポジウムとかを望んでいるんですが…

ハイチに限らずコーヒー生産国の多くは貧国で辛い状況ですね。以前に伊国コーヒー大手企業のトップが国際コーヒー機関の推進委員長として「世界全体でコーヒーの需給や流通を改善する最善策はコーヒー生産を止めることだ」という意の発言をして論議をよびました。コーヒー好きの頂点でもある人物の発言として、これまた重く辛い内容です。好きだから肯定ありきは当然なので、好きだから否定してみる、というへそ曲がり加減が私にはお似合いのようです。

真珈琲人 URL [2010年01月23日 19時04分] [編集]

はじめまして。とてもすばらしい方ですね。学者さんでしょうか。私も素人ではありませんが帰山人さんの事がもっと知りたくなりました。

私は真珈琲人と申します。珈琲は冷めると甘くなり13時間後には、ココアかビターチョコレートの味に変わります。

その秘密が知りたくて北名古屋市の天才焙煎士さんも私に会いに来てくれました。

私は自分の珈琲理論は99%完成しています。

だから帰山人さんに興味があります。

メールアドレスを入れておきます

No title
y_tambe URL [2010年01月24日 04時17分]

ハイチといえば、コーヒー栽培の伝播でも*ちょっとだけ*特殊な部分がありますね。ド・クリューがマルチニーク島に運んだものが伝播する以前の1715年頃に、フランスがすでに持ち込んでいたという記録があります。

一般には、ド・クリューが移入に成功した1本のコーヒーが、中米系のコーヒーの単一祖先だと言われてはいますが、"Coffee: Dark history"のアントニー・ワイルド(邦訳『コーヒーの真実』)も指摘しているように、その根拠となるのはド・クリュー自身の著述によるものであることもあって、必ずしも真実ではなく、誇張されている可能性もあります。

#ワイルドは、ハイチに1715に持ち込まれたものや、スリナム(オランダ領ギアナ)に1718に持ち込まれたものも、ド・クリューが入手してマルチニークでの栽培に挑んだのではないかと推論してます。

おそらくは1715年にハイチにもたらされたものも、ド・クリューが持ち込んだのと同じように、アムステルダムからパリに寄贈されたものの子孫だと思います。しかし、パリには「1714に1(~数?)本の若木が送られた」ということらしいので、果たしてその貴重な数本から、その翌年にはサンドマングに送れたのだろうか、と考えると、少しだけ不思議でもあります。

#翌年に若木が実をつけたのなら、まぁ可能な話ではありますが…All about coffeeには"a young vigorous plant about five feet tall was sent"という記載もあることだし…

ただ、ちょうどイエメンからレユニオン島にブルボンがもたらされたのが同時期なのも少し気になるところでもあったり。このときは、イエメン王室からフランス大使に60本の苗木が寄贈され、そのうちレユニオン島に到達したのが20本であった、という記録が残ってるようです(実際に移植に成功したのは2本だけで、うち1本から取れた豆が、すべてのブルボンの単一祖先…こっちは割と信頼できそうな記録が残ってる)。果たして残りの40本が、単にレユニオン島に辿り着く前に枯れてしまったのか、それとも別の*どこか*に送られたのか…

#60本すべてが、いわゆるブルボンタイプの植物だったとは限らず、明らかなのは単にレユニオン島に定着したうちの1本がブルボンタイプだったということなので。

まぁ何にせよ、この辺りは(某所で)講義するときなどにはあまり触れない(限られた講義時間で喋るには、あまりに些末な)部分ではありますが、突っ込んで考えると、非常に複雑な部分があります。

それに正直、私は史実に関する文献を読むのは苦手なので(科学論文ならば商売柄、問題ないですが)、このあたりが本当に得意な専門の方(例えば山内先生とか)に、一度詳しい話を訊かせてもらえないかなぁ、とか思ってもいたりします。

to:真珈琲人さん
kisanjin URL [2010年01月24日 15時40分]

> 学者さんでしょうか。
いいえ。私は現在まで、コーヒー関係をテーマに教育機関や学術機関に籍を置いたことがありません。ついでに、コーヒー業界に従事し勤務したこともありません。いかなる意味でもプロじゃない、ただ市井のコーヒー研究家である、とは思ってます(それも、そう捉えないといれこみ方が尋常じゃないから、という消極的な名乗りですが…)。

> 私は自分の珈琲理論は99%完成しています。
それは羨ましい限りです。真珈琲人さんの「珈琲理論」とは主として焙煎技法を指すものと推察しますが、私の焙煎理論は仮説に仮説を積んで四半世紀以上…まだ仮説。さらにコーヒーの「農学・化学・生理学・工学・史学・社会学・経済学…」私の珈琲理論は生涯完成しない!その自信だけはありますね。でも触れたくなる気持ちは上がる一方です。

to:y_tambeさん
kisanjin URL [2010年01月24日 16時34分]

私もいわゆる「ティピカ系の道」のカリブ中米プロセスが「ド・クリュー一元伝播」とは限らない、まだまだ検証が必要だ、と思っています(あ、「ティピカ系の道」と言ったのは便宜上で山内表現を借りただけなので、この表現に品種論で突っ込まないでくださいよ:笑)。
またおっしゃる通り、特にハイチ(サン・ドマング)に関しては「コーヒー帝国」に至る初期過程を当時の国際情勢から考えても、「マルチニーク以前&以外」を想像させる可能性がありますしね。
もっともコーヒー栽培の伝播に関して数や収量に「?」が付くことは、いわゆる「ブルボン系の道」にもちょくちょく見受けられる不思議ですよね。伝播史の全般が物語性を求めてゴシップ的なトピックで繋げられることはある程度仕方が無いのでしょうが、並行して違う観点で、例えば品種論と政治経済史論を組み合わせた「科学的だけど面白い」解明も進めていきたいですよね。
このあたりが得意な方々(例えばtambeさんと山内さん)に、見解のすりあわせを訊かせてもらえないかなぁ、とか思ってもいたりします。

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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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