バカボンのパパよりバカなリコウ

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2018年08月05日 23時30分]
長谷川利行(はせかわ としゆき:1891-1940)は名を‘リコウ’とも呼ばれるが、バカなのかリコウなのか、わからない。時に‘天才画家’とも‘日本のゴッホ’とも称される利行だが、バカと天才は紙一重である。私は気が違うのでファン・ゴッホを好かないが、長谷川利行はファン・ゴッホではない。その長谷川利行の絵画展が、福島と東京(府中)を経て愛知(碧南)へ巡回してきた。監修者の原田光は、《長谷川利行は何者か。おもしろい。》と言う(「傑作、幻の作、大作、出現 近年の再発見作品をめぐって」/『美術の窓』2018年4月号 生活の友社:刊)。…ぶらり、いこう。
 バカなリコウ (1) バカなリコウ (2)
 
碧南市制70周年記念事業 開館10周年記念
「長谷川利行展 -藝術に生き、雑踏に死す-」 (碧南市藤井達吉現代美術館)
 
酷暑だからか意外と人が疎らな昼下がりの館内、2階から1階へ、3つの期(上京-1929/1930-1935/1936-死)に分けられた約130点の作品を順に観る。「夏の遊園地」(1928)や「地下鉄ストアー」(1932)や「ノアノアの少女」(1937)に魅入られた。だが、各期での関心はやはり、以前の長谷川利行展には並ばなかった《近年の再発見作品》の3点に向く。「カフェ・パウリスタ」(1928)と「水泳場」(1932)と「白い背景の人物」(1937)…どんとせい!
 
 バカなリコウ (3)
 《「カフェ・パウリスタ」を、初期室内画の傑作だと思う。(略) ざっと描いて
  あるのだが、そのざっとが動きを誘ってくる。だんだん見えてくる。昭和
  のカフェが見えてくる。このいわば室内空間画といった絵は、いつまで
  眺めても、飽きない。》 (原田光 「傑作、幻の作、大作、出現 近年の再
  発見作品をめぐって」/前掲 『美術の窓』2018年4月号) 
 バカなリコウ (4)
 《「水泳場」は、山谷のドヤにいたときの傑作。(略) 貧窮の影の底をさま
  よっていたといって、人は利行に思いを寄せるが、この絵の、何という
  明るさよ、ほがらかさよ、幸福感さえ漂わせている。利行って、そういう
  やつだという他ない。うかがい知れない。》 (原田光 前掲稿) 
 バカなリコウ (5)
 《まったくどうでもいいような題名の「白い背景の人物」。(略) 線の暴走に
  目鼻をつけて、それだけで、女たちだ、男がひとり。どう見ても、しかし、
  利行は線そのものを見せようとしている。強さ、勢い、変化。線とは何だ、
  と。もう、現代美術なのだ。》 (原田光 前掲稿)
 
 バカなリコウ (6) バカなリコウ (7)
今般の碧南での展示は、2つの「カフェ・パウリスタ」(1928/1929)、2つの「カフェ・オリエント」(1935/1936)、それぞれを並べてあって好感。「カフェ・オリエント内のスタンド」(1928)が出品されていないのは残念。館を出て100m西へ。開店12日目の石川八郎治商店(九重味淋)で、みりんソフトクリームを買い食い。50m戻り、痛いほどの陽射しを避けて木蔭のベンチで煙草を喫する。
 
 妄念の新らたまりぬる林間にしばし憩ひて吸う煙草かな
 (長谷川利行 『長谷川木葦集』 1919)
 
美術館向かいの大浜まちかどサロン2階で、「長谷川利行展」の記念講演を聴く。「街がアトリエ」と題した原田光の講話。「水泳場」はドンゴロスに描いてあるそうな。クソジジイ木村定三が利行生存中に新宿の個展で観て買った作品はイイなどと、ご当地ヨイショも含めて晩年(第3期)の作品を主に解説。もっとも、そのクソジジイ木村定三自身は、《私は生前の長谷川利行を知らない。私と利行作品の最初の出会いは、高崎正男が昭和17年と思うが、名古屋の丸善で彼の遺作展を開いた時で、初めて見る利行の画に感動し数点の作品を求めた》(「長谷川利行の芸術」/図録『放浪の鬼才 日本のゴッホ 長谷川利行展』 1979)と記していたけどなぁ…。原田光曰く、ピンボケの「新宿風景」(1938)などは、街を描いているというより歩いている、と。焦点が合っていないまま歩き去ってしまう、風のように過ぎ去ってしまう、それは利行の‘人生’そのもの(?)とまで言いたくない、と騙った。いや、そのものだろう(笑)…チェリオ!
 
 確信が出来ないのです確信することはおそろしい固執だからです。
 (長谷川利行 『長谷川木葦集』 1919)
 
 バカなリコウ (8) バカなリコウ (9)
《長谷川利行は何者か》…今般の「長谷川利行展」を観ても、それはわからなかった。ただ、長谷川利行が飲んだくれで嘘つきで傲慢で見栄っ張りなゴロツキ画家であったことは、確信ができた。《おそろしい固執だから》こそ、確信ができる。利行の画業も人生も、「ぶらり、いこう」であると同時に「無頼(ぶらい)、利行(りこう)」だったのだ。つまりは、「バカボンのパパよりバカなリコウ」…これでいいのだ!
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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