Fに抗する

ジャンル:ライフ / テーマ:ひとりごと / カテゴリ:あ・論廻 [2018年03月14日 01時30分]
『トウモロコシの先住民とコーヒーの国民』(中田英樹:著 有志舎:刊 2013)は、2013年の日本コモディティコーヒー協会アウォード(CCAJ賞)と2014年度の日本村落研究学会研究奨励賞(第24号)の二冠を獲った。このスゴイ本を猪瀬浩平はこう評した。
 
 《…本書の問いかけは今・ここにある私たちの他者理解にも向かうべきもの
  である。さらにいえば、平和研究者としての私たち自身が他者との出会
  いで躓いた瞬間、あるいは思考停止にした瞬間という不気味な記憶を思
  い起こす必要がある。その一つの例は、2011年3月に始まる東京電力
  の原発事故の「被害者」に対する「理解」があげられるだろう。(略) 本書
  はそんな「不気味な存在」に向き合う覚悟を、私たちが失っているのかも
  しれないことを告発する。そして予定調和ではなく、緊張関係を伴いなが
  ら他者と対峙し続けること、そのしんどさの中で考え抜くこと、そのことの
  覚悟を私たちに突き付ける。》 (猪瀬浩平 書評/明治学院大学国際平
  和研究所紀要『PRIME』37号 2014)
 
そして、『トウモロコシの先住民とコーヒーの国民』を書いた中田と評した猪瀬を含めた5人の執筆者が、東日本大震災を機にした新たな論集を出した。だが、この新刊は単なる被災論集でも復興論集でもない。それは、震災前からの地域開発の《不気味な記憶》と、震災後の‘復興’という名の《不気味な存在》を抱えた人たちを捉えたものだ。これまた、《緊張関係を伴いながら他者と対峙し続けること、そのしんどさの中で考え抜くこと、そのことの覚悟を私たちに突き付ける》物語で、メチャ面白い。版元が予価から200円も下げて頑張った本だぜ、まぁ読んでみろって!
 Fに抗する (1)
 
『復興に抗する 地域開発の経験と東日本大震災後の日本』
(中田英樹・髙村竜平:編/有志舎:刊 2018)
 
論集『復興に抗する』は、髙村竜平・猪瀬浩平による序章「地域固有の生活史から描く開発・被災・復興」がNHKの連続テレビ小説『あまちゃん』で始まり、中田英樹による終章「「復興に抗する」経験を生きる」で漫画『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』(竜田一人:作 講談社:刊)が登場する。これがもうヘタなサブカル解題よりも面白いワケだが、‘じぇじぇじぇ’なドラマや‘義侠心’の漫画では「今に始まったことじゃぁないけどなぁ…」という意識高い系(?)の連中は、《時間の許す限り、第一章から終章へと読み進んでいただければ幸いである》(p.28)という序章の挙句に順えばよい。ただし、別の意識高い系(?)として「風評被害」に敏感な消費者の連中は、第四章あたりから読んで、あえて「抗する」もよいだろう。まぁ、ここでも漫画『美味しんぼ』(雁屋哲:作 花咲アキラ:画 小学館:刊)が登場して、「風評被害」批判の危うさが解かれて鼻血が出そうになるワケだが…。
 Fに抗する (2)
 
イチエフ事故による食品の放射能汚染については、中田英樹による第三章「福島復興に従事する地元青年にとっての故郷再生」が生産地を描き、原山浩介による第四章「「風評被害」の加害者たち」が消費者を語って、対をなす。「土壌スクリーニング」事例と「風評被害」事例が背中合わせに論集の真ん中へ置かれたのだ。そして2つの章を真ん中に、前段には友澤悠季による第一章「ここはここのやり方しかない」と猪瀬浩平による第二章「原発推進か、反対かではない選択」が、後段には髙村竜平による第五章「被災地ならざる被災地」と猪瀬浩平による第六章「中心のなかの辺境」が配置されている。そして、第一章の広田湾問題(陸前高田)と第二章のほ場整備事業(高知県窪川)が震災前からの地域開発の課題を語って対をなす。また、震災後の廃棄物処理の課題を掲げる第五章と第六章は首都圏の外にある辺境(秋田県北鹿)と内にある辺境(越谷市増林)を描いて対をなす。よくもまぁ序章から終章まで多彩な論考を美しく並べたものだ、津波被害と防潮堤建設で失われる前の高田松原のように…。
 
 《「復興のため」という方向づけは、「バラ色の未来」よりはるかに強力に、
  考える時間と対話する機会を奪ってきた。そこにもたらされた東京オリン
  ピック開催決定の報(二〇一三年九月)は、「ああ、われわれ棄てられた
  んだ」と感じさせた(河野正義、二〇一五年二月五日)。重機の轟音のか
  げでつぶやかれる声の中にも、いくつもの異なる道がありえた。》 (友澤
  悠季 第一章 p.74)
 
 《あと二年後の二〇二〇年に開催される世界の祭典オリンピック。そこで
  の「復興」の世界とは、何を置き去りにし、誰を片隅に棄て去ることによっ
  て、「平時」の日本といて世界へ開示されるのだろうか。少なくとも私たち
  は、「偽装された平時」として片付けられている「有事」を検知できるよう、
  猫に鈴を付けるように、見張っておかなければならないだろう。》 (中田
  英樹 終章 p.327)
 
 Fに抗する (3)
論集『復興に抗する』は、その全8章を読み通して「復興」に抗する一つの物語が浮かび上がる。陸前高田観光ガイドの河野正義の声は、「また棄てるのか」という石牟礼道子の思いに重なって私に響く、《この国は塵芥のように人間を棄てる》(石牟礼道子:談 2013年5月)と。‘フクシマ’を「アンダーコントロール」などと《棄て去る》フェイク(fake)に抗する。‘風評被害’批判を悪用して《偽装された平時》を装うフール(fool)に抗する。2011年3月11日に東日本大震災が発してから65535時間(2730日15時間)後の日本は、関東大震災から95年後の2018年9月1日の夜明けを迎える。そう、65535を十六進表記にすればFFFF、すべてがFになる。それでも、私は‘F’に抗する。『復興に抗する』は、笑えないがメチャ面白い本だぜ、まぁ読んでみろって!
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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