そのまま待機

ジャンル:映画 / テーマ:映画感想 / カテゴリ:観の記:映面 [2018年09月16日 23時30分]
ハリウッド…それはスタトレが始まった最初の開拓地である。そこにはウェンディの想像を絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない。これは、スタトレ脚本コンテストの締切りに郵送では間に合わないので自らが直に届ける最初の試みとして、3日間の旅に出たウェンディ・ウェルコットの驚異に満ちた物語である。
 そのまま待機 (1)
 
『500ページの夢の束』(Please Stand By) 観賞後記
 
 そのまま待機 (2)
航星日誌0450.0916」 映画『500ページの夢の束』には、原題やガジェットに加えて会話やモチーフにスタートレックが含有されることを発見。私はその内容を確認するため、映画館へ鑑賞に赴いた。しかし、そこには極めて陳腐なスタートレックの仮想映像が待っていた。
 
 そのまま待機 (3)
2007年にエミリー・バゼロンによるニューヨークタイムズの記事‘What Autistic Girls Are Made Of’を読んだマイケル・ゴラムコは、ケイトリンという自閉症の女の子がポケモンとハリーポッターのファン物語を書いたことを知り、これに着想を得て一幕ものの戯曲を生み出した。この戯曲を脚本に膨らませて約10年後に映画化したもの、これが『500ページの夢の束』である。だからなのだろう、ウェンディ(ダコタ・ファニング:演)とオードリー(アリス・イヴ:演)とスコッティ(トニ・コレット:演)の女3人はまあまあ描けているが、オス犬ピートも含めて男どもの扱いがかなり雑で使い捨てられている。一種のロードムービーとはいえ、アメリカン・ニューシネマなどと違ってハートフル(?)で‘感動’系の話なので脚本の縁辺の粗さが目立って気になってしまう。スタートレックを絡ませていること以外は、全く感動できない凡作である。
 
 そのまま待機 (4)
映画『500ページの夢の束』の主人公ウェンディ・ウェルコットは、クリンゴン語を習得し発語にも問題がないことから、自閉症の中でも高機能ASD(自閉症スペクトラム障害)であろうと私は思う。どうにも腑に落ちないのは、ウェンディが書き上げたスタートレックの脚本の題が‘The Many and The Few’(多数と少数)であること、その内容が自らと姉オードリーとの関係をスポックとカークのそれに擬えている(映画の終盤には露骨な仮想映像まで登場する)ことである。監督のベン・リューインも幼少にポリオを患って障害があるとはいえ、映画全体の社会的な訴求を登場人物である障害者のアイデンティティへ強引に侵食させた描き方は悪辣だ。そもそも、スポックと高機能ASDを同一視することはバルカン人に対しても酷い侮蔑であって許し難い。ベン・リューインとマイケル・ゴラムコに‘LLAP’は相応しくないのであり、奴らはロミュラン人であろう、アルファ宇宙域から出ていけ! この映画『500ページの夢の束』自体に対して私は言おう…‘Please Stand By’(そのまま待機)と。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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