毒も薬の玉子酒

ジャンル:映画 / テーマ:映画 / カテゴリ:観の記:映面 [2009年04月24日 01時00分]
柳家小三治の落語を初めて聴いたのはいつか、
今から30年以上前であることは確かだろう。
その頃の小三治に対しては、傲慢にうそぶけば
「上手だ。だけど芸を気取るような嫌味がある。
話芸は達者だが器量は好くない・・・」
などと感じていた憶えがある。

『小三治』というドキュメンタリー(映画)を観た。

小三治は老いていた。だが枯れてはいなかった。
齢を重ねてはいたが、老け込んではいなかった。
映画の中の柳家小三治に対しては、以前に感じた
反発心は全く起こらず、寧ろ好印象でさえあった。
昔の小三治への印象が私の捉え間違いだったのか、
小三治が齢を重ねて変化してきたのか、
或いは、私の人を測る感覚や視座が変わったのか。

また、映画としての「つくり」にも好感が持てた。
不特定多数の客を相手に表現する芸としては、
映画も落語も同じであるわけで、
その現役の落語家を対象にした記録映画としては、
その記録する対象との距離感をどの程度として
映すのか、が結構難しいハズである。
柳家小三治を名人上手とばかり撮り込めば、
彼の落語を聴くこと以上に価値は無くなるし、
本業以外の暴露ばかりを集めすぎれば、
昨今のTV番組のように低俗な記録になるが、
そのどちらにもなびかない程よい作品になっていた。

撮っておいてよかった映画だろうし、
観てよかったと思うし、また観ようとも思う。
ただ、不思議と「小三治の落語を聴きたい」より
「寄席に行きたい」と思わされている。
まあ、そう思わされているならば、出演した
落語家たちから見れば、してやったり、かも。
映画の中で、小三治が歌のレッスンを受けている。
「歌い始めたら途中で止めない、最後まで歌う。
最初に出した音の調子が変だと思っても、
一つ一つの音を大切に、調子を整えて進み続ける」
という趣旨の教示を受けている。小三治は
「いつも(落語で)自分が弟子にいっていること」
と苦笑する。

次のマラソンをどう走ろうか、
思惑ばかりが浮かんでしまう今の私も、苦笑した。
なんだ、ランニングレースだって同じじゃあねえか。



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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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