ムエンナーレ

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2018年05月21日 05時30分]
2018年5月19日、ナディアパークの名古屋市青少年文化センター(アートピア)にあるカフェで催事があった。この公益財団法人名古屋市文化振興事業団が主催する‘アートトークショー’、過去の20回は聴いていないが、今般は「きそがわ日和」も俎上に載せられるので覘いてみよう。
 
7th deepnight vol.21 「“ミニトリエンナーレ”の新たな展開を考える」
(ナディアパーク/デザインセンタービル7F:7th Cafe)
 
 ムエンナーレ (1) ムエンナーレ (2)
 《「ビエンナーレ」「トリエンナーレ」と呼ばれる国際芸術祭が世界中で行わ
  れる現在、それらの地域版ともいえるアートイベントが東海エリアでも数
  多く開催されています。その中から新たな展開や試みを模索する「きそ
  がわ日和」と「足助ゴエンナーレ」を紹介しながら、“ミニトリエンナーレ”
  が目指すものについて考えます。》 (7th deepnight vol.21 案内)
 
進行役は田中由紀子氏(美術批評・ライター)、出演は小川友美氏(NPO法人 きそがわ日和)とオオノユキコ氏(足助ゴエンナーレ実行委員会)、聴衆は計17名。「きそがわ日和」(2010年より岐阜県美濃加茂市太田宿を主に連年不定期開催)と「足助ゴエンナーレ」(2014年より豊田市足助町で毎年秋開催)、その舞台裏をぶっちゃけた小川さんとオオノさんの話が面白い。これらのアート催事を田中さんは「ミニトリエンナーレ」と称して、その目的と問題点を提示した。だが、両催事のようないわゆる‘アートプロジェクト’を、小規模な「あいちトリエンナーレ」のようなものと括って位置付ける前提自体に無理がある。この認識のズレが明瞭な論戦にならないまま終わったのは残念。
 ムエンナーレ (3) ムエンナーレ (4)
 
 《地域の人たちが一〇人中一〇人くらい「芸術祭のおかげで元気になった」
  と言うので、本当に元気になったのか試してみようと思って精神科医を連
  れて来て、出前臨床をやりました。いきなり集落を訪れていって、「アート
  はこのまちにとってどうですか」など、一時間くらい話すのです。そうやっ
  て調べたら、かなり躁鬱的な人が多いという結果が出ました。そして、
  アートに対して予想以上に興味がないという結論になってしまいました。》
  (川俣正 「なぜアートプロジェクトの支援なのか 画一的になった“サイト・
  スペシフィック”を壊す」/熊倉純子:監修 『アートプロジェクト 芸術と共
  創する社会』 水曜社:刊 2014)
 
 《しかし、注意すべきは、現在の日本で行われているアートが、それらの過
  去の運動を自身の正当化の根拠のようにしながら、結局は、国策の一
  環であるかのような「地域活性化」に奉仕してしまって、閉じていく現状で
  ある。六八年的なものが日本の田舎に吸収されてしまって、閉じていく現
  状である。六八年的なものが日本の田舎に吸収されてしまっているよう
  に、ぼくには見える。前衛のゾンビたちが、身体を溶かしながら、田んぼ
  の中に崩れかけている(誤解のないように言っておけば、ぼくは「ゾンビ」
  という言葉を、単に否定的なものとして使っているわけではない)。》 (藤
  田直哉 「前衛のゾンビたち ──地域アートの諸問題」/『すばる』2014
  年10月号/藤田直哉:編著 『地域アート 美学/制度/日本』 堀之内
  出版:刊 2016 収載)
 
 《いろいろな意見があっていいと思いますが、アートは根源的には地域の
  問題解決のために存在しているのではありませんから。》 (飯田志保子
  :談/小川希:編 『アートプロジェクトの悩み』 フィルムアート社:刊 2016)
 
 ムエンナーレ (5)
近来の日本では‘アートプロジェクト’に批評の排除を指摘する声もあるが、それが美学的な批評であれ社会的機能の是非論であれ運営や影響の危惧であれ、今般の‘アートトークショー’ような催事こそが論ずるに絶好の機会であろうに。加えて言えば、トークショーでもその後の懇親会でも参加者の中で門外漢だったのは私ただ一人であり、それは私にとって楽しくもあったが、ある意味で歪んだ構図を露わにしているともいえる。催事が催事自体に《吸収されてしまっている》、その《閉じていく現状》は、各地の‘アートプロジェクト’にも今般の‘アートトークショー’にも発症しているからだ。誤解のないように言っておけば、私は‘アートプロジェクト’や‘アートトークショー’の開催を、全て否定しているわけではない。しかし、継続性を強調し過ぎて催事が催事自体に《吸収されてしまっている》ならば、《アートは根源的には地域の問題解決のために存在しているのではありません》という意味を取り違えることになる。現代アートの‘アートプロジェクト’は規範や継続から無縁なれ…「ミニトリエンナーレ」ではなくて「ムエンナーレ」を私は欲する。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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