目にウロコ談義

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2009 [2009年08月20日 01時00分]
2009年8月19日
「目からウロコのコーヒー談議 ~安心、安全、おいしいコーヒーの未来に向けて~」
(珈琲工房ひぐち主催 中部学院大学 各務原キャンパス 大講義室にて)
目からウロコ
講演2題とパネルディスカッションを聴講参加。

1.川島良彰氏の講演 「サステイナブルでおいしいコーヒーとは」 に思う

ジャマイカの農園開発に従事していた当時(1980年代)の話など、
コーヒーハンター‘ホセ’川島の実体験話は生で聴くと一段とまた興味深い。
ジャマイカ政府からベリーボーラー(コーヒーノミキクイムシ)対策に無償供与された
エンドスルファン(有機塩素系殺虫剤)を地元農民が川に投入し、
死んだ魚やエビを市場で売っていた、とか、
コーヒー農地に撒いた殺線虫剤が揮発し上空から鳥がパタパタ堕ちて死んだ、とか
文で読むよりも改めて生で迫力のある話が聴けた。
もっとも、エンドスルファン一つとっても、コーヒーに限らず世界中で
綿花や茶、ナッツ類、穀物類などの栽培にも使用され、
毒性が極めて持続可能(サスティナブル?)なので、濫用した地域で住民の
中毒死・神経障害・先天性奇形などを世界中で引き起こしまくっているわけで、
‘ホセ’川島氏の話はコーヒー版としてその一端でしかない、という現実が悲しい。

先般、別の環境問題フォーラムで白石康次郎氏(海洋冒険家)が、
環境対策に対する意識について鋭い発言をしていた。
 人間は「自然を守る」というが、自然は「助けて」と頼んでいない。
 「自然破壊」というが、人間に都合のいい自然が壊れるのを心配しているだけ。
 自然ではなく人間が困っていることを、人間の都合の良い解釈で、
 「自然を守る」「地球にやさしい」というのには違和感がある。
という趣旨の、まさに「目からウロコ」の発言であった。

これをサスティナブルコーヒーの世界にあてはめて考えてみると、
「誰のための」「何に対しての」サスティナビリティ(持続可能性)なのか?、
コーヒー栽培地周辺の水・森・植生・動物などの自然環境を保護復元することと、
コーヒーの栽培生産・流通加工・販売消費のサイクルが恒常に健全であることを、
果たして両立できるのだろうか?、
そんな疑問を持ちながら川島氏講演を聴いていた。

2.石脇智広氏の講演 「コーヒーと残留農薬」 に思う

石脇氏が各地で同テーマの講演をされていることは知っていたが、
初めて直に聴いて、なるほどこんな切り口の話だったのか、と感じた。

エチオピアコーヒー豆の輸入禁止状況を例に挙げ、
残留農薬が基準値を超えただけで日本に輸入されない状況、
そして生産者を非難し責任追及する風潮、に疑問を呈していた。
日本政府の認める残留農薬のポジティブリスト基準値は、
安全許容に余裕を見た「ADI(一日摂取許容量)」数値の毒性・安全性と、
全く連動しないものである、という説明趣旨は見事な話だった。

「クロルピリホス」の残留基準値が、コーヒー豆は茶の60分の1、
ほうれん草が小松菜の20分の1、というナンセンス極まりない設定。
日本政府がこうした無責任かつ非科学的な設定を放置し続ける姿勢は、
コーヒー豆を例に挙げるまでもなく、私にとっては既知の事実なので、
今さら何ら驚きはしないが、ことコーヒー豆残留農薬の基準値設定が
いかに根拠無き酷いものかは、石脇氏講演で改めてよくわかった。

石脇氏は、コーヒー(を含めた食)の「安全」は物理や技術で確保できても、
「安心」は心の問題であり、無知から来る不安を他者の責に転嫁する前に、
「正しく識り、正しく伝える」ことを諭している。賛同する。

だが、私が(イベント最後の質問者として)日本のコーヒー業界に対して
エチオピア豆の残留農薬に関する情報開示不足を意見すると、
氏に何となくかわされてしまったことは甚だ残念である。
確かに、政治や商売の観点で「言い難いこと」もあろうが、それでは
都合の悪い情報は「正しく伝え」ない風潮を助長してしまう、と感じる。
以前記したブログ記事「新豆を入れる袋」
http://kisanjin.blog73.fc2.com/blog-entry-92.html
でも指摘したが、「業に携わるもの」として全てを躊躇無く広報する姿勢、
それが「安心」への転換点となり、「サスティナブル」への道ではないか。

3.イベントに参加して思う

講演2題とパネルディスカッション、「目からウロコ」の内容もあったが、
解けない課題を再認して、私には「目にウロコのコーヒー談義」でもあった。
(我ながら辛口な記事だが、主催者や講演者の尽力や立場そのものを
 非難する意図は全く無いし、催事自体には賞賛と感謝を申し上げる)
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コメント

No title
ナカガワ URL [2009年08月23日 00時16分]

川島、石脇両氏ともよい聞き手に恵まれましたね。
私は「サステナブル」は「コモディティ」の別称だと思っています。
先日「愛を読む人」という映画を観て、甘くても苦くても、決して許されなくても「持ち続けて」生きる人の話を観て、これがサステナブルかしら、と。
音楽だと「ソステヌート」、バッハのオルガンのトッカータとか、ベートーベンの7番の冒頭のような「コーヒー」って何だろう?バロック時代にはオスティナートとかグランドバスとか持続する低音上に楽曲を展開する技法があります。コーヒー業界は、その「持続する」コーヒーの上に豊かで多様な展開ができるでしょうか。川島さんと石脇さんと、あと誰かが足りないような、と思うのは私だけかもしれませんが。コーヒー界のアーレントみたいな人が登場することを期待して。

No title
kisanjin URL [2009年08月24日 13時10分]

多様でかろやかな展開が上でなされる土台としての「サスティナブルコーヒー」は、確かに「コモディティコーヒー」でもあるのでしょうね。本来の‘comm-’(共に)が、同一・一様では無くて異多・多様を求める限りにおいて、ですが…議論の中身以上に、立場を超えて交われるかどうか、アーレント登場?はそこらへんがキーでしょうか。

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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