うんぽこ、珈琲 後篇

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2018 [2018年06月22日 01時00分]
承前〕 庄野雄治は《読んでいる時に詰まったり、引っ掛かったりする、すなわち思考する行為がない読書はつまらない》(「はじめに」/『コーヒーと随筆』 mille books:刊 2017)と言っていたが、『こぽこぽ、珈琲』(杉田淳子・武藤正人:編/河出書房新社:刊 2017)を読んでいた私は、吉田健一(1912-1977)の「カフェー」に《詰まったり、引っ掛かったりする》。
 うんぽこ、珈琲 (5)
 
この「カフェー」の初出は、吉田健一が「甘酸つぱい味」という題で『熊本日日新聞』夕刊へ寄せていた連載エッセイ(全100話)の一つで、1957年4月17日に掲載された。吉田健一は原稿を旧字体漢字(以下、旧字)と歴史的仮名遣い(以下、旧かな)で寄せたと思われるが、新聞掲載時は新字体漢字(以下、新字)と現代仮名遣い(以下、新かな)に変えられた。「甘酸つぱい味」は、同1957年8月に単行本『甘酸っぱい味』(新潮社:刊)として旧字新かなで上梓され、その後は垂水書房版『吉田健一著作集,』第8巻(1966)や原書房版『吉田健一全集』第5巻(1968)や集英社版『吉田健一著作集』第4巻(1979)に旧字旧かなで収載され、新潮社版『吉田健一集成』第6巻(1994)には新字旧かなで載録され、ちくま学芸文庫『甘酸っぱい味』(筑摩書房:刊 2011)では新字新かなへ変えられた。『日本の名随筆 別巻3 珈琲』(清水哲男:編/作品社:刊 1991)に収められた吉田健一の「カフェ」(長音符なし)は、集英社版『吉田健一著作集』を底本としながら、新字旧かなへ変えられている。そして、ちくま学芸文庫の『甘酸っぱい味』を底本とした『こぽこぽ、珈琲』の「カフェー」(長音符あり)は新字新かなで表記されているが、私にはちょっと《引っ掛かった》ところがある。
 
 《まだ子供の頃、電車に乗っていて当時の不良少年の服装と察せられる
  異様な身なりをした人物が頻(しき)りにカフェーの話をしているのを聞
  いたことがあって(その人物はこれをカフエーと四音節に発音した)…》
  (吉田健一 「カフェー」/『こぽこぽ、珈琲』p.124)
 
 うんぽこ、珈琲 (6)
この『こぽこぽ、珈琲』の「カフェー」において、《その人物はこれをカフエーと四音節に発音した》という表記には難がある。‘カフエー’はモーラ(拍)数で4モーラになるが、音節の数では(長音符を数えないので)3音節になる(通常の日本語の音韻体系、つまり発話の音素的音節では2音節に数えるが、本記事では変則的に大文字表記の母音「エ」を単独の音素と数える。以下同じ)。吉田健一が言う《四音節に発音した》という意味をモーラ(拍)でとらえれば矛盾はないが、これは当該の箇所を《その人物はこれをカフエエと四音節に発音した》と4音節4モーラで表記している『日本の名随筆 別巻3 珈琲』の方がわかり良い。ところで、吉田健一は‘カフェ’を自身が発声する時に、それを何音節何拍と数えていたのだろう? (吉田健一の肉声を聞いたことも直筆を見たこともない)私は、原稿では拗音の「ェ」を小さく書かずに‘カフエ’或いは‘カフヱ’と記していたのだろうと臆測するが、これを実際にどのように発音していたのかはわからない。明治末年生まれの吉田健一に遅れて大正末年に生まれた畔柳潤(1926-2015)は、‘カフェ’を‘カフヱ’とか‘キャフェ’と記すことも多かったが、私が聞いた発音は3音節4モーラの「キャッフェエ」に近いものだった。いずれにしても、『こぽこぽ、珈琲』に収められた吉田健一の「カフェー」は、外来のカタカナ語の表記が(旧かな・新かなを問わず)直筆の原稿と初出の版と転載の版で異なり、それ故に《読んでいる時に詰まったり、引っ掛かったりする》。古いところの‘カフェ’やコーヒーを追究するに、忘れてはならない落とし穴と謎である。
 
本には、古くなってもいいものがあれば、古くなってわるくなるものもある。コーヒー絡みのアンソロジー『こぽこぽ、珈琲』は、どちらだろう? この本を読んでちょっと《引っ掛かった》ところは、悩ましくもあり、面白くもある。『こぽこぽ、珈琲』は、今の私には「うんぽこ」(un poco:ちょっと)なコーヒー本である。いずれまた、「うんぽこ、珈琲」の話をしよう。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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