自然に寄生する

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:思うこと / カテゴリ:あ・論廻 [2009年10月25日 03時00分]
2009年10月24日
「第3回 人と自然の共生国際フォーラム」 セッション1 聴講

愛知万博の理念や成果を継承するという建前で連年開催されるフォーラム。
しかし、BIE(博覧会国際事務局)には最後までダメ出しされ続け、
WWF(世界自然保護基金)にも日本野鳥の会にも日本自然保護協会にも
参加を拒否された「通称・愛知万博」に、継承するべき理念や成果があるのかね?
まして、その残滓フォーラムに「人と自然の共生」を語る資格などあるはずも無いが、
今回は「生物多様性」がメインテーマなので、興味本位で参加した。
結果としては(先18日のツマラナイ集会=「多様性なき講座」参照、と異なり)
とてもオモシロク目を開かされた内容であった。

ためになったね~(1)
Christine von Weizsacker女史の基調講演は、1992年リオ会議以来の
COP-CBDを非常にわかりやすく体系的に説明したもの。
カルタヘナ議定書第5回締約国会議(COP-MOP5)がCOP10直前に
来年併催されることを、この講演を聴くまで知らなかった(恥)。
そして、女史はCOP-CBDに批准していないUSAを非難的に名指した。
なるほどCOP10もCOP-MOP5も、このままだと気候変動枠組条約の
京都議定書の二の舞になるわけだ、悪の帝国USAによって…
主導が政治家だろうが官僚だろうが、ここを語って啓蒙する姿勢が日本には無い。
気骨あるドイツ人女史の迫力に、腑抜けた日本人の私は恥じ入り感銘した。

ためになったね~(2)
ディスカッションのパネラー香坂玲氏の話。フィンランドの国土利用策として、
低湿地・泥炭地を地元の林業者たちが何世代にもわたり乾かしてきたが、
生物多様性や気候変動対策の世論で湿地に戻す圧力が昨今生じて、
林業者たちはとまどっている、とのこと。
ディスカッションのパネラー速水亨氏の話。アラスカで樹齢1000年の木が
乱伐され、それが日本に輸入されて豪壮な神社の神殿に使われている。
1000年の乱伐木で神殿を作って、その隣で樹齢200~300年の杉木に
注連縄(しめなわ)を巻いて拝ませている、とのこと。
こういうウマく(いって)ない話がイイ。議論に真実味があるし、深まりがある。
香坂氏の他の話も、先のツマラナイ集会モデラーの時とは別人の様に深かった。

ためになったね~(3)
ディスカッションのパネラー速水亨氏の話。用材目的の杉林を適切に造林し、
広葉樹林よりも生物多様性に富んだ結果が得られた、とのこと。
広葉樹で人工造林すると森林植生が破壊されていく場合もあるという。
斑尾の杉伐採跡地にオオヤマザクラ、ブナ、ミズナラを植える「生命の森づくり」
植樹活動、私の大好きな「斑尾高原トレイルランニングレース」前日併催の
恒例イベントだが、大丈夫なのだろうか?
速水氏の提示する浅薄シロウト常識の大間違いは、熱帯雨林でのサスティナブル
コーヒー栽培では起きていないのだろうか?
ためにもなり、考えさせられる話題を聴き、さらに追究したくなった。

そしてフォーラムを聴き終えて、私が勝手に改めて感じたこと、
人が「自然を守る」「地球を救う」などヤッパリおこがましい、
「人と自然の共生」という表現もヒトの都合優先の臭いで尚いやらしい、
「ヒトは自然に寄生」という認識あたりがふさわしいのでは、ということだ。
コメント (6) /  トラックバック (0)

コメント

No title
ちんきー URL [2009年10月25日 22時18分]

そもそも「地球」ってどの姿が正しいのでしょうか?
地球誕生から46億年・・・
様々な「姿」をしてきた地球。
何時の時代のどの姿が正しいのでしょうか?
そしてその判定は誰がするのか?
その様に考えると「自然破壊」「絶滅危惧種」なんていうのは意味があるのか?
最近こんな風に考えたりもしますね

No title
ナカガワ URL [2009年10月26日 01時33分]

先日来店したとある有名農園のオーナーが、当スタッフがハンドピックしている他国の農園のコーヒー生豆から素早く大粒な豆を選り分け「パカマラが混ざっている農園なんだ」と。そのスピードが当スタッフと互角の速さで、若いスタッフとの間に「同じコーヒーを扱う」者同士の共感が響きました。生産者にハンドピックを見せると、どうもこの店は、生産者サイドの消費国の中の末端として、自分たちが仕切れなかった最後の仕上げを全うしてくれていると思うらしいです。同時にこの店の連中の目と手はごまかせないと、ちょっとだけ認めてくれて----おこがましいけれど仲間意識「らしき」ものが芽生えて帰っていきます。
コンテナ全部はカッピングできなかろう、としたたかな生産者なら思うところ、あの店の連中ときたら、まるで生産者のように目と手も使ってカッピングしてやがる----つまりコンテナ1ヶ分でも全部見ているのと同じ----こちらも負けずにがんばらにゃ、てな具合にお互い尊重しあえる、そんなのがスペシャルティコーヒーならいいのかしら。そんなレゾナンスがソステヌートすることを願います。最近であったコーヒー生産者の方たちは、自分たちが生活の糧にしているものについて、「自然に寄生」していると実は意識していると感じます。その中でも、人間はよい意味で欲望がないと向上しない、とも意識している、サイエンスとコンサイエンスが共存しているという気がします。コーヒーの世界はまだ「サイエンス」も進んでいません。そこに「コンサイエンス」を要望するのが、まだ早いのでしょうね。

to:ちんきーさん
kisanjin URL [2009年10月26日 09時53分]

何時の時代のどの姿の地球が正しいのか、私にもわかりませんし、生物としてのヒトが自ら地球を破壊することも自然の摂理なのかもしれません。
ただ私は、生物多様性や気候変動に匹敵して「人大杉」は放置できない深刻な課題だとも思っていますが、人口論は下火のようで…こういう論点にも流行がありますからね。

to:ナカガワさん
kisanjin URL [2009年10月27日 11時59分]

確かにコーヒーの世界は「サイエンス」もロクに進んでいませんが、併せて「コンサイエンス」を要望していって良い、と私は思います。かなりキツイでしょうが(笑)…でも、ナカガワさんが言われる通り、生産者の一部にでも意識があるならば、その末端としても受けて立ってやりましょうよ。手段と表現は各自で考えるとしても。

No title
しんろく URL [2009年10月27日 20時31分]

最後の4行に仏法をかんじます
「在家」とかかれてましたから同業ではないですよね?

to:しんろくさん
kisanjin URL [2009年10月27日 21時43分]

仏法!畏れ多いです。喩えで「在家」ってしんろくさんのブログに書いてしまいましたが、私自身はいかなる神仏宗教にも帰依信奉していない無信心者ですm(_ _)m そのくせ学生時代の専攻研究は日本古代仏教史で、奈良時代の優婆塞優婆夷を卒論と研究生論文にした、タチの悪いシロウトでございますm(_ _)m

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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