残酷な走者のテーゼ

ジャンル:スポーツ / テーマ:マラソン / カテゴリ:走の記:日常編 [2009年11月12日 02時00分]
私が参加し完走した「2009 いびがわマラソン」で1人の走者が死亡した。私自身はこの事故に先行して走り、レース中は全く気づかなかったのだが、同道後続した友人は走者が突然倒失神して救急車が駆けつける騒ぎと音を間近にしたようで、ゴール後に知らされ「命に別状がなければ良いがなぁ」と話題にしていた。残念ながら死亡が確認されたことは翌日の新聞夕刊で知った。悪ふざけともいえるほどにファンランを満喫した私、私は全く見知らぬがコース半ばで致死性不整脈により突然死した滋賀県米原市春照の会社員Iさん、同じレースで同じゴールを目指した者同士として、大会の終え方の違いに複雑で切ない想いを抱かざるをえない。Iさんに哀悼の意を捧げる。
 
同日開催「湘南国際マラソン」でも死者が出でおり、今春「東京マラソン」でタレントKM氏が死にかけたような例を加えれば、この手の事例は枚挙にいとまがない。そして、マラソンブームに安易に乗ることに警鐘を鳴らす論と、トレーニングによる健康上の改善維持メリットや大会中の交通死亡事故減少を挙げての反論が現れることも、古くから毎々恒例化してきている。
 
マラソンが、紀元前5世紀「マラトンの戦い」に由来することは周知であろう。ペルシア軍に勝利したアテナイ軍の伝令がマラトンからアテナイまで走り勝利を告げたという故事、これが史実か否かはともあれ、戦争勝利というEvangelium(良い=エウ、知らせ=アンゲリオン)を報告して直ちに息絶えたという伝承を偲んで「マラソン」という名とレースが誕生したことは事実である。
 
マラソン事故を取り上げた俎上で語ることは不謹慎のそしりを受ける覚悟で、「マラソンは走って死ぬ故事を起源とする競技」という事実こそ、全てのランナーがスタートラインに立つ上で知るべき事柄であろう、と私は思う。数多の大会で死亡した方々を冒涜するつもりはないし、走って死ぬことを賞賛するつもりもないが、そもそもマラソンには死が纏わりついているのだ。
 
エヴァンゲリオン自体がまさに「残酷な走者のテーゼ」を告げていることを、フルマラソン2週連戦完走ファンランに浮かれている私自身に思い出させ、死と隣り合わせだからこそ再び挑みたいと改めて自覚した先の事件であった。走者の死をどこまでも重く深く暗く受けとめ、それを忘れることなく私は走りたい。
 
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コメント

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ちんきー URL [2009年11月12日 22時13分]

言われてみれば確かに「命を懸けて走った距離」がマラソンの距離ですね。
今まであまり深く考えた事無かったです・・・

と言う事は安直に「マラソンブーム」に乗っかってレースに出場するのは危険な行為以外の何ものでもない。
しっかりと練習をして段階を踏んでから出場するのが良いような気がします。
(10kmレース→ハーフ→フル)

to:ちんきーさん
kisanjin URL [2009年11月13日 11時13分]

走者死亡事故が起きる度に「手順や段階を踏む」という説示が出ますからね。実際にそれは必要な心がけだと思うのですが、「手順や段階」の中身まで「集団画一」に示されて、少しでもハミ出た事例を事故の起因として叩く風潮は気に入りません。拙文「サブフォーへの道程」で記した通り、私はランニングの原点は「一人で挑んで一人で戦える」、それは「一人で考えて一人で工夫する」ことである、と思っています。そこには「一人で挑んで一人で死ぬ」という覚悟も含めているつもりです。

No title
ちんきー URL [2009年11月13日 18時17分]

おっしゃる通り、「手順や段階」の中身まで「集団画一」・・・と言われている所は大いに同感です。

自分は一歩一歩段階を踏んだ方が安心なので「10kmレース→ハーフ→フル」が一番簡単な方法だと思ったわけです。

別にマラソンへのアプローチは人それぞれで構わないと思います。

ただ大した準備もせずレースに出て自分自身だけでなく周りにも迷惑を掛けるのだけはやめて欲しいです。
(これは単車でも同じだと思います)

No title
しんろく URL [2009年11月15日 23時13分]

 今回の件で、来年の大会にはAEDが何台か投入されるかもしれませんね。最近感じていることで、芝居でもマラソンでも共通してることが、練習した以上のことはできない、テンションでできてもミス・事故が起こりやすいということです。

 今回の事故は見知らぬ方ですが、近所ということを知り「単にニュースになった事故」にとどまらず、自分にも起こりうるかもしれないのだと少なからずショックを受けました。もし自分がレースで死ぬようなことがあれば、残された家族は・・・と考えてもイメージできません、そうならないようレースに向けた調整はしっかり行なわなければと思うしだいでした

to:しんろくさん
kisanjin URL [2009年11月16日 11時40分]

いびがわの事故自体は、私には救護体制が不充分とも思えず、また「救急車の来るのも驚くほど早かった」という友人の証言を聞いても、結果だけが残念としかいいようがありません。
調整や準備の必要性についても、レースや大会だけではなく(例えば独り遊びで走ることも含めて)日常の課題でもあるのでしょうが、どこまでも我欲と公徳の間で揺れ動く難しい課題だと思っています。

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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
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