それいけ! 岐阜アンパン

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2018年07月02日 05時30分]
私はこの私の報告を大変不思議な話から始めなければなりません。どうぞ冷静に聞いて下さい。動揺を避けて下さい。知的に判断を下して下さい。さて皆さん! この会場の中にアンパンマンが三人おります。この席から見ますとそれがはっきりわかります。そこだけぼーっとヘロウ(復光)がとりまいています。この事実を皆さんはどう考えられますか。皆さん、ちょっとお待ちください。これは約53年前に岐阜で開催された「現代美術の祭典 アンデパンダン・アート・フェスティバル」、通称「長良川アンパン」または「岐阜アンパン」を題材にしたトークイベントで経験したことを、唯今表現してみたのです。これについて私は若干の説明を加えなければなりません。それはこういうことです。
 
 それいけ岐阜アンパン (3) それいけ岐阜アンパン (4)
2018年7月1日に岐阜を訪れた私は車をあっちこっちと巡らせていました。五月晴れで蒸し暑い午後、堺で創業して岐阜へ移ってきた蕎麦屋で遅い昼飯を摂り、金華山を見上げながらふもとの公園を散策し、コーヒー屋へ寄りました。その「YAJIMA COFFEE」(ヤジマコーヒー)では、ネパール・カレンダーラ・ピーベリーとエチオピア・イルガチェフェ・コケを飲みながら、店主の矢島明といろんなことを論じ合いました。その後に、「みんなの森 ぎふメディアコスモス」へ行って、トークイベント「長良川アンデパンダン 1965年、岐阜に何が起こったか?」を覘いてみました。1965年に岐阜で何が起こったのかといえば、「第20回国民体育大会 」の夏季大会と秋季大会、つまり岐阜国体です。その前年に東京では、3月に予定されていた「第16回 読売アンデパンダン展」が中止となり、10月に「第18回 オリンピック競技大会」いわゆる東京五輪が開催されました。後に「偽証の衝撃」や「無慈悲の津波」へとスプロールしていく時代がはじまったのです。それについて少しお話ししましょう。
 
 それいけ岐阜アンパン (1)
「長良川アンパン」の1965年8月15日のシンポジウムで松澤宥は、《今、東海道新幹線で東京から大阪まで4時間で走っています。そのうち3時間で走るそうです。2時間で走ることも可能になるでしょう。そして1時間でも…》と講じましたが、会場近辺の街には何らも関係ないことでした。東海道新幹線も名神高速道路も岐阜市街のはるか南へ導かれて開通していたのです。《眼に見えるものはつまらない、眼に見えないものを信じよ》と松澤宥は叫びましたが、会期中の作家連中に見えるものは新幹線でも高速道路でもありませんでした。「長良川アンパン」を企画運営した西尾一三ら関の〈VAVA〉も、長良川河畔で穴を掘り続けた神戸の〈グループ位〉も、檻に入り続けた池水慶一も、《眼に見えるもの》は前年4月に開業した「長良川グランドホテル」でした。そして、近来の「長良川グランドホテル」では限定販売の‘特製あんぱん’が人気だそうですが、「長良川アンパン」の頃に‘あんぱん’はなかったのです。松澤宥の《眼に見えるもの》は、殴り合っていた〈ゼロ次元〉の岩田信市と加藤好弘と小岩高義でした。殴り合うアンパンマンが三人、黙って見ていた松澤宥。私の話の冒頭に出て来たのはこれだったのです。
 
 それいけ岐阜アンパン (2)
話がだいぶ詐術めいて来たでしょうか。「長良川アンデパンダン 1965年、岐阜に何が起こったか?」というトークイベントのテーマに対して私の話は無関係すぎるでしょうか。まして私は門外漢の聴講者なのです。皆さん! アンデパンダンとは独立した者であり、無鑑査無褒賞だそうです。その言葉の本来の意味に免じて、羽目をはずした話をさせていただきたいと思います。トークイベント「長良川アンデパンダン 1965年、岐阜に何が起こったか?」は、名古屋芸術大学の高橋綾子が講師で、岐阜市立図書館長の吉成信夫がゲストで、主催の〈articulation〉(アーティキュレーション)の田中由紀子が司会でした。聴き応えはあるけれども進行管理がまるでなっていないアンパンマンが三人、私の話の冒頭に出て来たのはこれでもあったのです。また、実のないどうでもいい対談よりも、臨席した池水慶一や石原ミチオや水谷勇夫の子息イズルの話が面白いのです。「長良川アンパン」に参画したアンパンマンが会場の中に三人、私の話の冒頭に出て来たのはこれでもあったのです。そこだけぼーっとヘロウがとりまいています。この事実を皆さんはどう考えられますか。
 
 それいけ岐阜アンパン (5) それいけ岐阜アンパン (6)
「長良川アンデパンダンが、なぜ戦後前衛芸術の〈分水嶺〉となり得たか?」という高橋綾子の問いかけに、池水慶一は「今も〈分水嶺〉が続いている。パンドラの箱を開けてしまった」と応じていた。そもそも前衛芸術の〈分水嶺〉とは何だろう? パンドラの箱の底に希望が残っているのだろうか? 長良川を上流へたどれば庄川との分水嶺に会えるが、岐阜に流れる川は分かれ道の一つに過ぎない。希望はそれ自体が幻想である。食べないアンパンは腐るし、感じない人間は死ぬ。人間の歴史は変えられなければならない。自宅に帰って、サカエパンのアンパンを食べなければならない。それいけ! 岐阜アンパン。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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